軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17.悪役令嬢は気付く

掃き掃除を終え、長椅子を並び直したところで、お昼を迎えようとしていた。

昼食はない。

けれど慣れない環境のせいか、空腹は感じていなかった。

なんだかんだ一番大変なところは先輩修道者たちがやり、クラウディアは簡単な手伝いをするだけで済んでいる。

お腹が空かない原因は、どちらかというと後者にありそうだった。

次はどこに配属されるのだろうかと指示を待っていると、司祭が顔を出す。

「どうですか、修道院での暮らしは?」

「皆さんのご配慮のおかげで、無理なく過ごさせていただいております」

ヘレンが危惧していたような嫌がらせは一切なかった。

むしろその逆で、ずっと先輩修道者が世話を見てくれている。

これでお妃教育になるのか心配になるくらいだ。

クラウディアの考えを見透かした司祭がにこにこと笑う。

「苦労を知ることは大事ですが、必ずしも実体験である必要はないんですよ」

何も知らないよりは、本の知識でもあったほうがいい。

文字でしか知らないよりは、自分の目で見たほうがいい。

当事者を知らないよりは、現場の声を聞いたほうがいい。

「追体験することで、身近に感じられるようになります。その分、記憶にも残りやすい」

知って、忘れないことが大事なのだと司祭は言う。

「ずっと意識している必要はありません。ふとしたときに思いだせたら十分です。頭の引き出しに残った記憶は、あなたの知恵となり力となるでしょう」

城を案内しましょう、と誘われ、司祭に続く。

広間を出て廊下へ。

コツコツと石畳が音を鳴らすのを聞きながら、着いたのは一階にある回廊だった。

「壁にかかっている肖像画は、歴代の城主のものです」

「サンセット侯爵家の分家の方々ですわね」

「その通り。この地がサンセット家から王家へ譲渡されたあとも、城主はサンセット侯爵家の方が務めました」

額に飾られた人の多くは、金髪に紫目を持っていた。

分家の中でも、サンセット侯爵家の特徴がよく出る血筋だったようだ。

等身大で描かれたバストアップの絵が年代順に掲げてあった。

「司祭様は本家の方とも交流があると聞きましたわ」

「ええ、パトリック様やアレステア様のことは、生まれたときから存じ上げています」

司祭は、サンセット侯爵家が古城を寄付してからの付き合いだという。

「引き続き侯爵家が管理するのではなく、寄付された経緯をご存じですか?」

「理由を伺ったわけではありませんが、城主を務めていた分家が断絶し、王家の顔色を窺われたのではないかと」

妥当な線だった。

最初こそ人手不足だったとしても、王家としては行政官を派遣したかったはずだ。

歴代城主を務めていた分家が途絶えたのは、良いきっかけになっただろう。

「教会へ寄付すれば、古城は教会のものとなります。少なくとも建物だけは、王家の意向から外すことができます」

サンセット侯爵家は、せめて上物だけでも残そうとした。

無念にも終わりを迎えることにはなったが、少なくとも分家が途絶えてから五十年ほどは、目論見通りにいった。

司祭と長い付き合いなのも頷ける。

侯爵家にとって司祭は、城の次なる守り手だったのだ。

修道院の利用も広間から客室、あとは生活に必要な調理場などに留め、執務室や私室は使われていないという。

歴代の肖像画を眺める。

こういった絵は、客から注文が入るため得てして美化されやすい。縁談の際に渡す釣書に付ける絵姿もそうだ。

額の中の城主たちも、もれなく美しい顔立ちをしていた。

その袖口。

家紋をあしらったカフスを見た瞬間、ドクン、と心臓が大きく脈打つ。

(うそ……)

見覚えがあった。

逆行前も併せて、人生で見たのは一度きりだったけれど、間違いない。

劇場で出会った、美しい青年と同じ家紋だ。

(分家の血筋だったの? いえ、そんなはずはないわ)

もう何十年も前に分家は途絶えている。

「この家紋は、他の分家でも使われていますか?」

「え? いいえ、今はもう使われていない家紋ですよ」

当然の答えだった。

家紋が引き継がれていたなら、途絶えたとは言わない。

それにサンセット侯爵家ほどの名家の分家の家紋を、クラウディアが覚えていないはずがないのだ。

では、あの青年は一体――?

(古着屋で購入したのかしら?)

これも線としては薄い話だ。

調度品を処分する際、中古品として古物屋に売られることはよくある。

けれど家紋が入ったものとなると話が変わった。

クラウディアのように他家の家紋を一通り覚えているのは稀だ。大体の貴族は関わりのある家のものだけを覚える。

地方に行くほど顕著で、主流の家紋は覚えていても、その分家までは覚えていないことが多い。

そこで家紋の入ったものが中古品で売られていたらどうなるか。

詐欺をしろと言っているようなものである。

カフスはその代表例だ。

身に着けているだけで、貴族を装えるのだから。

基本的に特注で作られることもあり、カフスなどは在庫管理が徹底されている。処分の際も――それこそ家が途絶えない限り、破損しても修理して使うものだが――流出しないよう木っ端微塵に壊される。

(運良く手に入れたのかしら?)

人はミスをするものだ。

壊されず、残ってしまったカフスがあったのかもしれない。

(劇場へ侵入するために貴族を装った? でも、何のために?)

自分に話しかけるのが目的だったとして、青年に何の得があったというのだろう。

ただ演劇の感想と、恋人との馴れ初めを聞いただけである。

あれ以来、青年とは会っていない。

加えて、なぜか「美しい」という印象しか思いだせなかった。

キラキラと輝く金髪を覚えている。瞳が紫色だったことも。

鼻筋も通っていた気がするのに、細部になった途端、記憶が霧散していく。

(人の顔を覚えるのは得意だと思っていたのだけれど)

娼婦時代のクセもある。客一人一人の特徴を、色んなものと関連付けて覚えていた。

だというのに、青年の顔だけはぼんやりとしか浮かばない。

一人で首を傾げていると、隣でヘレンが司祭に訊ねる。

「司祭様は、噂されている幽霊についてご存じではありませんか?」

城の敷地内に現れる以上、縁があるのではと、ヘレンは考えたようだ。

「私も皆様と同程度のことしか知らないんです。髪の長い霊がどうして現れるのかさえ、わかっていません」

「そうなんですね……経緯がわかれば、何か対処できるかもしれないと思ったんですけど」

「お力になれず、すみません。ヘレンさんもクラウディアさんも昨晩のことがあったばかりですから、不安ですよね。もし滞在を続けるのが難しいようであれば……」

「その心配には及びませんわ」

中断してもいい、という司祭の提案をやんわりと断ったのはクラウディアだ。

ヘレンも頷く。二人とも、お妃教育を中断する意思はなかった。

ここで逃げ帰れば、パトリック夫人の思うつぼだ。

「司祭様や他の修道者の皆様が問題なく生活しておられるのです。それにわたくしは騎士たちに全幅の信頼を寄せておりますから」

存在を消しているが、今も護衛騎士が近くで待機していた。

要所には警備の者が立ち、昨晩のことがあって、城壁塔も見回りの対象になった。

これで枕元に幽霊が立つことがあれば、存在を認めよう。

けれど、そんな話は聞いたことがなかった。

髪の長い女の霊についても、遠くからの目撃情報があるだけで、触れられるほど近くで見た者はいない。

ハッキリと断言するクラウディアに、司祭の目元が綻ぶ。

「クラウディアさんたちの滞在は、修道者たちにも勇気を与えるでしょう。彼らも残りわずかの滞在だからと、気を奮い立たせているに過ぎませんから」

広間の正面入り口にある掲示板について教えてくれた先輩修道者が脳裏を過る。

彼女も動物たちの失踪が関連しないか、気にしている様子だった。

「司祭様はどのように考えておられますか?」

「幽霊の存在については否定も肯定でもできません。教会では、きまぐれな神の、奇跡の産物だとは考えていませんから」

教会の教えに幽霊への対処法などがないことからも、彼らが関知する存在でないことが窺える。

否定しないのは、幽霊が土着のものだからだろう。安易に否定すれば、その場に住む人々のことも否定してしまうことになりかねない。

宣教において、住民と軋轢を生むのを教会は是としていないのだ。

だからか不思議と幽霊に関することで人々が助けを求めるのは、警ら隊ではなく修道者だった。

「私個人としては、ただただ安らかに眠ってくれるのを祈るばかりです」

「怖くはありませんか?」

「はは、もう棺桶に片足を入れているような歳ですからね。子どもの頃ならまだしも、今となったら、お迎えに来たのかな? と思うくらいです」

司祭自身は幽霊を目撃したことがないと言う。

「司祭様には、ずっとご健勝でいていただきたいですわ」

心からの言葉だった。

ありがたいことです、と司祭は朗らかに笑う。

司祭の顔には、常に温もりがあった。

しわがれた手も指が短いせいか丸く見える。

広間での説法もそうだが、司祭の声は、暖炉の前で火がパチパチと爆ぜるのを聞きながら、絵本を読んでもらっているような、安らぎに満ちていた。

角のない丸い見た目以上に、声にこそ、司祭の人柄が現れている。

サンセット侯爵家では親子で師事されているのがわかる気がした。