作品タイトル不明
02.聖女は恨む
道端で力なく横たわった人々。
ぼろ雑巾のような姿で、重なりあってすらいる。
その中に、小さな体を見付けて嗚咽が漏れた。勝手に涙が溢れる。
「ふっ、うぅ……っ」
「今感じている胸の痛みを忘れないでほしい。犠牲になった者たちを、私たちだけは、忘れてはならないんだ」
肩を抱かれて、体を寄せる。
他人の体温を感じていなければ、すぐにでも心臓が凍てついてしまいそうだった。
学園時代なら、眉を顰めただけで終わっていたかもしれない。汚いと蔑んでいた可能性もある。
けれど修道院での経験を経て、人の背景を考えるようになっていた。
倒れているのは、戦地から避難してきた難民だった。
冬のはじまりに生まれ育った地を離れ、ハーランド王国へ疎開してきた人々。村単位での移動は、少なくとも百人単位だったと聞いている。
彼らに罪がないことは明かだ。
(町にすら入れてもらえないなんて)
窓からは、遠くにうっすらと建物の輪郭が窺えた。
前には幅が広いだけの土の道と、まばらに生えた木があるだけだ。
ざっと四、五人ぐらいが野ざらしになっている。この先も同じ状況なら、難民全員が、町から弾き出されているのではないだろうか。
春へ向かっているとはいえ、まだ分厚い上着は手放せない。
(この辺りは、山おろしが局地的に強いのに)
フェルミナの思考へ追い打ちをかけるように、ビュオッと吹いた風が、馬車を叩き、砂を舞い上がらせた。
砂塵が人々を襲うのと同時に寒気を感じ、体が震え出す。
「これがクラウディアの黒魔術によって引き起こされたものだ」
まさか、と無意識のうちに目が見開かれた。
「嘘、ですよね?」
答えはわかりきっているのに、正解を認めたくない。
信じられなかった。
信じたくなかった。
いつだってキラキラ輝いて見えたクラウディアが、認めたくはないけれど、見惚れてしまった瞬間だってあった彼女が。
(嘘よ、嘘……)
想像を絶する狂気に、目の前が真っ暗になる。
「道の先にある町では、およそ二百人の難民が受け入れられる予定だった」
戦地からの難民の振り分けは、教会と受け入れ先である国の協議によって決められている。
難民の先導を修道者がおこなうため、行き先については教会へも報告が入っていた。
「だが領民と難民の間で暴動が起こったことで事態は急変した。ことの発端は、難民が領民の女性を襲ったことだ。激怒した領民たちは、難民を迫害し、町から追い出してしまった。展開が早く、領主の耳に入る頃には何もかもが手遅れだった」
「今は、どうなっているんですか? 難民への支援は?」
「領民を宥めるため、落としどころ探っているところだ。見てのとおり、支援はされていない」
領民を無視して支援をおこなえば、今度は怒りの矛先が領主に向く。統治のために、領民が優先されていた。
そんな、と愕然とするフェルミナに、ノリス司祭が考えるよう促す。
「疑問に思わないかい? 住む場所を追われた難民が、やっとの思いで辿り着いた場所で、そのような狼藉を働けるだろうか、と」
「無理、ですよね?」
最低限の荷物だけを持って、遠路はるばる辿り着いたのだ。
暴れられるだけの体力が残っているとは思えない。
でも実際、難民は領民を襲った。
その謎に対する答えを、ノリス司祭が掌の上に示す。
先が焦げた、三角錐の黒っぽい塊があった。
「これはお香だ。俗に言うところの媚薬で、炊かれた煙には、人を興奮させる作用がある」
公にはされていないが、以前、ハーランド王国で薬を精製していた村が摘発されていた。そこでつくられたものだという。
「恐ろしいことに、その村とクラウディア嬢が関わっていた情報がある。現在は国によって管理されているが、過去の在庫を彼女が手にしていても不思議じゃない」
「そのお香が使われたというんですか!?」
「彼女からすれば、リラックス効果があると偽って支援物資に紛れ込ませるだけでいいんだ。現場で違和感を覚えた修道者が回収し、報告がてら私にこれを寄越した頃には遅かった。暴動によって全て荒らされ、捜査する手立てがないんだ。これも計算のうちだろう」
「何のために……? 暴動を起こさせて何が得られるっていうんです!?」
声が震える。
よせばいいのに、視界の端にあった人影に目を向けてしまう。
横たわり、重なりあった人々。
そこにある、子どもの姿。
「難民には老人も、女性も、子どももいます! 皆、助けを求めているのにっ」
見殺しにするより、もっと酷い。
感情が奔流となって全身を巡る。
頭がクラクラして、理解が追い付かなかった。
静かにノリス司祭が答えを紡ぐ。
「自分の利益のためだ。他領の混乱は、彼女の利益になる」
利益。
たった、それだけのために。
(人を、ボロ布のように、扱えるの……?)
必死に考えをまとめようとしてもダメだった。
相手の立場になれない。
これだけは、受け入れられない。
拒否感が涙になって表れる。
「最悪なのは、クラウディアが権力者であることだ。与える影響は大きく、どれだけの犠牲を出しているのか、私も考えるのが辛い……っ」
普段は平静を崩さないノリス司祭も、このときだけは悲痛を滲ませた。
彼だって、この現実を見たくない、受け入れたくないのだ。
ただ未来のため、フェルミナのために教えてくれている。
フェルミナは、金やすりで体を削がれているような気分だった。
鞭で打たれたときより痛みを感じる。
宿でシャワーを浴びたときには、ありもしない傷口にお湯が染みるようで、また泣いた。
昔とは違う、他人に寄り添える自分がいた。
何も知らず、考えなかった頃のほうが、楽だったかもしれない。
でも――事実は変わらないのだ。
(この痛みは、きっと忘れちゃダメ)
傷を得ることが、時には必要だと学んでいた。傷があるから言葉に重みが増し、自分の善性を他者に伝えられるのだ。
そして自分の目で見て、感じたことを大切にする。ノリス司祭に言われたとおり。
今日のことは絶対に忘れないと、フェルミナは細部に至るまで手帳に記した。
◆◆◆◆◆◆
だが悲劇は、一か所にとどまらなかった。
明くる日も、ノリス司祭の案内でフェルミナは惨状を目の当たりにする。
教会の馬車を使わないのは、修道者がいると領民、難民問わず助けを求められるからだった。
手立てがあれば別だが、支援物資もない状況では余計な混乱を招くだけで、救いにならない。
また勝手な介入は、領主との軋轢を生んだ。
いくら人道支援であっても、領地のことは領主と相談する必要がある。こちらの動きで、彼らの救助を阻害するかもしれないからだ。
(ただ見て回るだけなんて拷問だわ)
助けられないなら、聖女様と崇められることもない。
二か所、三か所と巡る頃には、心に蓋をすることを覚えた。
少しでも現実だと認識すれば、精神がもたなかった。
自分は残酷な絵を見ているだけ。
そう、絶望が描かれた絵を見ているだけだ。
(もしかしたら、これがそうなのかしら)
クラウディアの心に宿るもの。
その一端を感じ取った気がして、胃液が逆流しそうだった。食欲がなく、胃液しか吐き出すものがないのは不幸中の幸いだろうか。
叫んでも救われない、悲しみのどん底。
この絵の中に、彼女はいる。
そして絵の中で、更なる絶望を描いているのだ。
不幸が、不幸を生み出す。
正にクラウディアは、「魔女」だった。
深呼吸して、鬱屈したものを落ち着かせようとしたとき。
ガクンッ、と体が前のめりになる。
危うく倒れそうになったところを、ノリス司祭が受けとめてくれた。
馬車が急停止した理由を質す。
「何があった!」
「この先の道がぬかるんで進めません! 引き返したほうが良さそうです!」
ノリス司祭は御者の提案を受け入れ、馬車が方向を変えるのを待った。
そこでうわっ、と御者が声を上げる。
状況を知りたくて、咄嗟にフェルミナはカーテンの隙間から外を覗いてしまった。
確認しなくても、周囲に惨状が広がっているのはわかっていたはずなのに。
一人、二人と停まった馬車へ近付く影があった。
御者が馬に鞭打ち、向きを変えるが、動きはゆっくりだった。
その間にも、人が近付いてくる。ボロボロの身なりからして難民だろう。
一人は赤子を抱え、乳房を露出させた女性で――。
「見るんじゃない」
ノリス司祭に視界を遮られる。
「でも、きっと助けを求めて」
「私たちにできることはないよ」
「せめて彼女だけでも乗せて、宿へ……!」
それができないことはわかっているだろうと、抱き締められる。
一人で終わる話じゃない。
馬車は方向転換を終わらせると人々が接近するまでに速度を出し、その場を離れた。
考えるまでもなく、本能で感じられる不幸があった。
(どうして、どうして、わたしがこんな辛い目に遭わなきゃいけないの?)
これも全部クラウディアのせいだ。
フェルミナは、迫り上がる感情を――。
こめかみが痛むくらい溢れる涙を、ノリス司祭の胸に押し付けた。