作品タイトル不明
29.修道者は緊張する
教会の本部へ行くには、山を越える必要があった。
国という体裁はなく、内陸部の山に囲まれた盆地に生活圏となっている町がある。
町は修道者や、本部がある大聖堂へ礼拝に訪れた旅人で賑わっていた。
整備された道を馬車で通る。
建物はシンプルな箱形のものが多く、全体的に白い。
起伏の乏しい風景は、雪原の中にいるかのようだった。
「教会の騎士は治安を守るための存在で、他国でいうところの警ら隊と同じだ」
剣ではなく棍棒を携えているのと、どんぐりに似た兜が特徴的でいればすぐにわかる。
教会は対外向けの軍を持っていなかった。持つ必要がないからだ。
山々が自然の防御壁なのもあるが、教会の本部へ攻め入ろうとする者がいるならば、先に周辺諸国が防衛にあたる。
(そもそも大陸にそんな不届き者はいないけど)
一つ可能性を上げるとしたら、教義の違うアラカネル連合王国だろうか。それだって、世情を考えれば現実的ではない。
「山を登るのに蛇行した道が続くから、気分が悪くなったら教えてくれ」
教会の本拠地とも呼べる大聖堂は、山の中腹にあった。
大聖堂前までは馬車で行けるものの、傾斜をなだらかにするべく道が蛇行していた。
定期的に左右へ振れるので、乗り物酔いしてしまう人もいるのだとか。
幸い、自分は大丈夫だった。
大聖堂を見るのも、訪問するのもこれがはじめてだ。
ずっと馬車に乗って移動していたので、遠くからでも眺める機会がなかった。
お馴染みになった白いベールを被り、ノリス司祭のエスコートを受けながら馬車を降りる。
「緊張しているね」
添える手が固くなっていた。
「だって……まだ信じられません。わたしが聖女認定を受けるなんて」
司祭は確信していたようだけれど、自分にとっては未知数だった。
決定の報せを受けても、まるで実感が湧かず、今に続いている。
特別なことは何もしていない。
本当に、ただ、自分が信じる「善きおこない」をしただけだった。
認定が決まった大半は、司祭の労力によるものだと思っている。
何せ、教会内部について、自分は全く知る由がないのだから。
宣言通り、根回しなど雑多なことは全て司祭が担ってくれた。
(凄い人なのよね、きっと)
如才ない黒髪の持ち主をちらりと見上げる。
島ではじめて顔を合わせたときから、司祭は何も変わっていなかった。
教会の内情については司祭から聞いた限りだが、それでも既存の勢力を黙らせることの大変さぐらいわかるつもりだ。
事もなげに有言実行を成し遂げた手腕は計り知れない。
馬車を降りた先では、騎士によって壁が築かれていた。一般市民へのお披露目は、認定式が終わってからおこなわれるため、まだ誰が聖女になるかは秘匿されている。
厳重に警備されているのを実感し、ふと、天を仰いだときだった。
「――――」
自分の認知を超えた大聖堂の巨大さに言葉を失う。
乳白色の柱一つをとっても視界に収まりきらなかった。大人十人分ほどの太さがあるだろうか。
それが廊下の屋根を支えるべく何本も並んでいた。
装飾の華美さはないものの、大きさという暴力の前では何も言えなくなる。
玄関口はさながら巨人の顎のようで、恐怖が歩みを止めさせた。
(怖い、だなんて)
神聖な大聖堂に似つかわしくない感情だ。
しかも自分は、聖女になるべく訪れたというのに。
上から大きな手で押し潰されているような圧力があった。
戸惑いが伝わったのか、司祭が優しく肩を叩いてくれる。
「さすがだ、早くも神の息吹を感じたのかな」
恐怖は、原初の感情。
だから未知のものに人が触れるとき、真っ先に恐怖を抱くのだと教義にも記されている。
「大丈夫、きまぐれな神は何人も拒まないよ」
ほら、深呼吸して、と促されて、大きく息を吐き、吸う。
人里から離れているからか、澄んだ空気で肺が満たされた。
今一度、大聖堂と向き合う。
二度目ともなると、恐怖は大分薄らいでいた。
司祭に導かれ、大聖堂の中へと進む。
全身が建物内に入るなり、空気が変わった。
外で大聖堂を見上げているときに感じた圧力がなくなり、体が軽くなる。
(認められたのかな)
きまぐれな神様に。
視線を落とした先にある床は大理石で、綺麗に磨かれていた。
影ではなく、自分の姿が映り込んでいるのが見えて、感慨深い。
(来たんだ、教会の本部、中枢に)
更にこれから向かう先は、関係者以外立ち入り禁止だった。
一般の参拝者が立ち入れない場所に、自分は足を踏み入れる。
修道者になった時点で、教会の関係者ではあった。しかし末端の修道者は、一般人と大差がない。
そんな自分が、国の王様ですら入れない場所へ赴けるなんて。
この感動をどう言い表せばいいのかわからない。
胸が詰まる。
目頭が熱を持っていた。
騎士に守られた扉の前へ到着する。
「ここが俗世との境界線だ」
司祭の指示を受け、騎士たちが二人がかりで重厚な扉を開く。
背丈の三倍はあった。中央の切れ目が徐々に広がり、向こう側にある景色を見せる。
――光があった。
台座の上、目に見える形で存在していることに驚く。
何てことはない、天窓から光が落ちているのだが、厚みがあるように見え、触れられるのではないかと錯覚してしまう。
「触ってごらん」
言われるまま、光の中へ手を入れてみる。
当然、何もない。
「きまぐれな神の存在を表したモニュメントでね。きまぐれ故、我らが神は決まった姿を持たないだろう? 信心する人々に合わせて、姿を変える。光を伴うときもあれば、闇のときだってね。夜になるとまた表現が変わるから、面白いよ」
少しの間、大聖堂でお世話になる予定なのもあってオススメされる。
ここが第二のエントランスのようなもので、別れ道の分岐点になっていた。
真っ直ぐ進んだ先の最奥に教皇の執務室があるという。
「明日の聖女認定式は、礼拝堂でおこなわれる。参列者は枢機卿をはじめとした、本部にいる関係者のみだ。その後、大聖堂前で、一般市民に向けた挨拶をおこなってもらう。今日の予定はもうないから、このまま客室でゆっくりして英気を養うといい」
司祭の言葉に、はい、と頷く。
大聖堂へ来てから、すっかり言葉数が少なくなっていた。
厳かな空気に呑まれて、上手く口が回らないのだ。
「認定後は、聖女用の部屋を使うから、客室に滞在するのは今夜だけだよ」
「専用の部屋があるんですか?」
「もちろん。大聖堂には教皇をはじめ、枢機卿には個人部屋が用意されている。他国へ出張している人たちの分も含めてね。聖女も同じさ」
客室に着くと、ノリス司祭とは一旦お別れだ。
また明日の式典前に迎えにきてくれる。
(ゆっくりするのにハードルを感じる日がくるなんて想像もしなかったわ)
基本的にどの部屋も天井が高く、広かった。
調度品たちが実寸より小さく見え、有り余る空間の相乗効果で少し寂しい。
それ以上に、大聖堂にいるという事実が、平常心を失わせた。
明日、教皇と顔を合わせることになるのを考えると、緊張で胃が縮む。
つい最近まで、末端の修道者に過ぎなかった自分が。
平民が王様に会うようなものである。色々すっ飛ばし過ぎじゃないだろうか。
教えられた礼儀作法については素養もあって、難しくなかった。
問題は、本番でとちらないかだ。
(ううう、自信ない……)
夜は長くなりそうだった。