作品タイトル不明
16.修道者は苦悩する
さすがに昼食を抜いてまで運搬しろと言われることはなく、人心地つく。
「重労働ばかり任されている気がするわ」
「あはは、当番制のはずだけどね」
仕事は平等に割り振られている。しかし自分ばかりが苦労しているように思えるのは、どうしてだろうか。
あなたの性格が悪いからよ、というのは先輩シスターの言葉だ。
確かにアカギレのある手は、皆一緒だった。
でも、と口答えしたくなる。
しんどいと感じているのは事実なのだ。
結婚相手の暴力から逃げてきた人からすれば、些細な悩みなのかもしれない。自分にとっては憂鬱この上ないのだけれど。
(まだ考えが足りないのかしら)
楽しく生きるためには。
まだまだ赤毛のシスターのように、屈託のない笑みは浮かべられなかった。
先輩シスターが近付いてくるのを見て、重い腰を上げる。
午前中に積んだワインを、町の料理屋へ運ぶ時間だった。
荷車の取っ手を持ち、引いていく。すっかり相方になっている赤毛のシスターは、後ろから押す担当だ。
修道院から町までは、なだらかな下り坂になっているので、今は逆に引っ張ってスピードを制御してくれた。
怠け心が巣くった胸のうちは曇天。
逆に空は晴れていた。上空では風が強いのか、雲が流されている。
乾燥で巻き上がる砂埃が顔に当たって痛い。
寒さのせいで、些細な衝撃にも肌が敏感になっていた。
男性からの視線は意識しないよう心掛ける。このときばかりは先輩シスターの存在に助けられた。小うるさい彼女も、男性からは守ってくれる。
町には商店が並ぶ通りがあり、露店の上では、日光で色褪せた布が張られていた。
(寂しい風景)
人通りが少ないからか、見える色彩が一辺倒だからか、心がちっとも沸き立たない。
どこかから漂う、小麦の芳ばしい香りが唯一の救いだろうか。
目的の料理屋も、入り口が大きく開け放たれ、行き場をなくした椅子が店からはみ出ている様は、綺麗とは言い難かった。ペンキもところどころ剥がれている。
無事にワインを届け終わると、あとは帰るだけだ。
荷車の前後の担当を替えたところで、鋭い声が通りに響く。
「ドロボー!」
人の動きが激しくなり、砂埃が視界を遮った。
(もうっ、迷惑この上ないわね!)
労働を強いられ、出てきたくもない町に来たことでストレスが上限に達していた。
早く帰って休みたいというのに、余計な騒ぎで歩みを止められて、殺意にも似た怒りが湧く。
騒ぎを聞きつけて、集まってきた野次馬も邪魔だった。
道が狭まって立ち往生してしまう。
(こっちは荷車があるから小回りが利かないのよ!)
口に出して文句を言いたいが、先輩シスターの目があるため、心の中に留めた。
「ねぇ、あの捕まってる子、小さくない?」
どうやら無事に物取りは捕まったらしい。
警ら隊に地面へ押さえ付けられている犯人を見て、赤毛のシスターがこちらを振り返る。
野次馬が引かない限り、荷車は動かせない。自分も前へ出てシスターの隣へ移動した。
「本当だ、少年だね」
「痩せててわからないけど、六歳くらいだよね?」
骨が浮き出た腕で、丸いパンを抱えている。
大人の力でねじ伏せられてしまえば、抗いようもない。
それでも少年は頑なに訴えた。
「小さな弟がいるんだ! 食べなきゃ死んじゃうよ!」
週に一度、多ければ二度おこなわれる炊き出しでは足りてないことは、彼の貧相な体が物語っている。
周囲からは、親は? どうせ路上生活者でしょ? と、眉根を寄せた声が届く。これだから家無しは迷惑なんだ、と少年を助けようとする者は誰もいない。
いや、一人いた。
「シスター、どうにかなりませんか? あの子は弟さんのために、盗みを働くしかなかったんです」
赤毛のシスターが先輩シスターへ訴える。
その間も、しきりに少年へ目を向けていた。過去の自分を思いだしているのかもしれない。幼い弟と妹を救えなかったことを。
先輩シスターは厳しい目付きで首を振る。
「罪は罪。どんな事情があろうと、犯した罪は償わねばなりません。盗みなら、大人十回、子ども五回の鞭打ちの刑です」
「そんな……!? 死んじゃいます!」
少年の体が鞭打ちに耐えられるとは到底思えなかった。
先輩シスターの答えに、自分も少年を凝視する。
現行犯の場合は、その場で実行されるようで、少年は取り押さえられたまま地面の上で座らされた。もう一人の警ら隊員が腰に携えていた一本鞭を取り出す。
野次馬を見る。
目を背ける者もいるが、この場を立ち去る者はいない。
少年が受ける痛みを想像したのか、表情を歪ませながらも、瞳は爛々としていた。
(何よ、これ……)
以前なら、野次馬の表情など気にならず、自分と関係ないことに興味などなかった。
でも人とたくさん話すようになって、観察するようになって、修道院の中では道が開けた気になっていた。
けれど、この光景は。
(なんて歪んでいるの)
罪は罰さなければならない。
現行犯で刑が執行されるのは、見せしめのためだ。同じ過ちを起こさせないための警告だった。
だというのに、実際はどうだろうか。
(単なる見世物じゃない)
野次馬から少年への同情は一切感じられない。
表面上は痛々しい顔をしながらも、地面へ両膝をつく少年を見下ろし、愉悦に浸っている。
非日常を楽しんでいるのだ。
(覗きと同じだわ)
修道院の壁に出来た穴から、内部を覗いていた男たち。
ぞっとしたときの記憶が蘇り、胃液が迫り上がってくる。舌の付け根に苦みが走った。
(この町が異常なの?)
離島という環境がそうさせるのだろうか?
それとも。
(これが、世の、普通だというの?)
見世物になった少年は、鞭打ちの恐怖から体を震わせていた。
震える口から漏れる声は小さくて聞こえないが、血の気が引いて、顔が真っ青になっている。
今か、今かと鞭打つ瞬間を待ちわびる野次馬たち。
(歪んでいるわ)
ぐっと拳を握る。
騒ぎを聞きつけて集まった野次馬と、自分が一緒にされるのは嫌だった。
赤毛のシスターが先輩シスターに縋る。
「お願いします、シスター! 助けてくださいっ、鞭打ちなんて、耐えられません!」
「無理です」
切なる訴えは、厳格の前で膝を折る。
先輩シスターは自身が法であるようだった。無表情を保ち、前を見据えている。
野次馬が持つ好奇こそないものの、無機質な壁に感じられた。
少年と先輩シスターとの間で視線を行き来させる。
そんなことしかできない。
遂に警ら隊員が、鞭を持った手を振りかぶる。
その動作が、殊更ゆっくりと見えた。
止めるなら今しかない。
(でもどうやって?)
わからない。
隣にいる赤毛のシスターは、目に涙を溜めていた。
野次馬はむしろ面白がっていて、盗みの被害者である店主はふんぞり返っている。
(どうすれば、この子を救えるの?)
わからない、わからない。
ぼろ切れのような服をめくられ、背中を出した少年は、ごめんなさい、もうしませんと泣き叫ぶ。
(わからないわ! どうすればいいっていうのよ!?)