作品タイトル不明
第19話:巨大商圏の確立と、二大巨頭の影
京の都の空は、二つの巨大な暗雲によって二分されようとしていた。
室町幕府における最高権力者、管領・ 細川勝元(ほそかわ・かつもと) 。
そして、全国に広大な領地を持ち「六分の一殿」と恐れられる巨頭、 山名宗全(やまな・そうぜん) 。
長らく幕府の双璧として絶妙な均衡を保っていた両者の関係は、将軍家や有力守護大名(畠山・斯波など)の複雑な家督争いが絡み合うことで、修復不可能なほどに冷え切っていた。
細川家の広大な屋敷の奥の院。
上座で名刀の手入れをしていた勝元は、刃に息を吹きかけながら、冷たい声で重臣たちに言い放った。
「……山名の老いぼれめ。己の分をわきまえんか。都の 政(まつりごと) を動かすのは、この細川であるというのに」
「御意にございます。近頃の山名家の専横、目に余りまする。いざとなれば、西国から我が精鋭を呼び寄せ、一気に踏み潰すべきかと」
重臣の好戦的な言葉に、勝元はふっと鼻で笑い、刀を鞘に収めた。
「焦るな。戦には大義名分が要る。……だが、戦支度(軍備)だけは急がせておけ。野に溢れる足軽どもを金で囲い込み、いざという時に数万の軍勢を都へ集められるよう手配するのだ」
「ははっ! そういえば殿、近頃、日野の御台所様が、堺の商人どもと結託して何やら妙な商いをしておるようで。なんでも、途方もない銭を動かしているとか……」
勝元は、扇子で床を軽く叩き、ひどく退屈そうに首を振った。
「放っておけ。女子供のままごとじゃ。下賎な銭転がしなど、いくら小銭を積み上げたところで、我らが誇る『数万の武力』の前には、秋の枯れ葉のごとく吹き飛ぶもの」
勝元にとって、そして当時のすべての武将にとっての常識。
それは『力(軍勢)こそがすべてを奪い、すべてを支配する絶対の法』であった。
「我らは天下の武棟梁ぞ。泥臭い商いなど知らんでよい。今はただ、山名の首を獲るための刃を研ぐことのみに専念せよ」
「ははっ!!」
武力という己の牙を過信した巨獣たちが、ついに京の都を火の海にするための「軍備拡大」へと足を踏み入れた瞬間であった。
***
しかし、その細川屋敷の天井裏には、すでに音も臭いも完全に消し去った「影」が潜んでいた。
伊賀出身の腕利きの忍びである。
彼は勝元たちの密談を最後の一言まで聞き届けると、瓦一枚鳴らすことなく、夜の闇へと溶けていった。
数刻後。
京の郊外にある、高い防柵と厳重な警備に守られた山科の「極秘要塞(特区)」。
その中枢である薫子の私室では、沈黙のまま平伏する忍びからの報告を受けた薫子(十二歳)と日野富子が、冷ややかに微笑み合っていた。
「……なるほど。細川様も山名様も、いよいよ兵を集める腹積もりでおじゃるな」
薫子が艶やかな京言葉で呟くと、富子は呆れたようにため息をついた。
「ほんまに、あの脳筋どもは……。少しでも気に食わんことがあれば、すぐに兵を呼び寄せて都を燃やそうとしよる。自分がどんだけ野蛮なことしとるか、ちっとも分かってへんのやわ」
「彼らにとっては、それが『武士の誇り』であり『 政(まつりごと) 』の形なのでおじゃりましょう。……なれど、まことに時代遅れで滑稽なお考えでおじゃる」
薫子は、卓の上に広げられた巨大な「畿内経済網の地図」を見下ろした。
この数年間で、薫子と富子が創り上げた「室町ファンド」の支配領域は、想像を絶する規模に膨れ上がっていた。
物流の要である馬借のネットワークは、完全に薫子の福利厚生(ターミナル施設)に依存している。
京と堺の土倉(金融業者)たちの貸付帳簿は、すべて幕府の手形システム(薫子の金庫)に紐付けられている。
そして、他国の 間者(スパイ) を物理的に排除するための、伊賀・甲賀の「 防諜機関(セキュリティ・ネットワーク) 」。
「細川様も山名様も、自分たちの『足元』がすでに私たちの経済網に飲み込まれていることに、微塵も気づいておられまへん」
薫子は、地図上にある細川と山名を示す駒を、指先で弄んだ。
「数万の軍勢を集めれば勝てる。そう思っておられるのでしょうが……軍隊というものは、ただ腹を空かせた『巨大な浪費の獣』でおじゃる。莫大な前金(銭)と、山のような兵糧(米)、そしてそれを運ぶ手足(馬借)がなければ、一歩も動けまへん」
「ええ。そして、その『銭と飯と手足』の蛇口を握っとるのは、他でもない……うちと薫子や」
富子が、残酷な女王のような笑みを浮かべた。
二大巨頭は、自分たちの意志で軍を動かせると思い込んでいる。
だが実際は、彼らが「戦を始めるためのスイッチ」は、とうの昔に薫子たちの手の中に握り込まれているのだ。
「富子様。戦は、決して始めさせてはなりませぬ。あの方々が本気で牙を剥いて暴れ出す前に……完全に首輪をハメるための『巨大な 罠(アメとムチ) 』の最終調整に入りましょうぞ」
「巨大な罠、とな。……また、おもろい絵図面を描いたんやな、薫子?」
「はい。まずは、あの方々の足元でくすぶっている小さな火種(畠山家や斯波家のお家騒動)を利用いたしまする。あの格下の連中を『 実験台(モルモット) 』にして、途方もない富を与え……細川様と山名様のプライドと強欲さを、限界まで煽って差し上げるのでおじゃるよ」
薫子の瞳の奥に、天下の二大巨頭を「金と物流の力で飼い慣らす」という、底知れぬ狂気と野心が燃え上がった。
表舞台では、武将たちが己の権力と名誉のために血生臭い闘争に明け暮れている。
しかし、水面下では。
わずか十二歳の童女と、強欲なる未来の御台所が、歴史の巨大なうねり(応仁の乱)そのものを丸ごと飲み込むための、恐るべき「経済の蜘蛛の巣」を完成させようとしていたのである。