作品タイトル不明
41.悪役令嬢は王太子殿下の婚約者になる
「閉鎖的な村でも、子どもたちにしてみれば住み慣れた場所ですものね」
悪いようにはならなくてほっと胸を撫で下ろす。
国が動かなければ、クラウディアが対応する予定だった。
「婚約式前に見通しが立ったのですわね」
「ギリギリではあったが……さて、今は目の前のことに集中しようか」
シルヴェスターの視線を追えば、二人を呼びに来たのであろう使いの姿があった。
事件からこちら、ずっとシルヴェスターは理性的だ。
暴れてほしいわけではないけれど、彼の性格を鑑みると意外に感じてしまう。
クラウディアが関わると、シルヴェスターは黒い面を覗かせる。
(村の関係者全員、首をはねると言い出しかねないわ)
だというのに、そんな素振りはない。
この件の問題解決が、国王から出された課題であるからだろうか。
居住まいを正し、クラウディアはシルヴェスターから差し出された腕に軽く手を添える。
大広間には国中の貴族が集まっているはずだが、廊下は静まり返っていた。
硬質な廊下に、ヒールの音がやけに響く。
緊張が一緒にこだまして感じられた。
向かうは大広間の中に設置されたバルコニーだ。
こちらもクラウディアにとっては、はじめての場所だった。
二人の登場を告げるアナウンスに合わせて、扉が開かれる。
真っ先に目に飛び込んできたのは、大広間の天井を飾るシャンデリアだった。
照明は点けられていないが、窓から入った日差しで装飾の宝石がキラキラと輝きを見せる。
シルヴェスター、クラウディア双方の全身が露わになっても、しばし静寂が続く。
経験のないクラウディアは大広間の状況を察することができない。
けれど彼女をエスコートする人物は違った。
見慣れた穏やかな笑みを浮かべる。
「皆、君の美しい姿に言葉を失っているようだ」
「まさか」
クラウディアを知らない人はここにはいない。
目新しさはないと思うものの、良い印象を与えられているなら嬉しかった。
隣に並ぶ人を視線だけで見上げる。
不思議な感覚に呑まれていた。
自分の記憶にはないけれど、逆行前、この場所に立っていたのは別の人物なのだ。
――お姉様。
そうクラウディアを呼ぶ声は、もう遠く、思いだすのにも苦労する。
以前、ただならぬ恐怖を植え付けた存在は、リンジー公爵家から籍を外され、婚約式にも結婚式にも招待される資格を失った。
改めて新しい人生を歩んでいるのだと実感する。
手に触れる温度が、これが現実であることを教えてくれた。
光を含んだ黄金の瞳がクラウディアを認めると優しげに細められる。
彼のほうがよっぽど美しいと思うのは、婚約者の欲目だろうか。
集まった貴族たちに挨拶を告げたあと、決められた手順に従ってシルヴェスターが宣誓する。
「私、シルヴェスター・ハーランドは、クラウディア・リンジーを婚約者とすることを皆に誓う」
「わたくし、クラウディア・リンジーも、シルヴェスター・ハーランドを婚約者とすることを皆に誓います」
瞬間、祝う声が紙吹雪のように舞う。
そしてそれらが耳に届くと同時に影が落ちた。
焦点の合わないシルヴェスターの顔が、唇に温もりを残す。
「……このような手順はなかったはずですが?」
「堅いことを言うな。君はもう婚約者候補ではない」
「まだ根に持っておられるので?」
「傷つけられた私の矜持が癒えるには、まだ時間がかかりそうだ」
王城の庭園で開催されたお茶会の帰り、列柱廊での思い出が蘇る。
はじめてのキスに甘さは微塵もなかった。
けれど。
「わたくしの心臓は今も壊れそうなほど高鳴っておりますわ」
そう言うと、手を取られてシルヴェスターの胸に置かれる。
「私もだ。感情が昂ぶって苦しいほどに暴れている」
切なげな声に余裕のなさが表れていた。
熱のこもった息を身近に感じると、自分も引き摺られそうになる。
「シル、皆が待っておりますわ」
「ああ、存分に見せ付けてやらないとな」
階段を下っている間は、雲の上を歩いているような心地だった。
しかし大広間に下りた途端、凍えそうなほど冷たさを宿した自分と同じ青い瞳を見つけ、正気に戻る。
表情は笑顔だがヴァージルの目は笑っていなかった。
「婚約のお祝いを申し上げると共に、殿下にはまだディーが公爵家の籍にあることを思いだしていただきたい」
「わかっているとも。軽く口付けをしたぐらいで大袈裟だな」
早速バチバチと火花の散る音が聞こえる。
(そういえばお兄様の前でしたのは、はじめてだったかしら)
ヴァージルも二人の関係は理解している。
だが、目の前で可愛がっている妹に手を出されるのは、腹に据えかねるらしい。
カナリアを連想させる黄色い髪がふわりと視界に入ったかと思えば、想像より近くにキールの姿があった。
リンジー公爵家の縁者として、ちゃっかり場所を確保していたらしい。幼いながらも逞しい姿に胸がほっこりする。
「クラウディア様、おめでとうございます!」
「ありがとう、キール。元気そうで何よりだわ」
不運に愛された少年は、今のところくたびれた様子がない。
「二、三度、頭から飲み物を被りそうになりましたが、ヴァージル様が助けてくださいました! リンジー公爵家の方といると、何が起きても大丈夫な気がします!」
満面の笑みで告げられたものの、相変わらずの不運さだった。
(キールの助けになっているのならよしとしましょう)
その後も、順番に挨拶が続く。
ラウルのときには僅かに空気がヒリついたものの、ラウルはバーリ王国の王弟として祝う姿勢を崩さなかった。
学園の卒業パーティーで去来した切なさは、もうない。
いつも以上に招待客が多いため、あまり時間が取れなかったのもあるかもしれないが。
中にはナイジェル枢機卿の後任として派遣された者の姿もあった。
結婚式に際しては、彼が取り仕切る予定だ。
公爵令嬢という高位の身分なのもあって、今までも一方的に挨拶を受ける機会はあった。
それでも笑顔が顔に張り付いていくのを感じる。
かつてないほど盛大に開催された婚約式には来賓の数も多い。
華々しさを感じたのは一瞬のことで、クラウディアは途切れない人の波に溜息を呑み込んだ。