作品タイトル不明
第20話:12歳の暗躍者、次なる舞台へ
六歳で富子という最強の盾を手に入れ、狂気とも言える速度で室町の経済を支配し続けてきた山科薫子。
彼女は、十二歳という節目を迎えていた。
その日、薫子は富子を伴い、自らの本拠地である山科の要塞都市(特区)の高台にある 物見櫓(やぐら) に登っていた。
眼下に広がる景色は、もはや「一介の武家の領地」という枠を完全に逸脱していた。
山科の川沿いには、水車の動力で絶え間なく糸を紡ぐ巨大なマニュファクチュア(工場制手工業)の建屋が立ち並び、途切れることなく煙が上がっている。
街道は平らに整備され、全国から集まった馬借たちの荷車が、絶え間なく物資を運び込んでいる。
そして、その要塞の至る所には、最新の防諜訓練を受けた伊賀や甲賀の忍びたちが、商人の手代や警備兵の皮を被って、異国のスパイから技術と帳簿を死守していた。
「……何度見ても、恐ろしい景色やわ」
富子は、欄干に寄りかかりながら、呆れたような、それでいて底知れぬ満足感を含んだため息をついた。
「たった数年で、この日の本で一番の富を生み出す『化物みたいな町』を創り上げよった。今の 幕府(うち) の金庫は、大名全員の蔵を足しても届かんほどに膨れ上がっとるわ」
「すべては、富子様の絶対的な御威光と、お力添えの賜物でおじゃりまする」
薫子は、十二歳の少女らしく愛らしく微笑み、深々と頭を下げた。
しかし、顔を上げた彼女の瞳には、冷徹で計算高い「覇王の金庫番」としての光が宿っていた。
「富子様。これにて、天下を絡め取るための『下準備(インフラ構築)』はすべて整いました」
「下準備、か。……うちにはすでに、天下を取ったも同然の景色に見えるんやけどな」
「いいえ。これはあくまで、来るべき『巨大な嵐』を迎え撃つための、ただの盾と矛におじゃりまする」
薫子は、視線を京の都の方角――細川と山名という、二匹の怪獣が蠢く中心地へと向けた。
史実の知識(記憶)が正しければ。
あと数年のうちに、畠山家と斯波家の家督争いが火種となり、細川と山名がそれぞれの陣営を支援する形で、京の都を舞台にした前代未聞の総力戦「応仁の乱」が勃発する。
諸大名が東軍と西軍に分かれ、十数万人もの兵士が十年にわたって京都を焼き尽くし、やがて日本全土を血で染める「戦国時代」という名の泥沼の百年。
薫子の全身が、武者震いのように微かに震えた。
『……絶対に、始めさせない』
彼女が 赤子の頃から抱き続けてきた、狂気にも似た野望。 それは、自らが権力を握ることではない。日本の国力を灰にする、あの愚かな大乱を「未然に、かつ完璧に封殺すること」である。
『この100年間の血と銭の浪費をすべて「生産的投資」に回し、無傷の日本が大航海時代を迎えたらどうなるか。……私の歴史オタクとしての仮説を、この手で証明してみせるわ!』
「……薫子? どないしたんや、恐ろしい顔をして」
富子の声にハッと我に返り、薫子は扇子で口元を隠してふふっと笑った。
「申し訳おじゃりませぬ。いよいよ、大きなお舞台の幕開けかと思うと、胸が高鳴りまして」
「そうやな。あの細川と山名の阿呆どもは、戦の準備をしながら『自分たちこそが天下の勝者だ』と思い込んどる。……どないな大物が釣れるか、楽しみなことやわ」
富子もまた、獲物を前にした肉食獣のような艶やかな笑みを浮かべた。
莫大な富と権力を手にした彼女にとって、もはや大名たちの軍事衝突すら、自らの利益を拡大するための「盤上の遊戯」に過ぎなかった。
「存分にやろか、薫子。うちが盾になり、そなたが牙を剥く。……この日の本のすべてを、うちとそなたの掌の上で踊らせてやろうやないの」
「御意に。この薫子、持てるすべての知恵と経済のからくりを以て、あの方々の『武士の誇り』という名の首輪を、きっちりと締め上げさせていただきまする」
十二歳の少女と、二十代を迎えた御台所。
夕陽に照らされた二人の影は、巨大な要塞都市を見下ろすように、長く、そして力強く伸びていた。
最強の経済力、無敵の物流網、そして防諜と基礎工業力。
すべてのカードを手札に揃えた薫子は、いよいよ中世日本を根底から覆す、歴史改変の「本舞台」へとその足を踏み入れる。
赤子の目覚めから始まった、怒涛の第一章。
血を流さずに天下を統べる「経済の怪物」は、ついにその完全な産声を上げたのである。
(第1章 完)