作品タイトル不明
49.悪役令嬢は吸血鬼に襲われる
「幸い、私にとっては追い風になるが」
スラフィムほど排他的ではないが、シルヴェスターは昨年から教会と距離を置くべきだと主張していた。国政と宗教は離れているほうが無難だと。
修道者の関与が公表されなくとも、ハーランド王国の議会で情報は共有される。
シルヴェスターの考えは今後も支持されることになるだろう。
「修道者がまるで捕まることを予期していたように思えるのは私が穿ち過ぎだろうか」
「お気持ちはよくわかります」
口には出さないが、二人の頭にはどうしてもチラつく影があった。
白髪交じりの金髪に和やかな碧眼の人物。
現状は彼が関わっているとも、いないとも言えない。
それでも昨年の件で、何か裏があるのでは勘ぐってしまう。
「だがこれだけ証拠があれば、ベンディン家の敵対勢力に情報を流すことは可能だ」
「なるほど、それによって国内で問題を解決してもらうのですね」
パルテ王国内の有力家族がベンディン家を断罪する分には何ら支障はない。
ニアミリアが婚約者になれば一番恩恵を受けるのがベンディン家である以上、追及は止まらないだろう。
「引っかかるのは、ベンディン家当主が民衆を扇動しても戦争にはならないと踏んでいるところだ。国民感情が爆発すれば誰も制御できぬ」
民主制であるパルテ王国には、貴族というストッパーが存在しない。
有力家族が代わりを務めていても制度の違いから彼らに強制力はなかった。
そのため衆愚政治と呼ばれる危険がつきまとう。
正に今、国民感情によって、どちらにも損しかない戦争が外交の場で持ち上がる事態がそれに該当した。
サスリール辺境伯とベンディン家の密約はあくまで当主間だけのものだ。
民衆の扇動と密約の間に直接的な関係はない。
だが戦争を回避できる確証があるからこそ、密約は成立する。
「ベンディン家当主は、ニアミリア様が婚約者になると信じられる手立てがあるのですね」
「恐らくな」
ここで鍵になってくるのが暗躍者の存在だろう。
生憎、正体は掴めていないが、偽クラウディアは確かに存在する。
そして現時点ではどう考えても計画の大きさと割が合わなかった。
狙いがニアミリアの後押しにあるならば、最大の障害であるクラウディアが残っている。ウェンディが捕まったことで、暗躍者はクラウディアに大した痛手を与えられていない。
まだ何かある。
そう感じる理由は、ドレスティンの存在だ。
偽クラウディアを使ってまで、彼を誑かしたのは何故か。
ドレスティンがクラウディアとの繋がりを告白したところで、本人が否定すればクラウディアに嫌疑はかからない。
何せシルヴェスターの婚約者として一番の有力候補である。
人々はそれを捨ててまでドレスティンにクラウディアが縋る姿など想像できないだろう。
では一体何のために、ここまで手の込んだことをしたのか。
答えは別のところにある。
そう思えるのに、おあつらえ向きの機会があった。
ニアミリア主催の仮装舞踏会。
ここにはドレスティンも招待されている。仮装しているとはいえ、本物のクラウディアとドレスティンが相まみえることになるのだ。
ドレスティンはクラウディアと一夜を過ごしたと思い込んでいる。彼の性格からクラウディアとコンタクトを取ろうとするだろう。
何も起こらないはずがない。
加えて、暗躍者にはあまり猶予がなかった。
戦争を条件にしているとはいえ、ハーランド王国に時間を与えれば回避策を練られる。
その前にことを決定づける必要があった。
「ニアミリア様は関与されているのかしら」
「自ずと判明するだろう」
ベンディン家が動いているのは疑う余地もないが、ニアミリアまでは確証がない。
ただクラウディアの中では、ニアミリアが偽クラウディアである可能性が頭をもたげていた。
勘に近いもので、おいそれと口にはできないが。
「サスリール辺境伯子息にも影を付ける手筈だ。正直、身の安全については興味ないが」
主従プレイについては話してないものの、シルヴェスターはドレスティンに良い印象を抱いていなかった。王都にいた時から、クラウディアへ向ける視線が気に入らなかったという。
ドレスティンへの影は、仮装で勘違いしたドレスティンにルイーゼを襲わせないためと、暗躍者が接触してきたときに備えるためだ。
クラウディアとシルヴェスターは十中八九、偽クラウディアが現れると踏んでいる。
「いつにも増して緊張しますわ」
「ではリラックスのために一役買おうか」
イタズラめいて笑うシルヴェスターの口には目立つ八重歯が生えていた。手を取られ、二人で立ち上がる。
次いでシルヴェスターは両手を広げ、マントを翼のように持ち上げた。
漆黒のマントの裏地は真っ赤に染められ血を彷彿とさせる。
丈のある黒いシャツで身なりが闇に包まれる中、銀髪と白磁の肌が浮かび上がった。
傾く夕日が逆光となって弓なりの影を一段と大きくする。
「私からは逃げられぬぞ」
近付く影に、純白をまとった女神は胸の前で両手を握った。
祈りを捧げるかのように思われたが、女神はきっぱりと断言する。
「逃げる必要はありませんわ」
「私に襲われるとわかっていてもか?」
美しい吸血鬼は愉快そうに金色の瞳を細める。
いつしか空から鮮やかさが消えていた。
光が姿を隠し、気温が下がる。
にもかかわらず、吸血鬼の瞳には熱があった。
そこに渇望を見た女神は息を呑むものの、彼女は目を逸らすことができない。距離を詰めた吸血鬼の指が純白のベールを払う。
次いで柔らかい頬を撫でた。
赤子に触れるかのように一際優しく。
くすぐったさから女神の長い金髪が木漏れ日のように揺れる。
「君は私を恐れぬのだな」
「だってあなたは、わたくしを乱暴に扱ったりしませんもの。それに」
触れたいのはわたくしも一緒です、と女神からも手が伸ばされる。
吸血鬼は温もりに頬を包まれる間、微動だにしなかった。
「あまり私の理性をあてにしないでくれ」
「あら、わたくしの血が目当てなのではなくて?」
「わかっているだろうに。私は君の血ではなく、君自身に惚れているのだ」
腰を抱かれ、二人の間にあった隙間がなくなる。
回された腕の力強さに、心臓が高鳴るのを自覚した。
鼻先が擦れ合うと恥ずかしさに耐えきれず顔を背けてしまう。
視線の先に、姿見があった。
あっ、と思ったときには首筋へ噛みつかれる。
甘く痺れる感覚に声が漏れた。
「んん、シル、だめ……」
痕が残ってしまう。
そう抗議すると、小鳥のように啄まれる。
女神の足から力が抜けるまで――本に描かれた挿絵のように――鏡には美女の首筋に食らいつく吸血鬼の姿が映っていた。