作品タイトル不明
第21話:火種の解きほぐし〜東西の二大泥沼〜
寛正二年(一四六一年)。
室町幕府の膝元である京都の空気は、張り詰めた弓の弦のように限界まで引き絞られていた。
原因は幕府の重鎮である畠山家と斯波家の内部で泥沼化している「家督争い」である。
畠山家では義就と政長が、斯波家では義廉と義敏が、それぞれ己こそが正当な当主であると主張し国元から大量の私兵を京都へと呼び寄せていた。
狭い都の各所に武装した足軽たちが駐屯し些細な小競り合いがいつ市街戦へと発展してもおかしくない一触即発の状況が続いている。
それに加えて東国からはさらに絶望的な報せが絶え間なく届いていた。
古河公方である足利成氏と関東管領の上杉氏による「享徳の乱」である。
七年前に勃発したこの内戦は関東平野という広大な沃野を焼き尽くし未だに解決の糸口すら見えていない。
西を見ても東を見ても日本という国は「身内同士の血みどろの権力闘争」という不毛なゼロサムゲームに貴重な国力と財力を浪費し続けていた。
もしこのまま京都での武力衝突が起これば細川勝元や山名宗全といった巨大な権力者たちまでをも巻き込み都は必ず灰燼に帰す。
歴史を知る者にとってそれは「応仁の乱」という名の百年続く地獄の幕開けを意味していた。
だがこの世界線にはその巨大な歴史の歯車を経済の力で強引にねじ伏せようとする一人の少女が存在している。
***
室町第の奥深く外部の者が決して近づくことのできない静謐な一室。
そこに現在京都を騒がせている最大の火種である二人の武将が極秘裏に呼び出されていた。
畠山義就と斯波義廉である。
二人は部屋の左右に分かれて座り互いに親の仇でも見るかのような殺気立った視線を交錯させていた。
「斯波殿。貴殿も随分と暇を持て余しておられるようだな。都を徒らに騒がせる暇があるならとっとと国元へお帰りになられてはいかがか」
「ふん、畠山殿こそ。御身内の不始末もつけられぬ者が将軍家のお膝元で大きな顔をされるのは見苦しいことこの上ない」
刃を交える寸前の暴言が飛び交う中、襖が静かに開かれた。
その瞬間、二人の武将は咄嗟に姿勢を正し深く頭を下げた。
現れたのは当代の将軍である足利義政の正室であり今や幕府の財政と実務を完全に掌握している絶対的な権力者、日野富子である。
豪華絢爛な小袖を身に纏い優雅な足取りで上座に腰を下ろす富子。
その背後の少し離れた暗がりには一人の小間使いの少女が音もなく控えていた。
今年で十三歳になる主人公の薫子である。
彼女は気配を完全に消し伏し目がちに茶の湯を沸かす準備を進めながら脳内で極めて冷徹な計算式を展開させていた。
『さあ歴史の火薬庫たちよ。あなたたちがどれほど血の気が多くても戦というものは銭と兵糧がなければ一秒たらとも継続できないのよ。今日ここであなたたちのその中世的な武士のプライドを近代の算術で完膚なきまでにへし折ってあげる』
薫子は決して表舞台には立たない。
交渉のシナリオはすべて彼女が書き上げそれを実行するのは富子と彼女の手駒である優秀な幕府の官僚たちである。
富子がゆっくりと扇子を開き口元を隠しながら二人の武将を見下ろした。
「お二人とも随分と威勢がよろしいおすなぁ。都のあちこちで兵をうろつかせてお風紀が乱れて困りますえ」
富子の静かなしかし確かな重みを持った声に義就が顔を上げた。
「御台所様!此度の家督の件、我が正当性は明らかでございます!奴らが兵を退かぬゆえ我らも備えを解くわけにはいかぬのです!どうか幕府の御威光を以て我らに討伐の許可を!」
「義就殿の言い分など詭弁に過ぎませぬ!御台所様、どうか我ら斯波にこそ大義の御墨付きをお与えくだされ!さすれば即座に不届き者どもを武力で平定してご覧に入れまする!」
互いに相手を武力でねじ伏せる気満々の二人。
しかし富子は彼らの熱弁に欠伸を噛み殺すように目を細めた。
「武力、武力と……ほんまに男は血生臭いことばかりお口になさる。そやけど……お二人ともほんまに戦をするお覚悟はおありなんやろか?」
***
その言葉を合図にするかのように富子の傍らに控えていた幕府の文官が一歩前へ進み出た。
彼の手には何冊もの分厚い帳簿が抱えられていた。
文官は一切の感情を交えない氷のような事務的な声で口を開いた。
「畠山義就様。貴方様がこの半年で京都の土倉からお借り入れになられた銭、合計で五万貫に達しております。さらに馬借への未払い運送費が三千貫。兵糧米の調達先である堺の商人からはこれ以上の掛け売りは不可能であると通達が来ております」
義就の顔からさっと血の気が引いた。
文官は視線を移し今度は斯波義廉へと向き直った。
「斯波廉様。貴方様も同様にすでに六万貫の負債を抱えておられます。先月は兵たちへの前金すら支払いが遅れており陣中では不満が爆発寸前であるとの報告が我が方へ上がっております。さらに申し上げればお二方の国元からの税収はすでに三年先まで土倉の借金の担保として差し押さえられております」
冷徹な事実の羅列が茶室に重く響き渡る。
義就も義廉も口をパクパクとさせるだけで反論の言葉一つ発することができない。
武士の誇りや家柄といった精神論ではどうにもならない「経済的困窮」という絶望的な現実の数字を幕府の公式記録として突きつけられたのだ。
『当然でしょ。あなたたちが必死に借りていた土倉のネットワーク、その本当の胴元は全部私たちが運用している室町ファンドなんだから。誰がいつどこからいくら借金をして首が回らなくなっているか裏の信用情報は全部筒抜けなのよ』
薫子は茶筅を動かす手を止めず内心で冷ややかに笑った。
何万という軍勢を京都に長距離駐屯させるには莫大な維持費がかかる。
中世の武将たちはその経済的負担を無視してメンツのために兵を集めるが結果として金融業者への借金地獄に陥るのが常であった。
文官はさらに追い打ちをかける。
「お二方。現在の財政状況ではいざ戦端を開いたとしても三日と持たずに兵糧が底を尽きます。銭がなければ足軽は一歩も動きませぬし略奪をしようにも都の警備はすでに我ら幕府直轄の軍が固めております。戦をする前にお味方の陣営から逃亡者が相次ぎ自滅されるのは火を見るより明らかかと存じますが」
「そ、それは……っ!」
「我らが銭の算段もなしに吠え面をかいていると申すか!」
激昂しかけた二人であったが富子の冷たい視線に射竦められ再び沈黙を余儀なくされた。
「図星やさかい言い返せへんのどすやろ?ほんまみっともないおすなぁ。自分のお家の台所事情も回せへんのに天下の政に口を出そうやなんて百年早いんちゃいます?」
富子の容赦のない言葉の鞭が武将たちの肥大化したプライドをズタズタに引き裂いていく。
彼らは力で相手を屈服させることばかりを考えていたが自分たちの足元がすでに借金という泥沼に沈み切っている事実から目を逸らしていたのだ。
重苦しい沈黙の中、薫子が立てたばかりの抹茶がしずしずと富子の前に運ばれた。
富子は優雅に茶碗を手に取り一口啜るとふっと表情を和らげた。
「……そやけどお二人とも腐っても幕府の重臣。このまま借金まみれでお家が潰れるのを見過ごすのも寝覚めが悪いおすえ」
富子が扇子を閉じ意味深な微笑を浮かべた。
「お二人とも。狭い都のど真ん中で端銭を奪い合って共倒れになるおつもりか?それとも……共に手を取り合い借金を一瞬で帳消しにして余りあるほどの莫大な富を海の向こうから掴み取るおつもりはおまへんか?」
義就と義廉は同時に顔を上げた。
「……海の向こう、でございますか?」
「如何にも。お前さんたちの有り余る血の気、お家同士の潰し合いに使うのはもったいないおす。それを異国の富を奪い取る戦に向けなはれ。そうすれば幕府がお前さんたちの借金を一時的に立て替え巨大な船を貸し与えてもよろしゅうおすえ」
富子の言葉は借金地獄で首を括る寸前だった彼らの前に垂らされた蜘蛛の糸であった。
昨日までの不倶戴天の敵同士が今は同じ経済的絶望を共有し同時に提示された「新たな利権」という甘い蜜に引き寄せられようとしている。
『まずは第一段階クリアね。借金という現実を突きつけてプライドをへし折り内戦のベクトルを強制的に外側へと捻じ曲げる。あなたたち格下にはこれから先遣隊として南方ルートを開拓してもらうわ。そして莫大な富を持ち帰ってあの細川勝元と山名宗全の強欲さを限界まで引き出すための極上の撒き餌になってもらうんだから』
薫子は部屋の隅で微かな湯気に顔を隠しながら誰も気づかないほど僅かに口角を上げた。
血みどろの応仁の乱の火種は一滴の血も流れることなく冷徹な算盤の音と共に静かに解きほぐされようとしていた。