作品タイトル不明
第22話:巨万の富を乗せる器〜大内氏へのアプローチと鄭和の航海記録〜
自治都市・堺の最も格調高い料亭の一室。
大内政弘は出された最高級の宇治茶の香りを静かに楽しみながら優雅に扇子を揺らしていた。
彼の視界の先には揉み手をして愛想笑いを浮かべる堺の豪商が座っておりその背後の暗がりには茶を点てるための小間使いの少女が一人静かに控えていた。
「都で畠山や斯波が端銭を巡って泥遊びをしておるそうじゃがほんまに雅を解せぬ連中でおじゃるな。武門の棟梁たる者もっと大局と風雅を愛さねばならぬというのに」
政弘は本拠地である山口の地を「西の京」とすべく公家や文化人を手厚く保護し自身も連歌や茶の湯を深く嗜む生粋の文化人であった。
だからこそ幕府の重鎮たちが狭い領地や家督を巡って血みどろの争いを繰り広げている姿がひどく滑稽で低俗なものに映っていたのである。
大内家は遣明船を操り海の向こうの大帝国である明国との独占的な交易によって他家とは桁違いの莫大な富を築き上げている西国一の太守なのだ。
「それで?堺の会合衆が直々にこの政弘を呼び立てた理由は何でおじゃるか。手短に申してたもれ。当方は都の粗野な武将どものように暇ではおまへんゆえ」
政弘が公家を気取った雅な京言葉で促すと堺の商人は恭しく頭を下げた。
「へえ。大内様におかれましてはわてら堺の湊を日頃よりご贔屓にしていただきほんまにおおきに。本日は他でもおまへん。幕府の大御台所様、日野富子様より大内様へ『新たな海』の共同事業の持ちかけに推参いたしましただす」
「共同事業、でおじゃるか?」
政弘の太い眉が不快げにピクリと動いた。
「その通りだす。現在幕府は畠山様や斯波様といった諸将に命じ南海への新たなる交易船団を組ませる計画を進めております。そやけど西の海を渡るにあたり大内様のお力添えなしでは成り立ちまへん。どうか大内様にはこの『室町ふぁんど』が主導する海外交易共同体に加わっていただきたく……」
「ええ加減にせえよ!!」
政弘の怒声が部屋の空気をビリビリと震わせた。
先ほどまでの雅な公家の仮面は一瞬で吹き飛び西国を武力と財力で平らげた荒々しい海の覇王の『地金』が完全に剥き出しになっていた。
彼は愛用の扇子を畳に力強く叩きつけ眼光鋭く商人を睨みつけた。
「日明の海は我ら大内が血と銭を流して切り拓いた我が家の庭じゃ!それを都で泥遊びしとる畠山や斯波の連中と同列に扱おうたぁどういう了見じゃ!富子様がどれほど幕府の金庫を握っておろうと海の掟を決めるのはこの儂じゃわい!」
圧倒的な武将の覇気が商人を飲み込もうとする。
政弘の反応は完全に正論であった。
すでに独占的な既得権益を持っている者がわざわざ後から来た素人たちと利益を分け合う理由などどこにもない。
***
『予定通りの完璧な激怒ね。やっぱり大内政弘は自分の持っている利権の価値を正確に理解している。気取ってはいるけれど本質は極めて獰猛な武将よ。だからこそ「それ以上の価値」を見せられた時の反転も大きいのよ』
部屋の隅で気配を殺し伏し目がちに茶釜の湯加減を見ている薫子は内心で一人ほくそ笑んでいた。
既存の絶対的権力者を味方につけるには彼らの想像を絶する「圧倒的な未来」を提示するしかない。
商人は政弘の怒声にも全く怯むことなく懐から一枚の分厚い和紙の束を取り出した。
「へえ、大内様の仰る通りだす。そやけど……わてらが提案する海はこれまでの遣明船が這うように進んでいた沿岸の海ではおまへん。この『器』に乗って外洋の荒波を越えまだ見ぬ黄金の国々を直接支配するという途方もない事業だす」
商人が和紙を政弘の目の前に広げた。
それは精密な定規と墨によって描かれた見たこともない巨大な船の設計図面であった。
「……なんじゃ、これは。やけに図体のデカイ船じゃのう」
政弘は怪訝な顔で図面を見下ろした。
海運を牛耳る大名とはいえ彼自身は造船の専門家ではない。
単に船を大きく描いただけの絵空事ではないかと疑念を抱いたその時であった。
「お、御屋形様!恐れながらその図面、それがしにも拝見させてくだされ……ッ!」
政弘の背後に控えていた初老の武将が血相を変えて身を乗り出してきた。
大内水軍を束ね数々の海戦と航海を生き抜いてきた歴戦の船奉行、白井である。
白井は震える手で図面を食い入るように見つめやがて滝のような冷や汗を流し始めた。
「こ、これは……なんちゅう化け物船じゃ!御屋形様、この図面を描いた者はただの狂人かさもなくば海の神に違いありませぬ!」
「白井?お主ほどの海の男が何をうろたえておる。ただ図体がデカいだけじゃろうが」
「違いませぬ!御屋形様、ここをご覧くだされ!従来の我らの和船のような平底ではなく、船の底に下向きで厚みのある凸型の『 竜骨(キール) 』が通してありまする!さらに横波に対する強度を飛躍的に高める二重張りの堅牢な船体……!これならば外洋の荒波を真正面から切り裂いて進めまする!」
白井の興奮は最高潮に達していた。
「それだけではありませぬ!この複雑な三本の 帆柱(マスト) と四角帆・三角帆の組み合わせ!これならば向かい風すらも推進力に変えて大海原を真っ直ぐに突き進むことが可能となりまする!もしこんなものが海に浮かべば我らの水軍など波飛沫一つで置き去りにされましょう!」
それは薫子が前世の地政学と造船知識を総動員し堺の職人たちに命じて極秘裏に設計させた日本初の「外洋型ガレオン船」の図面であった。
政弘の呼吸が荒くなった。
彼自身には構造の理屈は分からずとも最も信頼する水軍の長がここまで戦慄しているという事実がこの図面が世界をひっくり返す「悪魔の兵器」であることを証明していた。
「わてらはこれを『外洋船』と呼んでおります。大内様、この船ならばはるか南方の香辛料の島々や 天竺(インド) までもを直接我が物とすることが可能となるのだす」
商人がニヤリと笑い声を一段階潜めた。
「建造費はすべて幕府の『室町ふぁんど』が負担いたします。大内様にはこの最新鋭の船団を率いる筆頭提督となっていただきたい。格下の畠山や斯波はあくまで大内様の指揮下に入る小間使いに過ぎまへん」
政弘の脳内で猛烈な計算が始まった。
もし幕府がこの船を他家に与えれば大内の海の覇権は一瞬で崩壊する。
だが自分がこの共同事業のトップに立てば幕府の莫大な資金と新技術を合法的に乗っ取り世界最大の海の王になれる。
『……いや、待て。話がうますぎるわい』
政弘は武将としての警戒心を取り戻し図面から目を離した。
「これほどの船を与えて幕府は儂に何をさせたいのじゃ?ただの交易ならばわざわざこのような化け物を造る必要はあるまいが」
「流石は大内様、お見通しだすな。実は……大内様の遣明船の外交路を利用して明国から『ある物』を盗み出していただきたいのだす」
「盗み出すじゃと?明国から?」
「へえ。かつて明国の永楽帝の命により七度にもわたって南海の大遠征を行った大宦官、鄭和。彼の艦隊が記録した『星の配置による航海図』と『南海の気候や海流の完全なる記録』……すなわち『鄭和の航海記録』だす」
政弘は息を呑んだ。
「馬鹿な!あれは明国の最高国家機密じゃぞ!今の明は海禁政策を敷き外洋への進出を固く禁じておる。鄭和の記録も宮廷の奥深くに死蔵されとるはずじゃ!」
「やさかい価値があるのだす。大内様の遣明船には優秀な禅僧様たちが乗っておられましょう?彼らを通じて明の宮廷の役人に莫大な賄賂を贈りその記録を書き写して密輸していただきたいのだす。賄賂の資金はいくらでも幕府が用意いたしますわ」
商人の言葉に政弘は身震いした。
最新鋭の外洋船。
そして世界最高峰の航海記録。
この二つが揃えば自分たちは明国という巨大な帝国すらも出し抜き地球上のすべての海の富を独占することができる。
それは狭い日本国内で泥に塗れて殺し合うことなど比べ物にならないほどの途方もないスケールの野望であった。
***
『よし、食いついたわね。大内政弘、あなたのその野心と実力こそが南海ルートを開拓するための最強のエンジンになるのよ。あなたにはこれからたっぷりと幕府の莫大な資金を使って明国の役人を金で縛り上げ世界の海図をひっぺがしてきてもらうわ』
薫子は静かに茶釜からお湯を掬いながら音を立てずに完璧な動作で抹茶を点てた。
政弘はしばらく沈黙した後ふっと肩の力を抜き豪快な笑い声を上げた。
「……ははっ、ははははっ!面白い!都の公家どもや富子様にこれほどの途方もない悪巧みができるとは思えん。一体どこの誰がこの絵図面を描いたのじゃ?」
政弘の鋭い眼光が商人を通り越し部屋の隅に控える小間使いの少女を一瞬だけ捉えたような気がした。
しかし少女は全く表情を変えずただ恭しく点てたばかりの茶を政弘の前に差し出しただけであった。
「さあ?わてらはただ御台所様の命に従い大内様へ夢をお運びしただけのしがない商人でおます」
商人がとぼけると政弘は差し出された茶碗を手に取り一気に飲み干した。
「美味い茶じゃ!……よかろう。この話、大内政弘が確かに乗ったるわい!畠山じゃろうが斯波じゃろうが儂の船の尻目に就かせて西の海の広さを骨の髄まで教えてやるわ!」
西国の雄が完全に幕府の巨大な経済圏に取り込まれ共同経営の相棒へと反転した瞬間であった。
薫子は空になった茶碗を静かに下げながら脳内のチェスボードの駒を一つ大きく進めた。
『これで西のルートの安全と実行力は確保できた。次は……東ね。関東で七年も無駄な殺し合いを続けている足利成氏と上杉の野良犬ども。彼らには「佐渡の金塊」と「蝦夷地の毛皮」という現実的なアメをしゃぶらせて極寒の北太平洋へと放り込んであげるわ』
巨大な富を乗せる器の準備は整った。
日本という国が百年続く内戦の運命を脱ぎ捨て世界へとその牙を剥く準備が着々と進められていた。