作品タイトル不明
第125話 視線
和解。普通のJKが使うには馴染みのない言葉に、リィはカリカリとうなじを掻く。
JKなんてノリと勢いで生きてる生物なんだから、和解なんて……と思うのに、うまく声が出ないのはどうしてだろう。
奇妙な圧迫感を覚えながらも、リィは理性をぎゅっと振り絞って言い返す。
「えっとぉ……そもそもね? どぉして、リィの家まできてお話なの? 学校ですればいいじゃあん」
「経験則、です」
眼鏡の女が、すみません、と会釈を挟む。
頭を下げているのに謝っている気がしないのは、リィの気のせいだろうか?
分からない。分からないけれど、何か奥歯の間にものが挟まったような違和感が……。
眉を寄せ、顔を歪めるリィの前で眼鏡の後輩が馬鹿丁寧に話を続ける。
「この手の話って、長引かせると良くないな、と学んでまして。……私、去年もクラス委員長を務めてたんですけど、曖昧にしてしまうと、いつの間にか私が引き受けたことになってたり、勝手に押しつけられたりするんです。なので、話は早めにつけておいた方がいいですし、害虫は早めに駆除したほうが気分もいいですし」
「んーでもぉ。涼ちゃんと話してるのは私だしぃ、あなたは関係ないよね?」
「仰る通り、他人の揉め事に入るのはよくないと思います。実際、涼風さんに頼まれたわけでもありませんし。……ただ」
眉を尖らせ、ガリガリとストレスを抱えたように首筋を掻く少女。
この子、名前なんて言ったっけ……? 思い出せないリィに、彼女は無機質な瞳を向けながら。
「私が、痒くて。むずむず、するんですよね。涼風さんとあなたを見てると、昔の私を思い出して」
理屈にもなっていない返し。――反論は幾らでも思いつく。
それ、あなたの感想でしょ? 個人的な話であって私には全く関係ないよね?
あなたが彼女の代わりに返事しに来たわけでもないし、あの子も迷惑なんじゃない?
ていうかさあ、先輩に対して命令するような口調、よくないって思うよぉ……?
煙に巻くのは容易い。適当な屁理屈をひっつけるのは簡単だ。
そもそもこの話は、涼風とリィの間の話でこの女は関係ない。
……けど。
先生に。同級生に。親に、後輩に、そういう言い訳は通じても。
銃口を向けるテロリストに、その話は通じるだろうか?
余計なことを口にすれば、問答無用で頭が打ち抜かれる……そんな気配を醸し出す相手に、果たして反論すること自体が許されるのだろうか?
パタン、とドアを閉じる音に、リィははっとする。
いつの間にか、彼女が玄関を乗り越えていた。
ここで話をつけましょう、と言外に圧をかけんとばかりに彼女が一歩靴のまま土足で廊下に乗り上げ、リィに迫る。
……父の帰りは遅く、いま、部屋にいるのはリィ一人……。
「先輩。私、難しい話はしていないと思います。自分の仕事は、自分で受け持つ。それだけの話ですよね?」
獣が迫る。首裏がちりちりとひりつくような違和感。
知らない間に自分は拙いロープの上に佇んでいて、ひとつ選択をミスれば奈落の底へと転落するような……。
「っ――」
けど。リィも先輩として、こんな野暮ったい小娘に舐められるわけにはいかない。
「そうだけど……でもリィ、忙しくってぇ。それに三年生って受験もあってね? 頼みにくいのぉ。それに涼ちゃんがやった方がぁ、経験も積めて、メリットもあると思うのぉ。あ、なんならあなたも手伝ってくれる? うん、それがいいよ、その方が友情も深まるしメリットもあるよね?」
「でも先輩。私と素直に和解してくれたら、先輩には別のメリットもありますよ」
「んー? どーゆー意味ぃ?」
「私と、縁が切れます」
何それ、と眉をしかめる一方――リィは、彼女との会話を一刻も早く打ち切りたいと思っている自分にも、気づく。
この女と、一秒でも早く別れたい。そのためなら文化祭程度のデメリットくらい、別にいいじゃないか、と。
天秤がぐらつく。自分は何か、致命的な間違いをしていないか。
蝶々のように優雅に飛び回っているうちに、気づけば蜘蛛の巣に絡め取られている……いや、自分から鮫の口に飛び込み、知らずに煽っている馬鹿のような……
「…………」
「…………」
リィはひとつ、ゆっくりと唾を飲み下し。
じっとりと零れる汗をぬぐい……。
迷い、考え、悩み……
「っ……」
最後にぎゅっと、乾ききった喉を鳴らし、息をついて。
「……わかった。じゃあ、この件はナシにしよう……かな? うん。文化祭は、あたしがやるね?」
乾いた声で彼女に返した。
普段の彼女なら、あり得ない行動。けれど、よくわかんないけど、手を出しちゃいけない気がするっていう本能が、リィをあと一歩のところで押しとどめた。
目の前に見えない大きな落とし穴を、寸前で回避したのだ。
後輩がぺこりと会釈をし、ふっと肩の力を抜くのが見えた。
「ご理解頂き、ありがとうございます。先輩が話がわかる人で、助かりました」
「でしょ~? あたし、後輩思いの優しい先輩だからね?」
「ええ。約束、ですよ?」
「そ、そうね。約束ねぇ。……ちなみに、破ったらどうなるのぉ?」
半ば引きつりながら尋ねるリィに、眼鏡の女はなにも答えずにこりと笑った。
それが人の笑顔と呼べるものか、リィにはなぜか判断がつかない。
では、と彼女が踵を返そうと背を向け「あ」と呟く。
眼鏡の後輩が思い出したように鞄からポケットティッシュを取り出し、身を屈めた。
「廊下に土足で上がってしまいましたね。拭いておきます」
そこだけは真面目な委員長らしく、乾いたペーパーで廊下をぬぐっていく彼女。
自然と女の姿勢が低くなり、無防備な後頭部をさらした、その瞬間――
リィは、ふと。
このまま女の後頭部に向かって思い切り拳を振り降ろし、張り倒してやったら楽なんじゃ……という奇妙な衝動に駆られる。
自分のプライドを傷つけ、脅迫してきた相手だ。今は家に他人はいない、一発二発、殴りつけてやった所で誰にもバレないだろう。
やれ。やってしまえ。自分にマウントを取ってきたクソ後輩に、一発思い知らせてやれ。そんな衝動に駆られ、拳を握り――
危うく、止める。
「…………」
後輩は身をかがめたまま、丁寧に廊下を拭いているように見える。
同じ箇所をなぞるように、機械的に黙々と。
その動作が妙に、まるで「殴ってください」と言わんばかりに見えて――
……いや……。もしかして。
私に、わざと、殴らせようとしてる?
リィが先に手を出せば、彼女は当然反撃してくるだろう。
そして彼女には、正当防衛だという建前ができてしまう。襲われたから仕方なく反撃したのだ、と。
或いは映像を撮られてる可能性もある。勝手に録音してた子だ、何を仕掛けられてもおかしくない。
……考え過ぎ、だとは思う。思うけど……リィは握りしめた拳を、そっと解く。
その様子をなぜか見ていたかのように後輩が顔を上げ、失礼しましたと会釈を挟み、背を向けた。
その姿が玄関の向こうに消え、人の気配が絶たれた所で――ようやく、失っていた呼吸を取り戻す。
「な、何なの、あの女……」
得体が知れないの一言に尽きる。今まで関わってきた、どんな人種とも異なる人間。
無意識のうちに零れた汗を拭い、リィは深く深く息をはいてよろめく。
分からないけどとにかく、助かったという感情が沸いて……、今後関わらないようにしようと思う。
涼風に任せようと思った文化祭は、他の子に押しつけてもいいんだし……。
とにかく危機は去った。リィは安全になったのだ。
ほっと息をつき、玄関ドアの鍵をかけようと靴を履いてドアノブの鍵を掴み、念のためドアチェーンまでしっかりとかけてから。
……てか、もう帰ったよね? と。
何気なく、リィはドアスコープの魚眼レンズから廊下を伺う。
ぎょろり、とこちらを覗く目玉と視線が合った。
リィは悲鳴を押し殺し、何も見なかったことにして。
ざわざわとせり上がる吐き気を抑えながら、自分の部屋に駆け込んだ。
私は、何も見ていない。気のせいだったと、自分に言い聞かせながら。