作品タイトル不明
235.求愛と秘めた言葉
「オーレリアも、次から次に大変ね」
近況の報告を終えると、セラフィナは頬に手を当てて、おっとりとそう言った。
「ジャスマン商会やアリアは大変だと思います。むしろ私にできることが少なくて、申し訳ないぐらいで」
「ザフラーンなら、上がそうせよと言ったらその通りになるのに、なかなか難しいものなのね」
オーレリアの感覚では、こちらの世界は王侯貴族と庶民の身分の上下ははっきりとしていると思うけれど、ザフラーンは中央大陸とは比べ物にならないくらいそれが強いらしい。
セラフィナと話をしていてもいまだに驚かされることが多いくらいなので、文化の差は、実際とても大きいのだろう。
「なんだか愚痴を聞いてもらったみたいになってすみません、セラフィナ。……お花、相変わらずすごいですね」
話を変えると、セラフィナは微笑んで手を伸ばし、白い指先で手近な花瓶に活けられた真っ赤な薔薇の花弁をそっと撫でる。
「オーレリアが買ってきてくれた便箋で手紙を送ると、お返事がお花と一緒に返ってくるのも習慣になったわね。毎回その花言葉を調べるのが、とても楽しいのよ」
セラフィナの私室は、今日も彼女の婚約者候補でありレイヴェント王国の第一王子ヴィンセントから送られた色とりどりの花であふれていた。
どの花も愛情や尊敬、恋慕う気持ちといった意味の花言葉を持つもので、物静かで思慮深い雰囲気のヴィンセントの隠れた情熱が、花の形をしているように感じることすらある。
――まるで、国中から花を集めているみたい。
これほどの気持ちを表現されると自分などは萎縮してしまいそうだけれど、セラフィナはその注がれ続けるアプローチに対してほんのりと頬を赤くして、どこか誇らしげに微笑んでいる。
オーレリアはヴィンセントともセラフィナとも個別に会話をしたことはあるけれど、二人が一緒にいる場に立ち会ったことは一度もないけれど、それぞれが高貴な身分の男女として少々掴みがたいところはあるものの、彼らの相性はとても良いように思えた。
金彩の入った小さなカップから甘く味付けされたコーヒーを傾けると、セラフィナはソファから立ち上がり、向かいに座るオーレリアの隣に腰を下ろす。
すぐにサーリヤの一人がさっと分厚い本を差し出した。しおりが挟まれているのは、今日はここを読んでほしいということだ。
「私と会うことができる人は少ないから、オーレリアが朗読してくれてすごく助かるわ」
オーレリアにもたれかかり、セラフィナは嬉しそうにそう告げる。
不思議な縁でこうして定期的に会うことになった隣の大陸のお姫様との最近の過ごし方は、近況の報告をした後、こうして彼女の選んだ本を読み聞かせて過ごすことが多い。
たいていは花言葉やその花言葉に由来する物語をまとめた本で、その他に詩集や、中央大陸で流行している恋愛小説を朗読することもある。
最初の頃は熱烈な愛情や恋情をまとめた言葉を口にするのも非常に気恥ずかしかったけれど、最近はだんだん無心になってきた。
基本的には静かにオーレリアの朗読を聞いているセラフィナだけれど、時々これはどういう意味だとか、恋愛の描写ややりとり、そこに付随する価値観について質問されることもあり、オーレリアも随分この手の話題に詳しくなってきた気がする。
経験が伴わない二人で恋についてあれこれ語っているのもなんだか不思議な気がするけれど、なんとも甘酸っぱく、ロマンチックな気分になる時間でもあった。
セラフィナのドレスに焚き染められた香が甘く香る中、オーレリアが本を読んでいる間はサーリヤたちの掻き鳴らす音楽は止まり、とても静かだ。
「ねえ、オーレリア」
「はい?」
「お花はすごく嬉しいのよ。本当に私、嬉しいの。だから、私も殿下に何かを贈りたいのだけれど、お手紙以外に何かいいものは何かしら」
セラフィナの持ち物はすべて彼女の兄であるカイラムが管理していて、ザフラーンでは女性から男性に贈り物をすることはとてもはしたないとされるのだという。
オーレリアも本や紙ものならばチェックを受けて差し入れすることができるけれど、その予算は王宮から出ており、王族が身につけるような宝飾品や小物などは賄賂にあたる可能性があるので控えるようにと言われていた。
これだけ贅を尽くした中にあっても、セラフィナの自由にできるものや財産というのは、実はほとんどないらしい。
「お手紙だけでも、ヴィンセント殿下はとても嬉しいと思いますよ」
彼がセラフィナに惹かれているのは間違いない。それは時折会話を交わす時もよく伝わってくるけれど、この部屋に飾られている花が何より如実に訴えている。
穏やかで思慮深い第一王子であるヴィンセントは、庶民からは「 静寂(しじま) の王子」の二つ名で知られている。
その彼の中の燃えるような情熱に、外野である自分ですら見ていて中てられそうなくらいだ。
「オーレリアも言ったでしょう。できることが少なくてなんだか申し訳ないの。でも、ザフラーンにいた時は……いえ、ヴィンセント殿下にお会いするまで、こんな気持ちになるのは初めてなの」
「セラフィナ……」
「不思議よね。女は男性が与えるものを受け取るのが役割だって当たり前に思っていたはずなのに」
与えられたら、同じだけの何かを与えたくなる。それはオーレリアにも覚えのある感覚だ。
きっとそれは、友人と呼ぶにはあまりに身分が違うけれど、時々驚くほど純粋な少女の一面を見せる彼女も同じなのだろう。
セラフィナとヴィンセント、二人を知る者として何か手助けができればと思うけれど、自分のできることはあまりに少ない。
「お手紙に、香りをつけるのはどうでしょうか」
「香り?」
「はい。セラフィナからはとてもいい香りがしますし、会うたびにその香りで、今セラフィナと会っているんだなって感じがするんです。便箋か封筒にその香りをつければ、お手紙を読むたびにもっとセラフィナのことを強く思い出すのではないでしょうか」
「もっと……そ、そうね」
セラフィナは白い肌を赤く染めると、もじもじと体を揺すり、細い指で顔を覆ってしまう。
「なんだかとてもはしたなく思えてしまって、恥ずかしいわ」
「あ、ザフラーンの文化に抵触するなら忘れてください」
いつも優雅で超然としているセラフィナはヴィンセントが絡むと赤くなりやすいけれど、さすがにこの反応は習慣的に何かに触れたのだろうと察する。
助けを求めるようにサーリヤたちに視線を向けたものの、それはするりと外されてしまっていた。
「いえ、ザフラーンでも香りのする布を男性に送るというのは時々あるの。でもそれは、婚姻を済ませた相手と、夜を過ごした後に渡すものだから、思いいたらなかったわ」
その言葉にオーレリアも思わず頬や耳が熱くなる。
夜を過ごすという言葉の意味が、中央大陸と西大陸で変わらないのは、文脈からも明らかだ。
「でもここは中央大陸だし、オーレリアが買ってきてくれる便箋や封筒にも香りがついているものはあるものね。香を焚くならすぐにできるし、やってみるわ」
セラフィナはそう言うと、本の続きを読むようにねだってくる。
先ほどよりかなり気恥ずかしくなりつつ、花言葉の本を二十ページほど朗読すると、面会の時間が終わりを告げた。
「今日は来てくれてありがとう、オーレリア。お仕事がうまくいくように祈っているわ。また来週、会えるかしら?」
「はい。その時はいい報告ができるように頑張ってきます」
ソファから立ち上がるとセラフィナも体を起こし、それから見惚れるほど美しく微笑んだ。
「ねえ、オーレリア。もしよかったら次の便箋はクレマチスの入ったものを用意してくれる?」
「クレマチスですか。便箋のモチーフには珍しいので少し時間がかかるかもしれませんが、それでもいいなら探してみます」
雑貨店のドミニクに尋ねてみて、もし見つからなかったら必要な分だけ印刷してもらうこともできるけれど、それには少し時間が必要なはずである。
「ええ、あればで構わないわ。いつまでも待つとは、言えないから」
セラフィナはヴィンセントと正式に婚約を結ばなければ、いずれこの国から立ち去る立場だ。
その時期はカイラムの裁量により、セラフィナには決定権がない。
来月にはこの部屋もきれいに引き払われて、別の国に結婚相手の候補者として別の男性と引き合わされているかもしれない。彼女はそんな身分なのだ。
「できるだけ早く、探しますね」
「ありがとう。またね」
「はい、また」
別れを告げてセラフィナの私室を出て、ウォーレンの待つ控室に侍従官の先導で移動する。
人払いがされているのだろう、とても静かで、この時はいつも物思いにふけってしまう。
クレマチスの花言葉は、自由に伸び続ける蔦から派生して旅人、出会いの喜びといった、順調な旅やその先での出会いに関するものが多い。
反面、蔦が絡むところから、その旅の終わりを暗示する少し怖い意味も含められている。
――私を束縛して。
むせかえるような愛情が伝わる部屋で暮らすセラフィナが、どんな思いを込めてクレマチスの図案の入った便箋を欲しいと告げたのか。
それを想像すると、なんだかひどく切ない気持ちになった。