作品タイトル不明
54.もう一人の悪役令嬢は光を見る
ニナには野望があった。
そのために唯々諾々と命令に従ってきたのだ。
そして野望は、ほぼ成就したといっても過言ではない。もう思い残すことはなかった。
なのにダートンは生きろと言う。
動きだそうとしないニナに、ダートンは声を張り上げる。
「ニナ二等兵!」
「はい!」
雷に打たれるような、石で頭を殴られるような声だった。
鬼教官としての顔を見せたダートンに、ニナは脊髄反射で答える。
「このノロマが! ぐずぐずしてないで走れ!」
「はい……!」
嫌だと心が悲鳴を上げるのに、体を止められなかった。
教官の命令は絶対である。そこに思考はいらない。ただ命令通りに動くだけだ。
度重なる訓練で体に染みついた教えから逃げられず、暖炉へ着いたニナは明かりのない暗闇に向かって匍匐前進していく。
(どうして、どうして)
気持ちが涙となって溢れ出た。
ベンディン家当主に家族と引き剥がされてから、ニナに自由はなかった。
ここを生き延びたところで何になるのか。
ダートンが、いなければ。
(お願いだから一人にしないで)
お目付役に過ぎないと知っていた。
けれどダートンだけが、本当の名前でニナを呼んでくれる存在だった。
(死んだら、許さないんだから……っ)
ダートンは強い。
先にベンディン家の汚れ仕事を任されていたのは彼だ。
年老いてもなお、その辺の戦士には遅れを取らない。
けれどナイジェル枢機卿が裏切りを予見しているなら、送られる刺客も相応の手練れということだ。
(お願い、お願いだからっ)
ニナはかすかな希望に縋るしかなかった。
煤とホコリにまみれて出た先は、貴族街に隣接する森林公園だった。
大使館から近いといっても、よく横穴を掘れたものだと呆れる。
手入れされている森林公園に危険な野獣はいない。
その代わり、闇夜に紛れて浮浪者やならず者が入り込んでいた。
恐れはない。
こんなときのために厳しい訓練を受けてきたのだから。
「けど、やっぱりダメみたいよ」
抜け道があることがバレていたのだろう。
自分を囲む複数の気配に、ニナの中で諦めが勝る。
(どうせ殺されるならダートンが良かったのに)
願いは叶えられなかった。
それならせめて八つ当たりとして痛手を負わせてやると、ニナが戦闘態勢に入った瞬間、強い光に照らされる。
(視界を奪う気!?)
その手には乗らないとドレスの裾を翻して光を遮断する。
目が慣れた先に見えたのは、緩やかなクセのある黒髪だった。
「どうして」
ランタンの明かりを手に、凜然と佇む姿に声が漏れる。
パーティーではじめて目にしたときは、事前に手に入れた情報通りで驚きはなかった。
優雅で自信に満ち溢れた人。
完璧な淑女。
お茶会で見せてくれた笑顔は可憐だった。
(あぁ、でもわたくしはこの人に追い詰められたんだわ)
思いの外、何も見えていなかった自分に驚く。
大使館の自室で対峙したときは、いかに悲劇の令嬢を演じられるかでいっぱいだった。
結局自分は負けたのだと、今になって痛感する。
そして仰ぎ見た先で、濁りのない青い瞳に射貫かれた。
「お願い……お願いっ、ダートンを助けて!」
気付いたときにはそう叫んでいた。
彼女なら、正義を果たしてくれる確信があった。