作品タイトル不明
39「憂鬱じゃね?」
「――お兄ちゃん!」
「げ」
屋上に飛び出してきたのは、かつて夏樹の母春子の再婚相手の娘さんである綾川杏だった。
異世界から帰還後、まったく思い出せなかった杏ではあるが、散々面倒臭い言動をしてくれたので、さすがにまだ覚えている。
とはいえ、視界に入れるまで忘れていた。
正直なところ、興味がないのだ。
だが、ここのところ学校に来ていない夏樹を探していたようなので、いつか出くわすと思っていたのだが、よりによって今だとはさすがに予想していなかった。
「探したんだよ、お兄ちゃ――あ、月読先生。それと、えっと」
夏樹が屋上にいることを杏は知っていたようだが、月読とリヴァイアサンまで一緒だとは思いもしていなかったようだ。
無論、リヴァイアサンの正体を杏がわかるはずもなく、見知らぬ美少女と教師が夏樹と一緒にいるという不可思議な光景に違いない。
「――綾川杏さんですね。なにか急用であれば、私たちに気にせずどうぞお話を」
心底嫌そうな顔をしている夏樹に代わり、月読が杏に対応した。
にこやかな人当たりの良い笑みを浮かべて、「どうぞ」と言うが、やんわりと「特に用がないなら邪魔しないでください」という雰囲気が込められていた。
教師としては少々問題ではあるが、夏樹と杏の関係を知っている月読は、ふたりが会話をしようものなら絶対によくない方向に進んでしまうと判断しての言動だった。
普通ならば、教師がいるのなら遠慮して去っていくだろう。
だが、杏は普通ではなかった。
「じゃあ、少しだけ話させてもらいます」
「…………おっと」
月読も意外だったようで、軽く目を見開いてしまっていた。
「あのね、お兄ちゃん。あいつ死んだんだって」
「……だから、なんですかー」
返事をしなければヒステリックに騒ぐと思ったので、適当に返事をすることにした。
だが、内心では呆れている。
数日前、一登が杏に対し叱ってくれたというのに、彼女には何も響いていなかったようだ。
「前にも言ったけど、杏は騙されていたんだよ? 悪い奴は死んだし、これで元に戻れるよね?」
夏樹は、杏のことを可哀想だと思った。
優斗に魅了の力があることはすでにわかっている。だが、抗えないわけではないこともわかっている。
今さら誰が悪いだとか、優斗のせいだとか言うつもりはない。杏も被害者であることは理解している。だが、優斗を好きになったのと、家族だった母や自分に暴言を吐いて家庭を崩壊させたことは別問題だ。
今となっては、優斗の魅了のせいだったのかどうかもわからないが、現在の自分本位な言動を見れば、遅かれ早かれ家庭は崩壊していただろうと思う。
「正直、あんたともう話をするつもりはないんだけど、三原優斗が死んだ記念に少しだけ話をしてあげるよ。だけど、これが最後だ。母を悲しませたあんたを俺は許さない。あんなに良い人だった誠司さんを苦しめたあんたを許さない」
「……だって」
「別に俺に謝罪しろなんて言わない。謝罪なんていらないから。俺は、あんたみたいな気持ちの悪い女と関わりたくないんだ。頼むから、俺と母と友人たちを放っておいてくれ。そして、あんたは自分の父親をもっと大切にしろ。俺が、言ってやれるのはこれだけだ」
杏はなにも言わなかった。
だが、涙を浮かべながら、夏樹を睨むと、そのまま背を向けて屋上から消えていく。
「ありゃりゃ。最近の女の子って自分勝手だよねぇ。あの子さー、別に夏樹きゅんを好きだとかー、そういうのはないんだよねー。変に執着してるみたいだけどー、言うことを聞かせたい感じー?」
「……個人的に言いたことはありますが、教師として言わせてもらいますと、三原優斗と関わった少女はなにかしら歪んでいます。もともとだったのか、彼のせいで歪んだのかまではわかりませんが、関わらないことが一番ですよ」
リヴァイアサンと月読にフォローされた夏樹は、これでもかと晴れ渡る空を見上げ、
「ああ、クソッタレ。憂鬱だ」
今の心情を吐き出した。