作品タイトル不明
39.悪役令嬢は反論する
「これは、特殊な興奮作用のあるお香です。この香りを吸った者は、正気を保てなくなります」
驚かなかった自分を褒めたい。
ここで表情を変えれば、既知であることがバレ、使用を疑われる。
お香はナイジェルが開発した、秘蔵の薬だ。
秘匿こそすれ、公表に持って行くとは、予想もしていなかった。
「残念ながら物的証拠は、ここにあるお香のみです。暴動に加担している容疑で捜査中、現地で見付け、我が身をもって作用を確認しました」
暴動が起こった各地では、直前まで異変はなかったことが共通事項として挙げられる。
(待って、実際にお香を使って、暴動を起こしたの……!?)
暴動について、難民と領民に軋轢が生まれた結果であるのは耳に入っていた。
クラウディアは、ナイジェルが都合の良いように情報を操作していると考えていたのだ。
あまりにも非人道的なおこないに、頭を抱えたくなる。
(お願い、嘘だと言って頂戴……!)
怒りと悲しみが体中を駆け巡った。
けれどクラウディアは、何も知らないふりを続けなければならない。
「ふんっ、よくもこのような悍ましい事態を引き起こしておきながら平然としていられるものだ。暴動によって現場がどういう状況に陥ったかは、聖女様も視察されています」
高らかにクラウディアを断罪するフェルミナが思いだされる。
彼女は、見ていたのだ、悲惨な現場を。
ノリス司祭に扮した、ナイジェルの先導によって。
彼が手加減するとは、到底思えない。むしろフェルミナの心を追い詰めるために、一番凄惨なところへ連れて行ったのではないか。
ああ。
聖女になったフェルミナ。
彼女もまたナイジェルの被害者なのだ。
(フェルミナさんにとって、あの断罪は……私怨ではなく、真に正義の執行だったのね)
異端審問官の追及は終わらない。
「これだけでも魔女と呼ばれるに相応しい行為ですが、この暴動を起こすに際し、クラウディア嬢は財産を隠そうとしていた疑いがあります。彼女がアラカネル連合王国に持つ商館近くの港に、たびたび入港する船がありました。財産を隠した形跡のある場所も発見できたのですが、惜しくも先に手を回されたようで、証拠は確保できていません」
やはり商人のウーゴスは、クラウディアに罪を着せるために動かされていた。
(証拠については、スラフィム殿下が間に合ったのかしら)
捜査を約束してくれていた。
思いのほか、最初の貨物が拿捕されたのが効いているのかもしれない。
相手にしてみれば、美術品などが大量に隠されている状態を明るみにしたかったはずだ。スラフィムの押収が間に合ったのなら、入港の回数に対し、あまり運び込めていなかったのが窺える。
ここで異端審問官はトーンを抑える。
人を惹き付ける話し方を心得ていた。
「ことの発端は、クラウディア嬢の家庭環境でしょう。絶望を覚えるほど、精神が追い詰められていなければ、黒魔術に触れようとは思いません」
そのときクラウディアを導ける修道者が傍にいなかったことを、異端審問官は悔いる。
「父親は愛人宅から帰って来ず、母親は限度を越えて厳しい人でした。息苦しい生活を送っていたクラウディア嬢は、癇癪という形で不満を発散させていました。これはハーランド王国の社交界では有名な話です」
すらすらと真実に嘘を混ぜて話す姿に、感嘆すら覚える。
母親の教育について、外部に漏れていた事実はない。
「そして母親の死をきっかけにクラウディア嬢は生まれ変わります。周囲はこれを美談として扱いました。けれど、そのときからクラウディア嬢は黒魔術に触れはじめたのです」
一日にして百八十度、物事に向き合う姿勢が変わったこと、社交界で話題になるほど不思議がられていたことを挙げられる。
「数日ぐらいなら良い子を演じられるかもしれませんが、この日を境に問題のあった子が、それこそ支える大人が近くにいなかったのにもかかわらず、淑女になるなど前代未聞です」
枢機卿は、修道院の長たる司祭の役職を経ている。
修道院には孤児院が併設されているところもあり、子どもたちの成長を見守ってきた経験を持つ者がほとんどだ。
(ナイジェルの息がかかっていなくとも、騙されて判決を下しそうだわ)
それだけ異端審問官は弁論が上手かった。
現に傍聴席でも頷いている修道者が多く目に付く。
「本当なら異変があったこのときに、クラウディア嬢を検めるべきでした。けれど表面的には良い変化だったため、裏の顔は見逃されてしまったのです。クラウディア嬢が悪に染まってしまったのは、私共の力が及ばなかった結果でもあります」
異端審問官が拳を握る。
「だからこそ、今、異端審問官である私がクラウディア嬢を断罪せねばならぬのです!」
感極まった宣言に、傍聴席から拍手が沸き起こる。
とんだ舞台を見せられている気分だ。
けれど、おかげで気持ちが落ち着いてきていた。
進行役が、静粛に、と拍手を止めさせる。
異端審問官の主張が終わったため、今度はクラウディアへ水を向けられた。
「クラウディア嬢、反論はありますか」
「あります」
静かに、でも通る声で答え、そっと立ち上がる。
そして伏せた長い睫毛を持ち上げなら、断言した。
「わたくしの胸にあるのは、生まれたときからある、ただ一つの信仰だけです」
光を取り込むために設けられた縦に長い窓が、目映い線を描く。
宙に舞うホコリが照らされ、キラキラと輝いていた。
隅で積もっているときと、浮いてるときで、こうも見え方が違う。
クラウディアが信じる正義も同じだ。
だから、悪女にもなろうと決めた。
領民や難民と話したときのことを思いだす。彼らが笑顔を取り戻してくれたときのことを。
自分にだって、心に訴えかけることはできると信じて口を開く。
「信仰とは、生まれた瞬間から共にあるものだと、わたくしは考えます」
言葉では言い表せない「何か」。
幼い頃は、父親や母親を通してそれを理解しようとする。
そして情報が増える中で気付くのだ。
両親へ抱くものが尊敬であり、心と共にある「何か」は畏敬の念であると。
「人は、生まれた瞬間から、無意識のうちに知っているのです」
偉大なる存在を。
他宗教を信心していても同じだ。
神に畏敬を持ち、祈る。
この世界に、祈ったことのない人などいるだろうか。
異端審問は、教義に反する信徒を裁く場であり、他宗教の者へは及ばない。
他宗教の者たちもまた、畏敬の念を生まれ持つ同志だからだ。
「わたくしは胸にある『畏敬』を正しく理解しております。だからこそ憤らずにはいられません。何故、わたくしが異端審問に、魔女裁判にかけられねばならないのか!」
逆行前について問われるならば、まだわかる。
けれど、きまぐれな神様の奇跡に触れ、確固たる存在を感じている自分が、何故。
理由は簡単だ。
異端審問もまた、人によるものだから。
怒りを表しつつも、ヒステリックに映らないよう声音を調整し、あくまで理性を保った主張を心掛ける。
「あえて指摘いたします。異端審問官の訴えは間違いであると! 母を失う前のわたくしは愚かでした。厳しい母親の愛情に気付けず、知識のなさから心と共にある『何か』も理解できていませんでした」
失って、はじめて、悟った。
母親の大きさに。
「そして墓石を見て、直感したのです。母は神の元へ旅立たれたのだと」
当時を思いだし、目に涙が浮かぶ。
生きている間にわかりあえなかった悔しさは、本物だった。