作品タイトル不明
28.修道者は声援を受ける
「島から出た気分はどうかな」
男性修道者――ノリス司祭からの問いに、後ろを振り返る。
本土からは、波間に浮かぶ島が辛うじて確認できた。
「解放感がある、と言いたいところですが、後ろ髪を引かれる思いもあります」
一度は断っておきながら、結局、ノリス司祭の手を取ることに決めた。
あれから悩みを相談したところ、解決を請け負ってくれたのが大きい。
でもここに傷んだ赤毛のシスターはいない。
島から出たのは、自分一人だった。
「君を慕う人たちを置いてきたんだ。どうしても寂しさが募るだろう。けれど忘れないでほしい、君が特別な存在であることを。これからもっと多くの人の希望になることを」
深く頷く。
そう、自分には、新しい目標があるのだ。
被っていた殻から抜け出し、大空へ向かって羽ばたくときだった。
(島のシスターたちも応援してくれているわ)
別れは切ないけれど、赤毛のシスターも島を出ることを後押ししてくれた。
彼女たちの姿を思いだすと、唇が弧を描く。
確固たる思いを胸に、一歩踏み出す。
後悔はない。
自分にできることをすると決めたのだ。
ノリス司祭が価値を見出してくれたのは予想外だったけれど、これも行動した結果だった。
ならば歩み続けようと前を向く。
その姿を後押しするように、ノリス司祭は頷いてくれた。
港を出て、教会の紋章が入った馬車に乗り込む。
庶民が乗るような乗合馬車ではなく、貴族が乗るものと同じ仕様だった。
(司祭ともなると、乗る馬車も違うのね)
身なりの良さから、ノリス司祭の位が高いのは予想していた。
修道者を統括する身分である司祭と聞いたときは驚いたものである。先輩シスターが緊張するわけだ。
「司祭様は修道院からお出にならないと思ってました」
「普通はそうだね。一つの修道院に留まって、修道者の面倒を見るのが主な仕事だから。私の場合、宣教師という側面のほうに重きがあって、方々の修道院を巡り、宣教しながら知見を広げるのが主な仕事なんだ」
ひとえに司祭といっても、活動内容は多岐にわたるという。
特にノリス司祭は、これといった後ろ盾もなく、一修道者からこつこつと苦労を重ねて、今の地位にまで上り詰めていた。
「そのような背景があったなんて想像もしませんでした」
溌剌とした笑みが印象的な司祭は、どちらかというと貴族に似た雰囲気がある。
平民からの叩き上げだと言われなければ、ずっと気付けなかっただろう。
淡い碧眼が楽しそうに細められる。
「懐かしい話だ。君には必要ない苦労だよ。ぜひこの機会をものにし、聖女となって地位を固めてもらいたい」
聖女には枢機卿と同等の権威が与えられた。
とはいえ、活動内容が異なるので、枢機卿と並んで教皇に選ばれる権利はない。
ただ民衆への影響力は大きく、聖女の発言は枢機卿も無視できないという。
「ぽっと出のわたしが、聖女になれるでしょうか?」
最初、話を聞いたときは、司祭について行きさえすれば聖女になれるのかと思った。
そんな都合の良い話はなく、聖女候補者が何人もいる状況だという。
「心配は要らないよ。君には民衆の支持があるんだから」
「支持といっても、島内に限った話ですよね?」
一番のネックは、他の聖女候補者たちは、名のある枢機卿の縁者だということだ。
ここでも生まれの不平等が足を引っ張るのかと嫌になる。
自分には何の後ろ盾もない。
けれどノリス司祭から返ってきたのは、にっこりとした笑みだった。
「すぐにわかるさ」
馬車が人通りのある街道へ入る。
宿泊地である修道院に着くと、白いベールを渡された。
「聖女候補である証だよ。頭に被って、ゆっくり出ておいで」
先に司祭が降り、エスコートするべく手を差し伸べてくれる。
言われた通りにベールを被り、馬車から姿を現した。
瞬間。
「聖女様だ!」
「聖女様が到着されたぞ!」
「どこ? あたしも見たい!」
わっと喝采が上がり、目を丸くする。
大人に交じって、子どもの声もあった。
視線を巡らせば、修道院を取り囲むように民衆が集まっている。
石壁ではなく大きな柵で遮られているので、外の様子がよくわかった。
隣で、ノリス司祭が含み笑いをする。
「訪問した際に言っただろう? 聖女の噂は、本土にも届いていると。少年を庇って鞭で打たれた修道者の話は、とても広く伝わっているんだよ」
「まさかこれほどとは……どうして到着がわかったんでしょう?」
「私が前もって伝えておいたからね」
いつの間に。
タイミングとしては本土の港に着いたときぐらいしかないが、自分たちの到着より情報が早く届くものなのだろうか。ノリス司祭の底が知れない。
「君は人々の希望になる。その実感が少しは得られたかな?」
「はい……!」
「ならよかった。とはいえ、解せないことも多いだろう。少し休憩したら、君の状況や今後について説明しよう」
修道院の玄関に着き、立ち止まる。
何もせず入るよりは、挨拶をしておきたかった。けれど予想外の熱気に当てられ、上手く言葉が出て来ない。
感極まったまま、民衆へ向かってお辞儀をする。それだけでも人々は喜んでくれた。
◆◆◆◆◆◆
客室へ案内される。
木目調の部屋は、温かみに溢れていた。
石壁とは雲泥の差だ。床には絨毯も敷かれている。
部屋の手前には、来客用のソファーが置かれ、奥には職人仕立てのテーブルと椅子が、そしてベッドがあった。真っ先に布団の感触を確かめる。
藁とは違う、しっかりとした弾力を手の平に感じ、体が震えた。まともなベッドで寝られるのは、いつ振りだろう?
すぐにでも飛び込みたい衝動を抑える。
少ししたら、ノリス司祭から話がある予定だ。乱れた姿は見せられない。
集まった民衆の反応を思いだすと、自然に背筋が伸びた。
いくら支持されていても、だらしない姿を見れば、一気に手の平を返すかもしれない。
人の心は移ろいやすいものだ。慢心は禁物である。
ほどなくしてノックの音が響き、ノリス司祭を招き入れる。
「部屋はどうかな? 不備があれば対処するよ」
「とても満足しています」
粗い石造りの部屋と比べたら、どこも楽園だった。
ソファーに腰かけると、部屋の外で待機していた修道者が紅茶を用意してくれる。
修道院では自分のことは自分でする決まりだが、自分たちはお客として招かれていた。
「では聖女認定の現状から説明しよう。君以外にも立候補者がいること、彼女たちが枢機卿の縁者であるのは先に話した通りだ」
新たに聖女を認定すること自体は、広くわかりやすい象徴を立てることで、人々に希望を与えるのが目的である。
だが立候補については、教会内での権力者――枢機卿による代理闘争だった。
「言わば政治だね。教会も人が集まって運営する以上、派閥が生まれ、対立がある。こればかりはどうしようもない人間の性だ。どれだけ平和を愛し、信心深くても、管理、統括する者がいる以上、避けては通れない道だ」
同じ教義の下にいても、差異は生まれる。解釈が異なる場合もあった。
一人一人、全く同じ考えを持つということは不可能に近い。
少しでも他人に寄せるための軸が、教義だった。
「そのことは各国の貴族をはじめ、事情を知っている者には周知だ。そして彼らは思う、結局のところ教会も自分たちと変わらないのだと。良い意味ではなくね」
他者を思いやり、中立を保つ教会は、利己的な国とは違う。
だからこそ同じではダメなのだ。俗世の人々より、清廉潔白であることが求められる。それが常識と言われるまでに。
人々にとって、教会が自分たちと等しいレベルであるのは、落胆に繋がった。
わかる話だ。
勝手な話だが、教会には一歩先を歩いていてほしいのである。
そして自分を導いてほしい。
手を引いてもらうのに、横並びでは困るのだ。
「他と変わらぬ権力闘争に、一番辟易しているのは教会内部だよ。才ある者は、自分たちのあるべき姿を知っているから当然だね」
喉を潤すべく、司祭が紅茶を口に含む。
カップを置き、前屈みになった司祭は、両手を膝の上で組んだ。
正面から視線で射貫かれる。
「そこで、君だ。枢機卿と縁もゆかりもない、民衆に認められた本物の聖女が現れれば、誰が認定を受けるかは予想するまでもないと思わないかい?」
生まれの不平等に、足を引っ張られると考えていた。
むしろ、逆なのだと諭される。
「もちろん候補を出している枢機卿たちは反発するだろう。他の聖女候補者たちも民衆から支持されているとね。しかし彼女たちの場合、生まれ有りきなんだ。枢機卿の縁者という肩書きがあってこそ。だから結局のところ、それらの反発も、第三者から見れば利己的な行為に映る。教会の立ち位置を考えれば、誰を認定すべきかは、火を見るよりも明らかだ」
百年の一度あるかないかの聖女認定。
歴史ある祭典に、政治が介入するのは無粋でしかない。
「そう上手くいくものでしょうか?」
「先ほども言った通り、反発はある。君に直接嫌みを言う者も現れるだろう。けれど心配しないでほしい。私が君の盾になるし、何よりも君には民衆がついている。君の到着を聞きつけて集まった人々を見ただろう?」
大人、子どもを問わず、自分が為したことを彼らは知っていた。
「島の人だけじゃない、君は、話を聞いた人たちの意識すら変えたんだ。そして垣根を越え、今度は教会の希望になる」
「教会のですか?」
「権力闘争に辟易している修道者にとって、君の存在は新星だ。新たな風となり、光となって教会を照らす。急に言われても戸惑うだろうけどね」
どうやら利己的な身内を憂えている最たる人物が、ノリス司祭のようだった。
「表立って口には出さないが同じ意見の者は多いんだ。これだけは断言できる。私のような人間にとって、君は正に救いであるとね」
「救い……」
石壁に囲まれた狭い部屋の中で、それを求めていたのは自分だった。
あのときの自分に、未来では与える側になると言っても信じないだろう。
今ですら、どこかふわふわとして現実味がないのだから。
「大丈夫、君はいてくれるだけでいい。雑多なことは、全て私が手配するから」
「何から何までお世話になります」
「これぐらいどうってことないさ。聖女様に仕えられるなんて誉れだからね」
この日はこれでお開きとなった。
他の聖女候補者を歯牙にもかけないノリス司祭の姿勢は少し考えものだが、それだけ自分を信じてくれている裏返しでもあった。
(わたしは、わたしにできることをしよう)
たとえ聖女に選ばれなかったとしても、失うものは何もないのだ。
修道服を脱げば、背中に鞭の跡が見える。
島で少年を救ったのは、誰でもない自分だという証。
その自信を胸に、眠りにつく。
司祭でさえ、救いを求めているのだと反芻しながら。