作品タイトル不明
新スキル『キューブ』
翌朝、悠太はアラームが鳴るよりもずっと早くに目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む夏の光が、期待感で昂る胸を照らしている。ついに、この二十日間、寝食を忘れて追い求めてきた『新スキル』を取得できる瞬間がやってきたのだ。
「やっと、手に入る」
キャンプに行く前、悠太の心は揺れていた。
少しでも生き残る確率を上げるために『敏捷性』や『物理防御』といったステータスアップスキルにポイントを振るべきではないか。
だが、あの時、佐藤講師が言った言葉が悠太の指を止めた。「君たちの価値は、君たちにしかできない現象そのものにある」
その教えに従い、誘惑を断ち切ってスキル取得に心血を注いできた成果が今ここにある。
悠太は震える指先で、スキルボードの奥底で鈍く輝く項目――『キューブ』を選択した。
正直に言えば、これを選んだ理由は単純だった。提示されている得体の知れない未取得スキルの中では必要ポイントが300と、最も手頃だったからだ。
使い方も性能も想像がつかなかったが、まずは手札を増やすことが先決だと判断した。
スキル説明欄には、短く、不気味な一文だけが記されている。
『指定座標に接触した対象をキューブが捕食する』
「……捕食?」
意味を測りかねたまま、悠太はいつもの第二階層へと足を踏み入れた。
湿った空気、遠くから聞こえる爪音。すべては昨日までと同じだが、今の悠太には未知の武器がある。
「いたいた」
通路の角、こちらに気づかずに徘徊している牙ネズミを見つけた悠太は、いつものようにスネアを構える代わりに、ネズミの進行方向の地面に意識を集中する。
「キューブ!」
発動した瞬間、脳内を駆け巡った消費魔素は『7』
消費15の落とし穴と比べればだいぶ少なく、スネアに近い手軽さだ。指定した座標には陽炎のような歪みが一瞬走っただけで、罠が設置されたようには見えない。
何も知らない牙ネズミが、その透明な座標を踏み抜いた瞬間。
キン!
凍てつくような乾いた音が響き、何もない空間から突如として、一面が一メートルほどの曇りがかったガラスのような立方体が出現した。立方体は牙ネズミをその中心に完璧に閉じ込め、物理的な檻となって通路に固定されている。
「なっ?!」
悠太は思わず息を呑んだ。
キューブの中に閉じ込められた牙ネズミは狂ったように壁面を叩き、鋭い爪で曇りガラスを掻きむしっている。しかし、立方体は傷一つつかない。それどころか驚くべき変化が始まった。
キューブが徐々に縮小を開始したのだ。
「キィィィィ! キィィッ!」
中からは恐怖に怯えた断末魔のような鳴き声と、逃げ場を失い激しく動き回る足音が微かに漏れ聞こえてくる。
一メートルあった立方体は、五十センチ、三十センチ、十センチと、中の質量を無視するように収縮が加速していく。
抵抗する音は徐々に小さくなり、やがて完全な静寂が訪れた。
限界まで小さくなったキューブが、プツンと弾けるように虚空へと消失したのだ。
そこには、ネズミの死体も、飛び散った血の一滴も残されていなかった。
ただ、地面にコロンと転がった小さな魔石だけが、そこにあった生命の証として残されていた。
「……すごい、これ」
悠太の背筋を正体不明の寒気が走り抜けた。
『落とし穴』に落として窒息させるのも残酷ではあったが、この『キューブ』はまた一味違う。対象を現象として丸ごと飲み込み、魔石だけを搾り取って消滅させる。まさに捕食という言葉が相応しい。捕食までの生々しさが、落とし穴にはない恐ろしさを醸し出していた。
だが、恐怖と同時に猛烈な高揚感が悠太を突き上げた。
(強い!圧倒的だ)
今まで一匹を処理するのに、少なくともスネアと落とし穴の組み合わせは必須で、20ほどの魔素を消費していた。それが、わずか『7』で済む。しかも、通り道に設置するだけという手軽さと確実さ。
「これならどんどん行けるぞ!」
悠太は自分の掌を見つめ、握りしめた。
地道に積み上げた二十日間の修行が、この『残酷で美しい檻』という形になって結実した。
孤独な罠使いの設計図に戦場を支配する強力な一手が加わる。
次の獲物を探して暗闇の奥へと踏み出すその足取りには、もはや迷いも、自分を蔑む卑屈さも消えていた。