作品タイトル不明
15.修道者は邁進する
電撃が頭の中を走ったように感じられてから、修道院にいるシスターとたくさん話した。
食事――得ることを忘れていた知識――を貪るように。
その結果、希薄だった人間関係が濃くなり、たくさんの人が挨拶してくれるようになった。
(前は、ただただ面倒だったけど)
挨拶で終わるときもあれば、ちょっとした情報をくれるときもある。隠れて手紙を渡されたときは驚いた。人前では話せないこともあるのだ。
中には、口うるさい先輩シスターの過去にまつわる噂もあった。何でも当時結婚していた夫から日常的に暴力を受け、修道院へ逃げてきたのだという。
似た経験を持つシスターは他にもいた。
(個人名を使わないのも、理由があったのね)
女性だけの修道院。
シスターで統一された呼び名は不便なことも多いけど、名前という個性をなくした生活をしたい人もいるのだ。
ついでに聞いた話では、いつも怒られがちなどんくさい子は、元貴族の令嬢らしかった。
修道院へ来る前については、暗黙の了解で聞き出すことが禁じられているものの、噂は絶えない。特に元の身分については、身についた所作からすぐにバレた。
炊き出しが好きな赤毛のシスターのように、自分から打ち明けてくれる子もいる。
話を聞いていくうちに、そういった子は、過去と向き合い、新たな自分へ成長しようとしている子だと学んだ。
手入れの行き届いていないバシバシの赤毛の彼女は、歳の離れた弟と妹を食べさせることが叶わず、失意で放浪している先で保護されたのだという。
炊き出しが好きなのは、こんな自分でも誰かの助けになれると感じられるからだそうだ。
前までは、笑顔が鼻につく子だった。
過去を知った今では、もう違う。
(よく無知でいられたものだわ)
自分の知っていること以外を全てシャットアウトしていた。
生まれてから自分が蓄えた知識なんて、ほんの僅かなものでしかないのに。
会話の中で誰かが言っていた。
蓄えた知識は、常識は、自分を象る偏見でしかないのだと。
これが正しい、と自分では思っても、それは自分の中だけの正解でしかなく、他者にとっては不正解である場合もあると。
どれだけ多くの人が賛同しても、正解だとは限らないとも。
聞けば聞くほど、迷路に迷い込むような話だった。
(わたしにはまだ難しかったわ)
やっと先日、思考回路が活発化したところである。
よちよち歩きをはじめたばかりの自分に、出口の見えない迷路を進むのはまだ無理だった。
(でも諦めない)
前までなら、小難しい話は総じて面倒と切り捨てていた。
けれど「知る」ことの大切さを学んでからは違う。
少しでも知識が吸収できると、新たな視点が生まれて楽しいのもあった。
世界は広いのだと、改めて教えられた気がした。
「ふう、こうして形になると、仕込んだかいがあるね!」
明るい声が思考の海から自分を引っ張り上げた。
土臭い倉庫。
日があまり入らないため、朝でも薄暗かった。
足下に目をやれば、木樽から瓶に移されたワインたちが綺麗に整列している。
畑で採れたぶどうを絞り、果汁を木樽で寝かせてお酒にしたものだ。
日頃の世話から収穫、と手に傷を作りながら励んだ日々が思いだされる。
改めて振り返ってみると、修道院が持つ農地の広さに驚いた。ぶどう畑以外にも、葉物野菜や根菜を植える畑もあるのだから。
「さぁ手を動かして! 瓶詰めが終わったら、梱包ですよ!」
のんびり感慨に耽る間もなく、いつもの先輩シスターから指示が飛ぶ。
うるさい怒号のような声も、誰もが理解できる話し方なのだと学んでいた。極端な話、言葉を理解できなくとも、気迫で急かされているのはわかる、といった具合に。
「休憩ぐらい許してくれてもいいんじゃない?」
知見を広めたとしても、それはそれ。疲れから出る不満は止められなかった。
一緒に作業をしていた赤毛のシスターが、笑いながらまとめた髪を肩へかける。
作業の邪魔になるので、自分も一つに結っていた。
瓶が割れないよう、藁で仕切りを作って箱詰めする。
十二本ずつワインボトルが入れられた箱を、次は小さな荷車に積んだ。
「せーの!」
重いため、シスターとタイミングを合わせて持ち上げる。
ガタンッ、と音を立てて積むと「慎重に!」と有り難い叱責が飛んできて、心の中で舌を出す。この程度で割れるほど、使われている瓶の厚さは薄くない。捨てられることはなく、何回も繰り返して使うので、より丈夫なものが選ばれていた。
ことあと、注文数と差異がないか確認され、修道院製のワインは出荷となる。
購入のあったお店まで運ぶのも自分たちだ。
(取りに来いっての)
というか梱包して、なぜ配達まで自分がやらないといけないのか。
不満は次から次へと湧いて出た。
壁穴から覗かれていた件もあって、町の人への心証は悪い。できるなら出かけたくないのが本音だ。
こんなときでも――今日は炊き出しじゃないのに――目の前にいるシスターは笑顔だった。
理解できない、と吐き捨てる自分はもういない。
「大変で、嫌だって思わないの?」
「だって結果が出るじゃない? ワインが売れれば修道院のお金になるし、丹精込めて作ったものが喜ばれたら嬉しいわ」
「喜ばれなかったら?」
「残念ね」
「それだけ?」
「うーん、次は喜ばれたらいいなって思う。いつも上手くいくとは限らないもの」
「徒労に終わっても、嫌にならないの?」
「あ、勘違いしないでほしいんだけど、つらいとは思うよ! 疲れるし、楽しくない作業だってあるわ」
「そこは同じなのね」
「そうそう! だからシスターがぼそって文句言うたび、わたしも同感って笑っちゃう」
「……あれって、共感した笑いだったの」
よく笑う子だと思っていた。
何にも不満を抱かない良い子なのだと。
「もしかして作業が楽しいと思ってた?」
「うん、てっきり」
「あはは、炊き出しとか気合いが入る催しもあるにはあるよ。けどわたしが楽しいのは、シスターと一緒だから!」
「え?」
「シスターって他の子と違って、すぐに文句言うじゃない? それを聞くとスカッとするし、わたしだけが感じてることじゃないんだって、他の人も同じなんだって救われるの」
加えて先輩シスターにも聞き咎められないよう加減しているところが好きらしい。
そんな捉え方をされているとは夢にも思わなかった。
「この修道院にいる人って、色んな事情を抱えた人が多いから……平均的っていうか、等身大? わたしは特別じゃないことが安心材料なの」
飢えに苦しんだ人、暴力に苦しんだ人。
不平等の名の下に生まれた、悪い意味で他とは違う人が集まる修道院。
自分は自由を望んだけど、彼女は平均であることを望んでいる。
そして不満だらけの自分と過ごしていて楽しいという。
先輩シスターには、これが自分の悪いところだと指摘されたというのに。
「あなたって、ちょっと変わってるわね」
「えっ、そうかな!?」
「安心して、特別っていうほどじゃないから」
なら良かったと、彼女はまた笑う。
気付けば自分も笑っていた。