作品タイトル不明
第4話:肥料革命! イワシが領地を救う
私が実家の財政権を実質的に掌握してから、数ヶ月が経過した。
複式簿記の導入により、我が家の金の流れはガラス張りになった。
代官の不正を暴いて横領を防ぎ、土倉への高金利な利払いを交渉で待ってもらい、無駄な支出を徹底的に削り落とす。
結果として、今冬を越すのもギリギリだった実家の金庫には、わずかばかりの「余剰金」が生まれた。
だが、これだけでは全く足りない。
支出を減らすだけのジリ貧では、いずれ必ず限界が来る。
戦国時代を回避し、日本を大航海時代へ導くという私の壮大な野望を叶えるためには、莫大な「初期資本(タネ銭)」を自力で創り出す必要があった。
当時の武家の最大の収入源。
それは言うまでもなく、領地から上がる「年貢(米)」である。
私は領内の田畑を視察し、中世の農業のリアルな惨状を目の当たりにした。
当時の肥料といえば、草木を燃やした灰や、人間の糞尿程度。
土地の栄養分は常に枯渇しており、稲の背丈は低く、ひょろひょろとして頼りない。
『これじゃあ、どんなに真面目に耕しても収穫量なんてたかが知れてるわ』
前世の知識が、現在の農業のボトルネックを明確に指摘していた。
植物が大きく育つために絶対に必要な三大栄養素は「窒素」「リン酸」「カリウム」である。
特に葉や茎を育てる窒素と、実を太らせるリン酸が、この時代の土壌には決定的に不足しているのだ。
『もしここに、あのチートアイテムを投入したら……』
私は、捻出に成功したなけなしの銭をすべて注ぎ込む、ある大バクチを打つ決意を固めた。
数日後。
父上の執務部屋に家臣たちを集め、私はその計画を発表した。
「瀬戸内の海から、『干鰯』を買い集めておくれやす」
「……は? ほしか、と申されましたか?」
筆頭家老が、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で聞き返した。
「さよう。鰯を天日で干して、カラカラに乾燥させたものでおじゃる。それを砕いて、田畑にすき込むのじゃ」
その瞬間、家臣たちの間にざわめきが広がった。
「魚を、田畑に撒くじゃと!?」
「そのような気味の悪い話、聞いたこともおじゃりませぬ!」
「神聖なる土が穢れてしまいまする! ましてや、そのために血の滲むような思いで捻出した銭を使い果たすなど……!」
猛反発だった。
無理もない。
干鰯が金肥(お金で買う高級肥料)として広く普及するのは、江戸時代に入ってからのこと。
室町時代の、しかも山に囲まれた京都近郊の農民たちからすれば、海の魚を畑の土に混ぜるなどという発想は、狂気の沙汰でしかなかったのだ。
「姫様が帳面を見事に直されたことは、我らも感服いたしております。なれど、土いじりは農民の領分! 三歳の童が口を出すことではおじゃりませぬ!」
家臣の一人が、ついに声を荒げた。
だが、私は一歩も引かなかった。
「これは、夢枕に立たれた観音様のお告げでおじゃる」
私は再び、この時代において最強無敵の魔法の言葉(言い訳)を繰り出した。
「観音様はこう仰った。『海の命を土に還せば、黄金の稲穂が実るであろう』とな」
「か、観音様のお告げ……」
家臣たちは怯んだものの、なおも納得しきれない顔で父上を見た。
「殿! いかがなさいまするか! もし失敗すれば、我が家は完全に破産でございますぞ!」
視線を集めた父上は、しばらく腕組みをして黙り込んでいた。
だが、あの複式簿記によって私の異常な知性をすでに知っている父上の腹は、決まっていた。
「……薫子の言う通りにせよ」
「殿!?」
「銭の算段を狂わせておったのは我らじゃ。その窮地を救ったのは、観音様の申し子であるこの薫子。なれば、この者の言葉を信じるほかに、我が家が生き残る道はない」
父上の重い一言によって、家臣たちの反論は封殺された。
かくして、我が家のなけなしの資金はすべて、瀬戸内海から大量の干鰯を買い付けるための使者へと託されたのである。
数週間後。
領地に運び込まれた大量の干鰯が、細かく砕かれ、田畑にすき込まれていった。
「なんちゅう生臭い匂いじゃ……」
「まこと、こんな魚の干物で米が育つんじゃろうか……」
鼻をつまみ、不安げに囁き合う領民たち。
家臣たちも冷ややかな視線を送っている。
『……ふふっ、笑っていられるのも今のうちよ』
私は生臭い風を胸いっぱいに吸い込みながら、一人ほくそ笑んでいた。
干鰯は、現代の化学肥料にも匹敵する、窒素とリン酸の巨大な塊だ。
栄養失調状態だった中世の土壌にそれを投下すれば、どうなるか。
結果は、翌年の秋、残酷なほどに明確な形で現れた。
「こ、これは……!!」
収穫の時期を迎えた田んぼを前に、家臣も領民も、全員が言葉を失って立ち尽くしていた。
目の前に広がっていたのは、見渡す限りのまばゆい黄金の海だった。
稲の背丈は例年の倍近くまで伸び、その先端には、重みで折れんばかりに実が詰まった稲穂が、たわわに垂れ下がっている。
「信じられぬ……一反あたりの収穫が、例年の三倍、いや四倍はあろうぞ……!」
「麦もじゃ! 裏作の麦も、見たことがないほど豊作じゃあ!!」
領民たちが、狂喜の声を上げて田んぼへ駆け込んでいく。
「姫様は神童でおじゃる!」
「観音様の生まれ変わりじゃて!」
「姫様のおかげで、今年は誰も飢えずに済むわい! ありがたや、ありがたやぁ!!」
泥だらけになった農民たちが、私に向かって次々と平伏し、涙を流して手を合わせる。
家臣たちもまた、自らの無知を恥じるように、深く深く頭を下げていた。
「姫様……いや、観音様の申し子よ。我らの蒙昧をお許しくだされ……!」
その光景を見下ろしながら、私は満面の笑みを作って手を振り返した。
だが、心の中では全く別の計算が高速で回っていた。
『作戦成功! 圧倒的な「豊作」という奇跡で、領民たちの私に対する絶対的な忠誠心(世論)は完全に掌握したわ』
中世において、飢えずに腹いっぱい飯が食えること以上のカリスマはない。
彼らはもう、私の命令ならばどんな突拍子もないことでも絶対に従うだろう。
『そして何より、この史実の数倍に膨れ上がった莫大な収穫量!』
私は、蔵に収まりきらないほどに積み上げられた米俵を、うっとりと見つめた。
『タネ銭の増幅は完了よ。さあ、次はこの莫大な米を現金化して、一気に商圏を広げるわよ!』
世界最速の大航海時代へ向けた、私の快進撃がいよいよ始まろうとしていた。