軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第18話:海への野望 〜外洋船と基礎工業の夜明け〜

京の都が「室町ファンド(日野富子の権威)」の力によって見えざる経済の支配下に置かれつつあった頃。

自治都市・堺の裏路地にある薄暗い船宿に、日野家の家紋が入った直垂を着た幕府の武官が足を踏み入れた。

その後ろには、盆を持った地味な小袖姿の小間使いの少女(薫子)が、影のように静かに付き従っている。

部屋の奥で胡座をかいていたのは、潮風で肌を黒く焼いた、鋭い眼光を持つ男。

瀬戸内海を支配する『村上水軍』の若頭、村上武吉である。

武吉は、目の前に座った幕府の武官を不躾な目で見据えた。

小間使いの少女など、彼の視界には入っていない。

「……天下の幕府様の使いが、こんな薄暗い船宿で、俺らのような海賊になんの用じゃけえ。お偉いさん方から見りゃあ、俺らは討伐すべき忌々しい虫ケラじゃろうが」

その言葉には、強烈な警戒心と、海の男としての誇りが入り混じっていた。

武官は表情一つ変えず、懐から一枚の真新しい書状を取り出し、武吉の目の前に滑らせた。

そこには、将軍家と並ぶ権威となりつつある、日野富子の朱印が記されている。

「海賊として討伐に怯えながら、瀬戸内の小銭を奪い合って生きるか。……それとも、幕府公認の『正規海軍』として堂々と日の本の外へ打って出て、未知の海の莫大な富を奪いに行くか。御台所様は、選べと仰せでござる」

「なっ……幕府公認の、海軍じゃと!?」

武吉の目が驚愕に見開かれた。

「……待てや。つまり、異国の富じゃと? 日明貿易の勘合符は、大内や細川の連中が牛耳っとるはずじゃ。俺らが入る隙など……」

「明国のような庭先の話などしておりませぬ。御台所様が見据えておられるのは、遥か南の島々、そして東の大海の向こう側でござる」

武官が顎でしゃくると、背後に控えていた小間使いの少女が、するすると進み出た。

彼女は恭しく卓の上に木箱を置き、無言のまま被せられていた布を取り払った。

武吉は息を呑んだ。

そこにあったのは、中世日本の平底の和船とは全く違う構造をした、精巧な船の模型であった。

深く鋭い 竜骨(キール) を持ち、複数の高いマストには複雑な帆が張られている。

武吉は震える手で模型に触れた。

海の玄人である彼には、一目で分かったのだ。これが極めて理にかなった「外洋を制覇するための怪物」であると。

「御台所様より、この全く新しい『外洋船』の造りを提供するとの手はずにおわす。そなたらの卓越した操船の腕があれば……世界中の海が、そなたらの庭になり申そう」

「……面白え。乗ったるわい! その『正規海軍』の証、確かに受け取ったけえ!」

武吉が力強く頷くのを聞きながら、小間使いの少女は一切の感情を見せず、ただ静かに頭を下げた。

***

水軍との密約を終えた足で、武官と少女は堺の外れにある、厳重に警備された極秘の鍛冶工房へと向かった。

そこでは、幕府の資金提供を受けた堺の豪商が、親方と共に大砲の試作を行っていた。

「……申し訳ございませぬ。何度やっても、うまくいきませぬ」

親方が、鋳造されたばかりの砲身と弾丸を前に平伏していた。

「手で削って同じ太さに揃えようと磨かせておりますが……どうしても筒と弾の間に隙間(遊隙)ができてしまいまする。これでは何十門も揃えるなど夢のまた夢……」

項垂れる親方を見下ろし、堺の豪商は持っていた扇子で卓を叩いた。

「親方。それは職人たちの腕が悪いのではない。お主らが『職人の勘』に頼って物を作っておるからだす! この工房には、絶対の基準となる『定規』がおまへん。だから、作る人によって形が変わるのだす」

豪商は、懐から数枚の図面を取り出し、卓の上に広げた。

それは事前に、日野富子から(実際には薫子が書き上げて富子経由で)渡されていたものであった。

「今日から大砲を作る前に、まずは『大砲を作るための道具』を作るのだす。御台所様の御下知によれば、温度で歪む木ではなく、分厚い鉄で『絶対の基準となる定規(原器)』を一つ作れとのこと。すべての物差しは、そこから写し取るのだす」

「定規の、統一……!」

「そしてこれを見なはれ。当家の水車の動力を歯車でこの『 旋盤(せんばん) 』に繋ぎ、硬い鉄の刃を当てて、水車の強大な力で一気に筒の内側を削り出すのだす! ヤスリなど使うなとのお言葉だす!」

親方は、その図面を食い入るように見つめ、やがて全身を震わせ始めた。

「寸法の統一」と「工作機械の導入」が、モノづくりの常識を根底から覆す魔法であると理解したのだ。

「こ、これは……! この『旋盤』と『基準の定規』さえあれば、全く同じ兵器が、一日に何門でも造れるようになりまするぞ……!」

「うむ。まずは、この母なる機械を造ることに全力を注ぐのだす」

豪商が親方に命じる背後で、小間使いの少女は静かに茶を立てていた。

***

工房を出て、夕闇が迫る堺の町。

前を歩く幕府の武官と堺の豪商が、小声で会話を交わしていた。

「それにしても、御台所様の恐ろしきことよ。我らには到底思いつかぬ『からくり』の図面までご用意されておるとは……」

武官の感嘆の声に、豪商も深く頷く。

「へえ。しかも、あの技術を他国に盗まれんよう、伊賀と甲賀の者どもを相場の三倍の給金で根こそぎ雇えとの御下知だす。暗殺やのうて、当家の『専属の番犬』として工房の 防諜(まもり) に就かせよと」

「なるほど。影の者から技術を守るには、影の業というわけでござるな。細川様や山名様の放つネズミどもも、これでは手が出せまい」

「さらに驚きなのが、海外の海図集めだすわ。御台所様は『言葉の通じぬ異国へ忍びを送っても意味がおまへん』と仰り、語学に長けた禅僧たちを琉球経由でマラッカへ遣わす手はずを整えられました。現地のイスラム商人から、巨額の金で実用海図を買い集めさせよと」

「まこと、天下を治めるお方の眼力は底が知れませぬな。……我らも心してかからねば」

畏怖の念を抱きながら語り合う二人の大人たちの後ろを、小間使いの姿をした十二歳の少女は、ただ黙々と影のようについて歩いていた。

薫子(心の声)『ふふふ。完璧ね。技術を守るための国内セキュリティ(忍者)と、語学力を活かした海外諜報(禅僧)。私が富子様の名前で書いた台本通りに、大人たちが完璧に動いてくれているわ』

誰にも気づかれることなく、小間使いの少女は宵闇の中で妖しく微笑んだ。

遠い世界の海を制覇するための巨大な歯車が、今、彼女の思い通りに回り始めていた。