作品タイトル不明
16.悪役令嬢は生活に徹する
「母が元々、苦なく家事をする人で。わたしが手伝う折、なんとか楽しませようとしてくれたのが大きいかもしれません」
日々の繰り返し。
放っておけば埋もれていく日常。
その中で小さな喜びを見付ける方法を、ヘレンの母親は娘に伝授した。
「でも一番励みになるのは、仲間がいることですね。一人だと辛い仕事も、仲間がいれば、疲れたね、でも達成感があるね、って分かち合えるじゃないですか」
「そうね、ヘレンの言う通りだわ」
どんなに自分を励ましても、壁打ちでは限界がある。
思いのほか、自分を愛するのは難しいものだ。
でもそんなとき、誰かが声をかけてくれれば、俯瞰して見ることができた。
自分の頑張りを素直に認められた。
「いつだって、ヘレンはわたくしに前を向く勇気をくれるもの」
ありがとう。
感謝を込めて笑顔を向ければ、ぎゅっとヘレンが目元に力を入れる。
「ヘレン?」
「すみません、あまりにもクラウディア様がお美しくて」
「何言っているの」
どこで感極まったのか、瞳を潤ます侍女の背中を叩く。
すすぎ終わった洗濯物が、クラウディアたちの出番を告げていた。
◆◆◆◆◆◆
風がクラウディアの黒髪を攫う。
同時に隙間なくロープに干された洗濯物がバタバタと音を立てた。
ふわりと広がる石けんの匂い。
洗濯物が干し終わった光景に、うん、と頷く。
「ヘレンの言っていたことがわかる気がするわ」
一面に並ぶのがシーツでなくても、やり遂げたのは一緒だ。
濡れた衣類には重みがあり、気付けばクラウディアのこめかみにも汗が浮かんでいた。
「やりきると気持ち良いですよね」
「ええ、一仕事終えたって感じるわ」
生活の中の、小さな一区切りだったとしても。
満足げにヘレンと顔を見合わせていると、先輩修道者が保湿クリームを持ってきてくれた。
「どうぞ、水仕事の終わりには、必ずクリームを塗るようにしているんです」
先輩の手にはあかぎれがあるものの、ないときに比べればだいぶマシだという。
「サンセット侯爵家が援助してくださってるので、物資は豊かなほうなんですよ」
「この城自体、サンセット侯爵家からの寄付でしたわね」
「そうです。土地に縁があるおかげで、ずっと援助していただいています」
クラウディアたちも来るときに使った通りを、このまま郊外へ進んでいくと、サンセット侯爵領へ着く。
王都全体が元はサンセット家のものだったことを鑑みれば、縁が深いのも道理だ。
「現在では王家の直轄領ですけど、分家のお墓も移転されることなく、城からほど近い林に残ったままです」
林には周辺住民のための墓地があり、その一角に分家の人々も眠っているという。
「さぁ、一息ついたら次は掃除です。保湿クリームは水仕事をする際の備品入れに常備してありますから、いつでも使ってくださいね」
掃除場所は、朝お祈りをした広間だった。
庭から向かう道中で、話に上がっていたサンセット侯爵家の馬車を見かける。
「ああ、いつもあんな感じで物資を運んできてくださるんです。あとはパトリック様が直々に小切手を持ってきてくださったり」
「直接持って来られるのですね」
郊外にある修道院へ貴族が足を向けるのは珍しい。
領地が近いといっても、それならそれで領地の修道院へ行くものだ。
「ご当主も含め、パトリック様も司祭様の教え子だからだと思います。昔はよく侯爵家のお屋敷に呼ばれていたと聞いていますから」
貴族が教師として修道者を呼ぶのはよくある。
教会の教えを聞き、そこで倫理観を学ぶのだ。
大体は王都にいる権威の高い順に声をかけるのだが、サンセット侯爵家は違った。
司祭は修道院のトップではあるものの、教会の組織図から見れば、さほど地位は高くない。
(予想以上に繋がりが深いのね)
分家が城主を務めていたことも含めて、この地はサンセット侯爵家にとって重きをおく場所のようだ。
だったらなぜ王家へ譲渡したのか。
少し気になるが、箒とぞうきんを渡されたところで思考は途切れた。
「掃除は高いところからおこなうので、まずは壁や窓をから拭きしてください。そのあと、床を掃いていきます」
広間は他より天井が高い。
そのため壁の掃除にはハシゴが用意されていた。
移動しやすいように、まずは並べられた長椅子を広間の端へ寄せていく。
毎日するにしては中々の大掃除だ。
「さすがに他の部屋はここまでしませんよ。普段、広間は礼拝堂として一般公開されているので、人の出入りが激しいんです」
修道者だけでなく、周辺住民もお祈りに来るという。
外からの来客が多いと汚れも溜まりやすい。また住民たちが気持ち良くお祈りできるよう、清潔さを保つよう心がけていた。
クラウディアの滞在中は、警備の面で休止されている。
「ご迷惑をおかけしていますわね」
「気にしないでください。クラウディアさんの滞在がなくても、取り壊しは決まっていますから。既に移転先の修道院を利用されている住民の方も多いですよ」
取り壊しがはじまれば、今いる修道者たちは司祭も含めて全員、そちらへ配属される。
「施工主が決まらないのが難点ですが、次の修道院への移行期間が長くなったと思って、わたしたちは過ごしています」
早めに移動してしまうと、城に人がいない期間が生まれてしまう。
その隙にならず者がやって来ないと限らないので、治安のために修道者たちはギリギリまで滞在することが決まっていた。
「司祭様は子どもの頃からお過ごしなので、離れがたそうですけど」
喋りながらも手は止めない。
クラウディアはハシゴを支えるように言われ、先輩修道者が慣れた手つきで壁を拭くのを手伝う。
次の行動を考える前に指示が飛んでくるので、ひたすら言われた通りに動くのを繰り返していた。
拭き掃除が広間の正面に差し掛かったところで、掲示板があることに気付く。
食堂から来るときも、庭から来るときも中へ続く廊下を通ってきたので、正面入り口を見たのはこれがはじめてだった。
壁上部の拭き掃除を終えた先輩修道者がハシゴを降りてくる。
そこでクラウディアの視線に気付き、掲示板について説明してくれた。
「礼拝堂の使用スケジュールや地域のニュースなどを貼り出しているんです」
中でも数件の張り紙が目を引く。
「血統書付きの犬が行方不明なのですか」
「ええ、商人が飼われていた犬だったと思います。他にも数件、ここ数ヶ月で動物が行方不明になることが続いているんですよ」
犬に限らず、動物の種類は鳥や猫と様々だった。
大きいものでは羊なんかもある。
「常に一件ぐらいはあるものなんですけどね。猫なんかはいなくなったと思ったら、他で家族を作ってたりしますから」
また猫は、死に際を人に見せないともいう。野生の本能が残っている分、弱った姿を人に見せようとしないのだ。
飼い主は諦めきれず探してしまうけれど。
「一つ一つは、不思議ではないんですけどね。血統書付きの犬も、庭で放し飼いだったと聞いていますし、羊も脱走しますから」
動物の機微を全て理解するのは無理がある。
けれど短期間に重なると、何かあるのではと勘ぐってしまう。
「どうしても幽霊話が頭を過って……、いえ、そんなはずないんですけど」
夜な夜な生け贄を求める白いドレスを着た霊。
昨夜クラウディアたちが見たのは、髪の長い女の霊だが、白いドレスを着た霊も噂になっている。
関連付けて考えてしまうのは仕方なかった。
(もしかしたら動物の失踪が霊の正体かもしれないわね)
偶然にも動物がいなくなる事件が続く。
原因がわからず、不安になる心が生け贄を求める幽霊を作り上げた、というのはありそうな話だ。
(髪の長い女の霊は、目撃情報があるから厄介だわ)
往々にして、幽霊の噂は、目撃者の情報が曖昧だった。
友だちの友だちから聞いた話、という風に、個人の特定ができないまま、噂だけが広がっていく。
夜な夜な生け贄を求める白いドレスを着た霊も、例に漏れない。
人や動物が襲われたという幽霊話はあっても、実際の痕跡は確認されていないのだ。
だからあくまで噂なのである。
髪の長い女の霊は、それと一線を画していた。
目撃者はクラウディア自身。
疑う余地などなかった。
護衛騎士が一緒だったから、幽霊がパトリック夫人の仕込みである可能性もない。騎士団は国王や王太子の管轄であり、王妃といえども好きにできなかった。
特に今回はクラウディアのため、シルヴェスターが編成していた。
そもそも安全が確保されているから、滞在先として認められている。
(結局のところ、幽霊の有無は関係ないのよね)
害がないのなら、いてもいなくても同じ。
(考えるだけ無駄なのかもしれないわ)
ハシゴを使った作業が終わり、今度は先輩修道者と手に届く範囲の壁と窓を拭いていく。
クラウディアは与えられた仕事に集中することにした。