作品タイトル不明
55「幸せの神じゃね?」
向島市立病院の廊下を、ひとりの少女が歩いていた。
百五十センチもない小柄に、腰まで伸ばした黒髪を持つ少女だ。
ストライプ柄のスーツに身を包み、日傘を差し、左目に眼帯を当てるとにかく目立つ容貌をしている女性だった。
――しかし、入院患者も、看護師も、医者も、見舞客も誰も彼女に気づかない。
「おっと、ここね」
声を弾ませて、いくつもの結界が張られている部屋の中に入る。
結界はまるで最初からなかったように作用しない。
それどころか、見張りとして部屋の中にいる警察官も、彼女に気づいていなかった。
「せっかく力をあげたのに、誰も結果を出せなかったのね。これは、私が悪いのね、ごめんなさい」
少女は謝罪し少年の頭を撫でた。
意識を失っている少年は、よほど嫌な夢を見ているのか大粒の汗を浮かべている。
「かわいそうに、あなたは幸せじゃないのね」
少女が少年を撫で続けると、寝顔は安らかになった。
「魔族と精霊? 妖精かな。呪われていたけど、もう解放したわよ。あなただけ、特別」
少女は、傍にあったパイプ椅子に腰を下ろした。
「君は力を与えたのに、みんなの後ろにいて怯えていただけ。でも、それは慎重とも言える。あの中で、君が一番――幸せになりたいと願っていたわね。一番、松島明日香を好きだったわね。なら、私が改めて力を与えましょう。君には私の力を受け取る資格がある。他のみんなは駄目だったけど、君は私のお眼鏡に叶ったわ」
彼女の手には、小島村たちから回収した力があった。
ひとつひとつは小さな力だが、人には持て余す力だった。
その力をひとつにして、少年の胸の中に入れる。
拒絶反応はない。
彼自身が強い想いを抱いているからこそ、問題なく受け入れたのだ。
「君は誰よりも幸せになりたいと思っている。なら、私は力を貸すよ。だって、私は――幸せの神なんだから」
少女――幸せの神は微笑む。
優しく、慈しむように。
母性の溢れた笑みを浮かべる。
幸せの神は、夏樹たちと接触をした祝福の神とは違う。
幸福の神である。
だが、少女は複数いる幸福の神を全て殺して取り込み、「幸せの神」を名乗った。
彼女の行動理由は、「幸せを願う人々の手伝いをして幸せに導くこと」それだけ。
由良夏樹にも、新たな神々の新たな神話にも興味がない。
小島村たちに力を与えたのも、彼らが力を欲していたからだ。
だが、彼らは幸せになろうとはせず、欲望を満たそうとしただけだ。
そんな人間は――いらない。
「さあさあ、君は幸せになってくれるかな? 私は生まれてから何人にも幸せに導こうとしたけど、誰も幸せにならなかった。お願いね、神として本懐を果たさせて。君が幸せになってくれたら、私は満たされるの」
幸せの神は祈るように少年の手を額を当てた。
しばらくして、何事もなかったように立ち上がり病室を去った。
――幸せの神に力を与えられた少年が、夏樹たちの前に強敵となって現れるまでもう少し。