作品タイトル不明
28.悪役令嬢は司祭の訪問を受ける
パトリック夫人とは、刺繍の会で一つ起点を作れた。
クラウディアが簡単に言いなりになる人物ではないと、夫人もさすがに理解したことだろう。
「前進したわよね」
「はい、刺繍の会のあとから、お手紙が一段と増えていますよ」
「良いことよね?」
「はい。滅入らず、頑張って処理していきましょう!」
わかっていたことだが、商館に関する書類仕事が増え、机の上には手紙の山が築かれていた。
手伝ってくれるヘレンが唯一の救いである。
(お兄様に頼ってばかりではいられないもの)
ヴァージルなら喜んで応えてくれるだろう。
けれど自分はいつか家を出る身だ。
線引きは必要になってくる。
「商館の担当者が来るのはいつだったかしら?」
「二日後に来訪予定です」
「……頑張りましょう」
「はい!」
担当者も大忙しだった。
商館のことを除けば、あとに控えているのはトーマス伯爵夫人の夜会だ。
こちらも一筋縄ではいかないだろう。
それでも刺繍の会で前進できたおかげで、少し気が楽になっていた。
やはり経験は大事だと、しみじみする。
ヘレンが無心で手紙の封を切る音が部屋に響く。
クラウディアは積まれていく書類を優先度順に分類していった。
日中は文官を付けているのだが、書類が溜まってくると夜も処理せざるを得ない。
「そろそろ夜勤もお願いすべきね」
「仕事量が増えてきましたから、人数を増やしても良いと思います」
今までは取り扱っていたのが自領の特産品だけだったので、問題さえ起こらなければ、忙殺されるようなことはなかった。
これからはそう言っていられないのを、ひしひしと感じる。
担当者との相談事項もまとめておいたほうが良さそうだ。
頃合いを見てヘレンが紅茶を淹れてくれる。
その香りに安らいでいると、突然の来訪が告げられた。
「司祭様が?」
お妃教育でお世話になった修道院の司祭様が、クラウディアに会いに来ているという。
予定になかったことだ。
どうするか伺う侍女に、応接間へ通すよう伝える。
「何かあったのでしょうか」
「でないと、こんな時間には来ないでしょうね」
しかも予約すらなく。
緊急性を察し、手早く身支度を整える。
応接間のソファーに座った司祭は、見るからに憔悴していた。
「お久しぶりです、司祭様」
「急な来訪にご対応いただき、ありがとうございます」
「お話をお伺いしますわ」
挨拶もほどほどに本題へ移る。
クラウディアの対応に、司祭はほっと肩の力を抜いた。
「すみません、ご相談できるのがクラウディア様しかおらず……」
手順を踏もうとしたものの、いても立ってもいられなくなり出向いたのだという。
「以前お話しした通り、施工主を見付けて、修道院の取り壊しの目途が立ったんです。そこでようやくクリスティアン様の墓前でご報告させていただきました」
過去に囚われないでください、というクリスティアンの言葉に従い、司祭は行動した。
なのに、と続く言葉が途切れる。
司祭の手が震えているのを見て、クラウディアは紅茶を飲むよう勧めた。
「ゆっくりで大丈夫ですわ」
「いただきます……ふぅ……」
喉を潤し、呼吸を整えるのを見守る。
区切りを付けるよう目を閉じた司祭は、目を開けるなり告げた。
「幽霊がまた出たのです」
「あの、城壁塔へ向かう髪の長い霊がですか?」
「その通りです。きっとクリスティアン様には、まだ何か伝えたいことがあるに違いません!」
自分だけの供養では足りないのだと、眉根を歪ませて語る。
「墓地に赴いたときにも違和感があったんです。まるで何かが墓から蘇ったような……!」
一時、落ち着いたが、話すうちに司祭がヒートアップしていく。
鬼気迫る表情に、クラウディアもすぐには言葉を返せない。
「クリスティアン様は私のおこないに怒っているのでしょう。身勝手にも、死に際を流布したのですから当然です」
「司祭様……」
「私の罪を責めておいでなのです。これは私が償うべき罪です。ですから私は、周りに被害が出てしまう前に生け贄になろうと思います」
それで怒りは治まるはずだ。
すぐに行動したかったが、唯一、経緯を知っているクラウディアには報告しておくべきだと考え、来訪したのだという。
「司祭様、お待ちください」
「もうこれしか方法はありません!」
クラウディアの知っている司祭とは別人のようだった。
優しい顔がなりを潜め、頑なに自分の考えに呑み込まれている。
クラウディアは立ち上がって司祭の隣へ腰を下ろすと、深いシワが刻まれた手を取った。
「司祭様、思いだしてください。クリスティアン様はどんな方でした?」
「クリスティアン様は……」
「奉公人の少年にも優しく接する方ではありませんでしたか? そんな方が生け贄を求めたりするでしょうか?」
「それは……しかし……」
幽霊に道理を求めるのは間違っているかもしれない。
けれど司祭は明らかに錯乱していた。
思考の整理を助ける必要がある。
「第一、生け贄を求める霊は、別の霊ではありませんか」
夜な夜な生け贄を求める白いドレスを着た女の霊は、修道院のある地域に昔から伝わっていた話だ。
髪の長い霊――クリスティアンとは何の関係もない。関係があるとしたら、同じ地域にいたということぐらいだろう。
「わたくしが劇場でお会いしたクリスティアン様は、爽やかな笑顔が素敵な好青年でしたわ。司祭様にとっては違うかしら?」
「いいえ、私にとっても、よき青年でした」
「ならば今一度、よく考えてください。司祭様が犠牲になることを、クリスティアン様は喜ばれるかしら?」
恋人を亡くした失意から、この世を去ったクリスティアン。
その恋人は貴族社会の犠牲者だった。
「あぁ、私は、とんだ考え違いを……っ」
「きっと無意識のうちに疲労が溜まっておられたのですわ」
それだけでは説明がつかないような錯乱ぶりだったが、指摘しても詮無きことだ。
今は司祭が変な気を起こさないことが大事だった。
「今夜は屋敷に泊まってください。夕食はお済みですか?」
「お恥ずかしながら、思い立つなり、馬車に乗ったもので……」
「まぁ、いけませんわ。空腹は心を蝕みます! すぐにご用意させますわね」
悪い方向へ思考が流れるときは、睡眠や食事を取ることで解消されやすい。
おいしいものを食べて、好きなことに集中するのが一番だ。
「司祭になってまで、私は何を学んできたのか。クラウディア様には頼りないところばかりお見せしてしまい、申し訳ありません」
「何をおっしゃいます、困ったときはお互い様ですわ。司祭様も人間です。疲れたときは、のんびりしてくださいませ」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
侍女に引き継ぎ、念のため様子を見るよう頼んでおく。
幸い、しばらく経ってから確認すると、談話室で継母のリリスと和やかに談笑していた。
すっかりいつものコアラに似た表情に戻っていて安心する。
「憑き物が落ちたようですね」
「そうね……クリスティアン様に関することは、どうしても敏感になってしまわれるのでしょう」
だとしても生け贄になると言い出したときは驚いた。
ぐるぐると思考が空回りする中で、絡まってしまったのか。
「しかしまた幽霊が出たなんて、穏やかではありませんね」
「ええ、いっそ原因を探るより、取り壊してしまったほうが早いかもしれないわ」
乱暴だが、髪の長い霊は城壁塔の近くで目撃されている。
「未練がある場所がなくなれば……あてもなく彷徨うことになるのかしら?」
それはそれで問題か、と思ったところで首を傾げる。
「なぜ城壁塔の近くなのかしら。クリスティアン様が亡くなったのは自室よね」
「そうですね、恋人は馬車にはねられたとお聞きしました」
クラウディアたちが目撃したとき、長い髪の霊は渡り廊下にいた。
どちらの場所にも結びつかないように感じる。
「司祭様は修道院に戻って大丈夫でしょうか?」
「心配ね。修道者の方々に様子を見てもらうようにしましょう」
取り壊しに先立って、移転すれば心の整理もつくだろう。
それまで気にしてもらえるよう、かつての先輩修道者宛に手紙を認める。
クラウディアができるのはここまでだ。
助けたくても、幽霊が相手となれば、何をしたら良いのかわからない。
せいぜい幽霊に詳しい人間を探すくらいだろうか。
(伝えたいことがあるなら、劇場のときのように話をしてくださったらいいのに)
自室の窓から、真っ暗になった外を窺う。
髪の長い人影は、どこにも見当たらなかった。