作品タイトル不明
09.悪役令嬢は王太子殿下と打ち合わせる
麗らかな昼下がり。
適度に暖められた部屋へ、柔らかな日差しが降り注ぐ。
そんな中、ソファーで並んで腰を落ち着けていると、ときめきよりも安心感が勝った。
膝が触れたままシルヴェスターの肩に頭を預けて、目を閉じたい誘惑に駆られる。
(ダメよ、忙しいにもかかわらずシルも時間をつくってくれているのだから)
二人の前には書類が所狭しと並んでいた。
全て婚約式に関するものだ。
紆余曲折を経て開催時期は慣例通りとなったが、シルヴェスターが盛大に執りおこなうと決めたため、相応の準備が必要になった。
「ほとんどわたくしの独断で決めたけれど、良かったかしら?」
「ああ、任せっきりにしてすまぬ」
シルヴェスターが別件で忙しいため、婚約式の舵取りはクラウディアが担当した。
さすがに王家の仕来りに沿うところは決められず、こうして今日、場が設けられたのだ。
王城から相談役が派遣されてはいるものの、シルヴェスターの意見も取り入れたかった。
何せ二人の式なのだから。
(わがままだったかしら)
珍しくシルヴェスターに疲れが見えていた。顔に落ちる影が濃い気がする。
時間をつくれたなら、休んでもらったほうがいいかもしれない。
「少し休まれます?」
「ん? それほど顔に出ているか?」
シルヴェスターが顎を撫でながら首を傾げる。
目が合うと、黄金の瞳が優しく細められた。
「クラウディアを前にして、気が緩んだのかもしれぬな。大丈夫だ、ディアが思っているほど酷くはない」
それに、と言葉が続く。
「私も少しは準備に参加したい。ようやく君を私のものだと宣言できるのだ」
「わたくしも、シルはわたくしのものだと宣言できるのね」
熱のこもった視線を向けられ、頬が熱くなる。
何か言葉を返さないと照れから沈黙をつくってしまいそうだった。
(先ほどまで和やかさを堪能していたのに、急に意識させるんだから)
指の背で頬を撫でられる。
離れ際、人差し指が下唇を軽くさらっていった。
次いで手を握られ、甲にキスが落ちる。
「私の血も、肉も、すべて君のものだ。これが結婚式でないのが残念でならない」
「きっと、あっという間ですわ」
規模や豪華さでいえば、婚約式の比ではない。
元々、婚約式は大々的におこなわれていなかった。
だから盛大にやるといっても、前例より、と枕詞がつく。
それでも最近のクラウディアは準備に忙殺されていた。
婚約式でこれなら、結婚式ではどうなるのか。
あえてこれ以上は想像しないようにしている。
「慣例通りなら立場にふさわしいか見極める期間を、全て準備にあてられるのが救いだな」
婚約者候補だったサヴィル侯爵家とロジャー伯爵家が支援に回ったほどだ。
クラウディアの適性を疑う者はいない。
それを面白くないと感じる者はいるとしても。
「心躍る面もあるが、息つく暇もないのは考えものだ」
「パルテ王国の件が無事に落ち着いて何よりですわ」
ハーランド王国はこれで緊張が緩和された。
気になっていたことが片付き、クラウディアとしては婚約式に集中できる。
「周囲が君を放っておかないと聞いているが?」
「まぁ、招待状は増えましたわね」
皆、未来の王太子妃とお近付きになりたくて仕方ない様子だ。
ロイド侯爵家の失脚により、旗頭がなくなった貴族派がより顕著だった。
一部は後ろ盾を求めて、クラウディアのみならずリンジー公爵家の誰かしらと接触できないかと躍起になっている。
「気持ちは察するが、あまり騒ぎ立ててほしくないものだ」
余計な波風を立てられては困る、とシルヴェスターはテーブルへ体を向ける。
「さて、ディアが気になっているところを決めていくか」
「ではこちらの――」
書類を一緒に見ながら話を進めていく。
二人で事務作業をするのははじめてじゃない。
いつもと違い、自然と頬が緩むのは、これが二人の未来に関することだからか。
(わたくしばかりをよく見せようとするのは困りものだけど)
人々から隠せないのなら、いっそ見せびらかしてやるとシルヴェスターは豪語する。
おかげで折に触れてバランスが大事だと説き伏せなければならなかった。
けれど、それも楽しい。
シルヴェスターに迷いがないからか、順調に未採決項目はなくなっていった。
「ディアはもっと欲張っていいと思うが」
「それはこちらの台詞です。シルこそ王太子という立場をお忘れではなくて?」
書類を束ねていると、頃合い良く新しい紅茶が運ばれてくる。
淹れ立ての香りに、肩に入っていた力が抜けた。
「ここから動きたくなくなるな」
「お時間の許す限り、ゆっくりしていってくださいませ」
シルヴェスターが閉鎖的な思想を持つ村について捜査していることは知っていた。
それが国王からの課題であるのも。
ナイジェル枢機卿が関わっていると聞けばクラウディアも気になったが、婚約式の準備に専念してほしいと言われて否はない。
ただ進捗はクラウディアの元にも届けられている。
背中をさすると、シルヴェスターがもたれてきた。
(ふふ、肩に頭を預けられるのはわたくしのほうだったわね)
愛する人の隣で微睡みたい気持ちが一緒だったことに笑みが漏れた。
頭を受け止めながら、さらりと流れる銀髪を手で梳く。
精神的な支えになれていたら嬉しい。
今までも内々には婚約者だったが、遂に世間へ発表される時がきた。
いつかトリスタンが言っていたという言葉が頭に浮かぶ。
自分は剣でシルヴェスターを守ることはできても、心の奥にまで手が届かない。けれどクラウディアなら逆に、それができる、と。
適材適所と言ってしまえばそれまでだ。
しかしこの話をシルヴェスターから聞かされたとき、クラウディアは感極まった。
誰でもない、トリスタンに自分が認められていることがわかったから。
トリスタンは剣しか振れないと言うけれど、彼はシルヴェスターの幼馴染みだ。
一緒に過ごした時間はクラウディアよりずっと長い。
そんな彼に、自分ならシルヴェスターの心に寄り添えると思われていると聞き、目頭が熱くなるほど嬉しかった。
名実ともにそうでありたい。
これからはハーランド王国の人々からもシルヴェスターを支える人だと思ってもらえるように。
瞼が下り、黄金の瞳が隠されるのを見る。
美しい銀色の睫毛が、白い肌に影を落とすのを。
彼の支えになりたい。
(いえ、なるのよ)
決意が胸から指先へじわりと広がっていく。
願うのではなく実行に移すのだと、考えを改める。人はいつだって変われる。
他人を変えることは難しくても、自分のことは自分の自由だ。
ぱちぱちと力を込めて瞬く。
クラウディアの視界の端で、確固たる思いが煌めきとなって弾けた。