作品タイトル不明
29.悪役令嬢は再認識する
「このあと湯浴みをするし、いいかしら?」
靴を脱いで裸足になる。
ルキは何も言わず、見守ってくれていた。
一人で考える時間が必要だと、察してくれたようだ。
砂地は柔らかく、足の指の間からさらさらと砂が溢れる。
風が優しく頬を撫でていった。
後れ毛を耳にかける。
波音に誘われるまま、水際を目指した。
打ち寄せた波が砂浜に濃い色を残す。
クラウディアは白く縁取られた波打ち際を見極めながら歩いた。
海岸の地形から、港や町から切り離された場所にプライベートビーチはあった。
青と白。
穏やかな時間だった。
(シルがいたら、空を背景に映えそう)
自然と浮かんだ感想に、現実を突きつけられる。
ここに、隣にシルヴェスターはいないのだと。
「……っ」
寂しさに胸が詰まる。
綺麗な景色を視界に入れながら、考えないようにしていた不安が涙となって溢れそうだった。
(わたくしは、まだシルと一緒にいられるのかしら)
世論は許してくれるのか。
魔女に関する悪評は、こうしている間にも広まっているだろう。
どれだけナイジェルと戦うと覚悟を決めても、彼の企みを阻止できたとしても、一度下がった評価が元に戻る保障はない。
前世はフェルミナが王太子妃だった。
逆行してからシルヴェスターと過ごす中で、政治的判断があったのだと知れた。
逆行前とは違う形で、また判断が下るかもしれない。
ふらつく視線の先で、ピンク色が目に留まった。
草に交ざって、小花が木の形を模すアスチルベが咲いていた。時期的にまだ早いせいか、あるのは一輪だけだ。
なんとなく残念に感じていると、足に波がかかった。
水の冷たさにハッとする。
(いつまで過去に囚われているのかしら)
自分を取り巻く状況は、全く別のものになっているというのに。
頭を横に振り、弱気な考えを遠ざける。
しばらくすると自身に怒りが湧いた。
(これではシルを疑っているようなものじゃない)
シルヴェスターは、世論に振り回されるどころか、世論を従える人間だ。
クラウディアに対しては、愛を惜しまない人。
はちみつのようにとろりと甘くなる黄金の瞳を思いだす。
彼なら、力ずくで不利な状況をねじ伏せるだろう。
「わたくしは自由だわ」
クラウディアの所在や予定は、全てシルヴェスターへ伝わっている。
捕まえようと思えば、いつだって捕まえられるのに、そうはなっていない。
シルヴェスターが上手く立ち回ってくれているおかげだ。
今一度、空に目を向ける。
そして確信した。
(わたくし、シルが愛おしいあまり自制できていないのだわ)
共に過ごせなくて寂しいのも、不安に駆られるのも。
好きで、好きで、仕方ないから感情が爆発し、制御不能になっている。
そう考えると、胸につかえていたものが消えた。
他の人たちにも当てはまることだった。
容疑がかかった時点で、嫌悪感を抱かれるのではという恐怖。
怖いのは、その相手が大切な人だからだ。
(心に従いましょう)
愛する人たちを、信じる。
(とはいえ、頭の隅に不安が残り続けているのには、別の理由がありそうだけど)
どれだけ不安に苛まれても、信じたい気持ちを手放さない。
決心すると、空が、海が、砂浜が、より澄んで見えた。
侍女の声が聞こえ、部屋に戻る。
「少しは気分転換できたか?」
「ええ、シルへの愛を再認識したわ」
「……大丈夫か、やっぱり疲れてんじゃねぇか?」
「たまには惚気たっていいじゃない」
「いいけどよ。うーん、やっぱり惚気るならヘレンさんにしてくれ」
おれはそういうの苦手だ、とルキは腕をさする。
頭上でピーヒョロロとトンビが鳴いていた。
◆◆◆◆◆◆
湯浴みを終え、用意されていたラベンダー色のドレスに着替える。
久しぶりに侍女の手によって磨かれ、一皮を丸々脱いだように感じられた。
腰からふわりとボリュームが増し、円形に広がった裾を見るとテンションが上がる。
「こうして見ると、やっぱ姉御って貴族令嬢なんだな。よく似合ってる」
ルキの賛美に微笑みを返し、食堂を目指す。
白いテーブルクロスがかけられた長机が見えると、席からスラフィムが立ち上がる。
「やはりドレスは着られてこそですね。水を得た魚のように、生き生きとして見えます」
「ご用意ありがとうございます。お待たせして申し訳ありませんわ」
「待つ女性がいることほど、喜ばしいことはありませんよ」
どうぞ、と促されて席に着く。
「イーダとチェステアはおられませんのね?」
「彼らは『足』ですから。内密な話をする場にはそぐわないんです」
罰せられたわけではなく、元からその予定だったようだ。
伝達ミスなら、彼らに落ち度はない。
仕切り直して再会の喜びを分かち合う。
水で喉を潤していると、前菜が運ばれてきた。
白いお皿の上で、薄くスライスされたハムが扇状に広がり、葉物野菜とラディッシュが彩りを添える。
メインの肉料理へ進むのと同時に、話題も深まっていった。
「王都の状況は芳しくありません。クラウディア嬢が魔女であるという流布は留まらず、黒魔術によって暴動をはじめとした社会的混乱が広がっているとされています」
他国の情勢に精通している点には、お互い様なので目を瞑る。
(情報の伝達方法は鳥かしら?)
調教すれば、鳥に手紙を運ばせられた。
飛行ルートによっては、クラウディアたちの到着より早く情報を得られる。
「黒魔術について、教会の見識は示されていますか?」
「はい、黒魔術に奇跡の力はないと公表に至っていますが、先に広がった不安のほうが強く、制御できていないように見えます」
民衆の間で、噂が一人歩きしていた。
クラウディアを陥れるための一言が、予想外の着目を得てしまったのだ。
「下手をしたら、必要以上に黒魔術の認知度を上げてしまったかもしれないのね」
「自分からすれば自業自得ですが。教会のせいで混乱が起き、ハーランド王国の情勢が悪化するのは見過ごせません」
ハーランド王国とアラカネル連合王国は、友好関係にある。共にしている施策もあり、片方が傾くのは望ましくない。
「これは耳が痛い話だと存じますが……」
スラフィムは一度視線を下げてから、クラウディアと目を合わせた。
「シルヴェスター殿下は、フェルミナ嬢に寄り添っているとの情報があります。このままフェルミナ嬢を重用し、クラウディア嬢が切り捨てられることを、自分は危惧しています」
クラウディアの悪評が広まれば広まるほど、婚約者としての資質が問われる。
国民の意に反してまで、婚約が続けられるかどうか。
先ほどビーチを散策している間、クラウディアの頭にも過ったことだ。
港町ブレナークの商人が危惧していたとおり、混乱によって流通網がマヒすれば、国にとっても大打撃である。
早めに手を打ちたい気持ちはあるだろう。
ルキも同意する。
「正直、おれもシルヴェスター殿下ならやりかねないと思ってる。実利を優先するならな」
シルヴェスター個人ではなく、王太子としての判断を、二人は案じていた。