作品タイトル不明
89_本当はずっと名前を呼びたかったの
どろりと音がする。
それは、さっき瘴気だまりから魔物が溢れた時に聞こえたのと同じ音。
だけど、今度のそれはすぐ近くから聞こえた。
突然襲って来た嫌な気配に肌がぞわりと粟立つ。
この感覚は、前にも一度経験したことがある──。
ハッとその気配に気づいて振り向いた時には、私の後ろに瘴気の渦が現れて、それがモヤリと渦巻いていた。
(これ、いつか討伐現場で、ギズリ様の側に突然魔物が現れた時と同じ──!)
咄嗟に、あの時と同じように魔法をぶつけて、姿を見せる魔物を弾き飛ばそうとした。
だけど、あの時よりもずっとずっと、魔物の現れる速度が速くて、魔法を放つ暇もない。
……そっか、瘴気だまりがあの時よりもかなり大きいから、魔物の強さも全然違うんだ……。
そう気づいた時にはもう遅かった。私にはなすすべもなく、魔物が現れ、瞬時に私めがけて魔法が放たれた。
咄嗟に目を瞑り、腕で頭を守ろうとした。きっと、そんなの意味がないのに。
(フワフワに、気を付けるって、言ったのに……)
あとで、すごく怒られちゃうかもしれない。セルヒ様は優しいから、泣いてしまうかも。
まるで時間がゆっくり流れるような感覚の中で、そんなことを思っていた。
本当は、このまま死んでしまうかもしれないと、分かっていたけれど。
だけど──想像していたような痛みが、私を襲うことはなかった。
「キュウウウーン!ギャッ」
「!?ま、魔獣ちゃん!」
まさに私に魔物の放った魔法がぶつかるその時、懐にいた魔獣ちゃんが飛び出し、その魔法を全身に受けて私を庇ってくれたのだ。
魔獣ちゃんは悲鳴を上げて、地面にポトリと落ちてしまった。
その瞬間、フワフワが風のように現れて、魔物を切り裂いた。
『ルーツィア!チビ!大丈夫か!』
「私は大丈夫だけど、魔獣ちゃんが私を庇って……!」
『くっ、すまないルーツィア、魔物が多すぎて一歩遅れてしまった』
フワフワはそう言いながら、結界の方に飛び込み、他の魔物に対峙する。
結界の外にさらに魔物が現れる気配はもうなかった。
私は急いで魔獣ちゃんに駆け寄ってその体を抱き上げる。だけど、小さな魔獣ちゃんは目をそむけたくなるほど傷だらけで、もう少しも動けないようだった。
「魔獣ちゃん、ごめんね、ごめんね……私のせいで……!」
ただでさえ瘴気に苦しんで、傷だらけになっていた魔獣ちゃん。
そんな魔獣ちゃんを守りたかったはずなのに、守るどころか私を守らせて、こんなにも傷つけてしまった。
浅くなる呼吸、止まらない血。このままじゃ魔獣ちゃんが……!
(そんなの、絶対にダメ……!)
どうにかできないか、必死で考えを巡らせて……ふと、脳裏にひとつの記憶がよみがえる。
『このまま契約すると、ルーツィアの体が魔力量に耐えられない可能性があるし、ギリギリ耐えれるくらいだった場合は、その不調を全部引き受ける形になってしまうかもしれない』
魔獣ちゃんと契約をすれば楽になるかもしれないと言って、だけど、それは駄目だと止められて……その時に、オーランド様はそう言っていなかったっけ。
──契約すれば、助けられるかもしれない。
上手くいけば、私の魔力と相性がよくなって、魔獣ちゃんを回復できるかもしれない。もしも、やっぱり私の魔力が足りなくても、私が怪我も瘴気も引き受けて、魔獣ちゃんを助けられるかもしれない。
魔力量はどんどん上がっている。今の私なら、上手くいく可能性はあるように思えた。
いけるかもしれないけど、だめかもしれない。でも、試してみる価値はある。
(セルヒ様、オーランド様、フワフワ……絶対ダメって言われてたけど、皆、ごめんなさい!)
私は地面に座り、魔獣ちゃんを膝の上に抱えると、その顔をそっと見つめる。
魔獣ちゃんは呼吸も苦しそうで、今にも気を失ってしまいそうにフラフラしているけれど、それでも私に応えるように顔を上げて、目を合わせてくれた。
「魔獣ちゃん、私と、契約してくれる?」
「……キュ!」
魔獣ちゃんは、まるでもちろんとでも言うように、頷いてくれた。
契約のためには、魔力を込めて、名前を呼ぶ……。
私ね、本当は魔獣ちゃんのこと、『魔獣ちゃん』なんて呼び方じゃなくて、ずっとずっと名前で呼びたかったの。
だけど、魔獣ちゃんに魔力を渡している私が名前をつけてそれを呼んでしまうと、契約してしまうことになるから、できなかった。
やっと、名前で呼べるね。
(どうか、これから先も、この名前が呼べますように……)
そのためには、私も魔獣ちゃんも、生き延びる必要がある。
私は魔獣ちゃんの手を優しく握ると、魔力を流す。ぽわり、ぽわりと、光が湧き始め、私達の周りを取り囲み始めた。
「ルーツィア!!!」
セルヒ様が私を呼ぶ声がした気がしたけれど、次の瞬間には真っ白な強い光に全身が包み込まれて、周囲の音も一切聞こえなくなった。
フワフワとうっかり契約してしまった時には、こんな風にはならなかったのに、これってどういうことだろう?
不思議には思うけれど、なぜだか怖くはない。むしろその光の中はすごく心地よくて。
湧きあがる優しい気持ちに満たされながら、私は魔獣ちゃんを見つめる。
魔獣ちゃんの名前、本当はずっと、決めていたの!
「魔獣ちゃん、あなたの名前は──おこげちゃんよ!」
「キュウウ~ン!」
『ルーツィア!ルーツィア!ありがとう、ダイスキ!』
そんな可愛らしい声が頭の中に響いた時、私達を包み込む光がより一層強くなり、すぐにパチンとはじけた。
そして、次の瞬間、なぜだか大絶叫が聞こえた。
「お、おこげだって~~~!?!?!?」
んん!?今のって……アルヴァン様の声?