作品タイトル不明
第28話:射撃訓練と、武士の戦闘観の崩壊
京都郊外、洛外の人里離れた山間に設けられた秘密の演習場。
立ち込める朝霧を切り裂くように、鼓膜を劈くすさまじい轟音が連続して鳴り響いていた。
ズドン!ズドン!ズドン!
重低音の破裂音が山肌に反響し、火薬の焦げたむせ返るような匂いが辺り一帯に立ち込めている。
「……なんという恐ろしき威力か」
幕府の直属部隊である奉公衆を束ねる初老の武将は、陣幕の中からその光景を見つめ、思わず息を呑んだ。
彼の視線の先には、数百人の足軽たちが整然と横隊を組み、一定の律動で鉄の筒――『改良型火縄銃』を構え、火を噴かせている姿があった。
彼方の標的として立てられた、分厚い竹束と木張りの騎馬のダミー群は、近寄る間もなく粉々に打ち砕かれ、原形を留めない木片の山と化している。
「次列、構え!」
前線で指揮を執る若き武官の号令が飛ぶ。
最前列の足軽たちが撃ち終わると同時に後方へ退き、装填を終えていた第二列が即座に前へ進み出て、鉄砲を構える。
「放て!!」
再び轟音が響き、白煙が吹き上がる。
絶え間なく続く、息もつかせぬ弾幕の壁。
これこそが、山科の工房で構築された「大量生産・統一規格システム」の真髄であった。
「……信じられぬ。かつて南蛮から持ち込まれたという火器は、弾込めにも火付けにも途方もない刻がかかり、実戦では使い物にならぬガラクタであったはず」
初老の武将は、震える手で自身の髭を撫でた。
「おまけに、筒の大きさも弾の形も職人ごとにまちまちで、撃つたびに弾を削って合わせねばならなかった。……しかし、あれはどうだ」
彼の目の前で、足軽たちはあらかじめ一定量の火薬と鉛玉が紙で一つにまとめられた『早合』を筒に流し込み、機械のような正確さで次々と射撃の準備を整えていく。
「御意にございます」
傍らに控える若き武官が、誇らしげに胸を張って答えた。
「山科の工房で削り出されたあの筒は、全て内径が一分一厘の狂いもなく統一されております。ゆえに、弾を削る手間は一切不要。誰が弾を込めても、寸分違わず筒に収まるのでございます」
「だが、驚くべきはあの射撃の『束』だ。百姓上がりの足軽どもが撃つ弾が、見事に敵の陣形がなす『面』へと吸い込まれていくではないか」
「筒の先端と手元に、小さな突起が付けられております。『照準器』と呼ぶそうですが、あれを目安に構えることで、素人が撃っても筒が一定の高さと方向を保つよう工夫されておりまする」
武官は、さらに冷徹な戦術の理屈を付け加えた。
「一発ごとの精度は、決して遠くの小鳥を撃ち落せるほど高くはありませぬ。丸い鉛玉を火薬の力で押し出すゆえ、どうしても風の抵抗などで真っ直ぐには飛ばず、弾道はブレまする。しかし、内径の揃った筒と同じ重さの鉛玉を用いることで、極端な狂いは無くなります。……つまり、『大体同じ方向』へは飛んでゆくのでございます」
「大体同じ方向へ飛ぶ鉛玉を、数百の筒で同時に放ち、次列、三列と絶え間なく繰り返せば……」
「はい。個人の狙撃の腕など不要。ただ『面』として敵の陣形を制圧する、絶対に抜けられない鉛の嵐(弾幕)となるわけでございます」
武官の言葉に、初老の武将は絶句した。
幼き頃より血の滲むような鍛錬を重ね、馬術を極め、弓の腕を磨き、名刀を振るって戦場で名を馳せる。
それこそが武士の誇りであり、生き様であった。
だが、目の前で起きている現実はどうだ。
たった数日、筒の一定の構え方と火薬の詰め方を教わっただけの農民が横に並べば、百戦錬磨の騎馬武者の突撃すら、個人の技量など一切関係のない「システムの暴力」によって一方的に粉砕されてしまうのだ。
「……武芸の鍛錬など、もはや何の意味も持たぬということか」
武将の口から、深い絶望と、そして自らの時代の終焉を悟る重いため息が漏れた。
「名乗りを上げ、一騎討ちで雌雄を決する……そのような武士の誉れは、あの煙と轟音の中に全て消え去ったのだな」
「はい。情け容赦なき、ただの『処理』にございます」
武官もまた、冷や汗を拭いながら同意した。
「いざ何者かが大軍を動かし、この都へ攻め込もうとも……こと『防衛』という一点において、これほど頼もしいものはございませぬ。どれほど精強な騎馬隊で突撃してこようとも、この面の弾幕を越えることは物理的に不可能かと存じます」
「うむ……」
武将は、陣幕の奥に鎮座する将軍家の『日章二引両旗』を見上げた。
「もはや我らの知る戦ではない。……だが、これで都は守られるのだ」
***
同日夜、室町第。
富子の居室に、演習場から戻ったばかりの薫子が控えていた。
「射撃の訓練、首尾はどうやったえ?」
富子が扇子を片手に問うと、薫子は静かに頭を下げた。
「上々でおじゃります。あれならば、いかなる大軍が押し寄せようとも、京の守りは盤石でおじゃりましょう。……ゆえに、次は東国でおじゃりますな」
「ほう? 関東の事かえ?」
富子は目を細め、面白そうに身を乗り出した。
「はい。東海道から関東へと至る街道を幕府の普請として一気に整備いたしまする。むろん、当主の顔を潰さぬよう各領地には配慮し、誰の持ち物でもない 国境(くにざかい) や険しい山間部などを中心に手を入れ、立派な無料休憩所を建ててやりましょうぞ」
「なるほどな。街道の普請か」
「もちろん、その工事には地元の民草を、相場以上の銭で手厚く雇い入れまする。……そうすれば、彼らは幕府の慈悲に涙し、自ら進んで我らの『仕組み』に組み込まれていくでおじゃりましょう」
富子は艶やかな笑い声を立てた。
「血も涙もない戦の代わりに、銭と情けで絡め取るか。京周辺だけでなく、日の本半分の物流と銭を完全に握りしめるちゅうことやな。ますますえげつないことえ」
「いざという時、東から一兵たりとも京へ向かわせないための、完璧な蓋でおじゃります」
『筒の中に螺旋の溝を彫る「ライフリング」の技術はまだないから、銃自体の性能はこれが限界。でも、兵站と物流さえ完全に支配すれば、そもそも戦争自体を起こさせないことができる』
薫子は内心でそう呟きながら、富子と共に、日本列島を飲み込む巨大な経済支配の網を、さらに東へと広げていくのであった。