作品タイトル不明
42.王弟殿下は王太子殿下の婚約者に見惚れる
もう何度訪れた場所かわからない。
だというのに、今朝は特別緊張している自分がいた。
王城の大広間には国内外を問わず多くの貴族が集まっている。
中にはアラカネル連合王国の王太子、スラフィムの姿もあった。
結婚式に比べれば招待客は限られているだろうに、この数だ。
シルヴェスターの本気が窺え、溜息をつきたくなった。
「あなたが緊張してどうするんです?」
「うるさい」
目敏い副官の綺麗な顔を殴ってやりたい。
「オマエはよく笑っていられるな」
「我が君の喜びは、ぼくの喜びでもありますから」
「どうだか」
レステーアのクラウディアに対する献身に嘘はない。
けれど彼女の歪みきった心が素直に祝福しているとは到底思えなかった。
今日も今日とて麗しの男装姿だ。
ラウルは注意するのを止めた。
今日の主役である二人が一番気にしていないのだ、自分が小言を言うのもバカらしい。
クラウディアの兄であるヴァージルでさえ意外にも見咎めなかった。
礼節に厳しい印象があるが、妹の意見が最優先らしい。
リンジー公爵家は大広間の一等席に当然ながら陣取っていた。
そのほど近くに見知らぬ少年が立っているのが気になる。
「あれがキールという少年探偵か」
「リンジー公爵家が後見人になるくらいには優秀なようです」
婚約式という場で近くに置いているぐらいだ。
よほど気にかけているのだろう。
「件の村についても独自に調査を進めていたと聞くからな」
ナイジェル枢機卿が関わっている村についてはラウルへも打診があった。
もっともハーランド王国ではなく、バーリ王国にも同様の村はないか、という内容だったが。
巨大な山脈によって国境が隔てられているおかげか、今のところ該当する村は見つかっていない。
ぐっと拳を握る。
クラウディアが事件に――当初は事故と考えられていたが――巻き込まれたと知っても、ラウルには為す術がなかった。
(何が選択肢を残しておいてやれ、だ)
偉そうに忠告しておきながら、この国でラウルは無力だった。
当然といえば当然だ。
ハーランド王国においてラウルは客人であり、部外者でしかない。
協力できたのは、クラウディアの不在がバレないよう影武者と対談したくらいだ。
逆にここでは部外者という立場が役立った。
隣国の王族と長時間話している相手が影武者だと、誰が想像するだろうか。
ラウルの献身あってこそ偽装は完璧になったが、胸の痛みは治まらなかった。
後日、クラウディアから協力を感謝されても、膿んだ傷口のようにじくじくとした痛みが残った。
(シルヴェスターがクラウディアを助けた)
最も必要なとき、彼女の傍にいたのは恋敵だった。
それが全てを物語っている気がする。
恋路においても、自分は部外者でしかないのだと。
思考が傷口に塩を塗り込むのを止められない。
痛い。
苦しい。
だけど、クラウディアはここにいる。
居場所が知れないと聞いたときは目の前が真っ暗になった。
あのときの絶望に比べれば、自分の傷心など些末なことに感じられた。
顔が下を向きそうになり、意識して耐える。
立場を思いだせ。
ここは祝福の場だ。
感傷に浸るのはあとでいい。
今はバーリ王国の王弟として公式な場にいるのだ。
己を鼓舞していると、淡い碧眼と目が合う。
レステーアはずっと綺麗な笑みを浮かべていた。
全て見透かされていそうで気に入らないが、彼女の心中も似たり寄ったりだろう。
クラウディアの救出にあたり、レステーアは同行を許されなかった。
ラウルは目立つ存在なので言わずもがな。
レステーアは、シルヴェスターに邪魔だと判断されたのだ。
部隊を指揮するシルヴェスターにとって、勝手に動きかねないレステーアを連れて行くのは負担でしかない。
レステーアの暴走が、不利を招く危険性もあった。
放っておけば一人で行動しかねなかったので、ラウルが見張り役を買って出たほどだ。
平静を装っていても、心では狂い叫んでいるのが容易に想像できた。
何せ、皆、そうだったのだから。
シルヴェスターも、ヴァージルも、ラウルも。トリスタンですら取り乱しそうになるのを必死に堪えていた。
「そろそろですね。我が君のお姿に集中したいので、しばらく話しかけないでください」
「こっちの台詞だ」
表面上は日常が戻っている。
それでも心にできた傷が簡単に癒えることはないだろう。
ラウルも、レステーアも。シルヴェスターですら。
唯一、クラウディアを見ているときだけは痛みを忘れられた。
(彼女の無事を噛みしめたい)
早く元気な姿を目に焼き付けたかった。
いざクラウディアが大広間に姿を現すと、ラウルは言葉を失った。
結いまとめられた黒髪に、襟のあるドレス。
アクセサリーも控えめで派手さはない。
どちらかというと、お堅い印象を受ける装いだ。
それがクラウディアの凜とした姿と見事に噛み合っていた。
静謐な風が流れるのを感じる。
声を失ったのはラウルやレステーアに留まらない。
大広間にいる全員が、呆然とした時間を過ごしていた。
背中へ流れる黒檀はひっそりと艶めいて嫌みのない華美さを体現し。
青い瞳は窓からの日差しを受け、彩度高く輝いたかと思うと深海のような静けさを湛えた。
ずっと眺めていたくて目を離せない。
ずっと、ずっと。
思い続ける。
(オレは、どうしようもないな)
鼻の奥がツンとしていた。
奥歯を噛みしめて激情に耐える。
(やっぱり好きだ)
こんな場面になっても、愚かなほどに。
自分でもバカだと思うが、心が叫んでいた。
(クラウディア、キミが好きだ)
どうして諦められないのか、何度も何度も自問した。
答えはついぞ出なかった。
感じるものに理由を付けるほうが間違っている気がした。
クラウディアとシルヴェスターの誓いを聞いても、思いは変わらない。
「いつか諦められるのか」
わからない。
今でないことだけは確かだった。
「諦めなくて良いんじゃないですか」
「適当に言っているだろ」
「本心からですよ。応援しているというのも」
綺麗な笑みを浮かべるレステーアに嘲る様子はない。
「ぼくが我が君を第一に考えているのは、ご存じでしょう」
「副官として真っ向からオレにいう神経はどうかと思うが」
「そんなぼくにとっても、ラウルの姿勢は有り難いんです。だってこの先、何があるかわからないじゃないですか」
シルヴェスターが力を失うことだってないとは言い切れない。
政敵に勝てても、病に負けることは誰にでもある。
「いつまでも待っていてくださいよ。かっこ悪くて何がいけないんですか? バーリ王国の後継者は国王のご子息だと決まっているんです。ラウルの恋愛は自由ですよ」
とはいえラウルは王族だ。
レステーアがいうほど自由はない。
国に何かしらの危機が迫り、結婚が必要となれば断る余地はないのだ。
けれどそんなことはレステーアもわかっている。
許される間は、ということだ。
「オマエの言葉に励まされるのが癪に障る」
「素直じゃないんですから」
裏切っておいてよく言える。
お馴染みの軽口だが、これもいつまで続けられるだろうか。
「シルヴェスターに情報を渡したのはオマエだな」
ラウルが買収した貴族たちに、シルヴェスターは圧力をかけた。
圧力をかけるに至った証拠は、ハーランド王国の調査だけで手に入るものではない。
レステーアは綺麗な笑みを浮かべる。
訊くまでもないことだった。
「オレはもうオマエを助けられる立場にないことを忘れるな」
「ラウルは優しいですね」
助けたくても助けられない。
言葉に込めた気持ちを、レステーアは正しく酌み取った。
ハーランド王国の間者である以上、母国で疑われたら命はない。
言葉を重ねたところで、レステーアはそれしか生きる道がないのだが。
「我が君に助けられた命です。そう簡単に奪わせませんよ」
「オマエはブレないな」
変わらない態度に苦笑が浮かぶ。
副官が、友人がこれなのだ。
自分も無理に変わる必要はないかと、ラウルは挨拶すべく思い人がいる方向へ足を向けた。