作品タイトル不明
第百二十一話
焼肉をたらふく食べた次の日、いつもより重たい感覚で目を覚ました。
(…気持ちわりぃ)
俺は纏わりつく汗に少し不快感を感じながら、起き上がる。
ゆっくりとした動作で腕を伸ばした後、足首を回したり身体を捻ることで、身体の状態を整えていった。
かれこれ、10分ほどストレッチを行い、レベルの壁を越えて変わった身体の感覚を馴染ませる。
いつの間にか、動きは普段より軽やかになっていた。
(シャワーでも浴びるか)
ただ、より汗をかいてしまったので、面倒ではあったが、俺は浴室に向かうことにする。
(既に使っていたか)
耳を澄ませると、微かにシャワー音が聞こえてきた。
今更ながら、時計を確認すると既に朝の10時を回っており、いつもよりも長い時間眠っていたことを認識する。
(しゃーない、少し待つか)
俺は一旦、シャワーを浴びることを諦め、部屋に備え付けてある冷蔵庫からペットボトルを取り出し、力加減を間違えないようにしつつ、蓋を開ける。
ペットボトルを傾け、俺は勢いよく水を飲んだ。
(うまい)
起き抜けで喉が渇いていたからか、ただのミネラルウォーターがとても体に染みる。
(思ったよりも体の制御はできているんだな)
壁を越えた時の感覚は、単にレベルが上がった時よりも圧倒的に鮮明だ。
キッチリと技術を活かすためには、感覚的なズレをできる限り修正しておいた方が良い。
(軽く刀でも振るか)
まだ寝ているヴァルを尻目に、俺は鞘から刀を抜く。
ホテルの室内ということもあり、物を壊さないように慎重な動作で、刀を構えた。
刀の操作も少しずつ上達しており、レベルが上昇し魔力量が増えたことで、身体を制御する感覚がより明確になっている。
(感覚も鋭くなっているな)
刀を持った時の感触すら良くなっており、以前よりも遥かに、五感が冴えわたっているのが感じられた。
(うーん。いい感じだな)
しっかりと集中しつつ、刀を数度振る頃には、その動きはレベルの壁を越える前よりも、洗練されていた。
これまでの様々な経験によって積み上げられた技術が形になりつつあることが認識できる。
(地道にコツコツだな)
「伊藤さん、おはようございます」
俺が意識を刀に向けていると、 東雲(しののめ) の声が後ろからした。
振り向くと、薄着の東雲がタオルで水滴を拭きながら、こちらを見ている。
(はい)
視線が自然と、東雲の肌に向かいそうになるのを抑える。
これでも男性なのだ。
別に意識していないわけではない。
(レベルの壁を越えてから、余計に意識するようになった気がするな)
理由はよくわからないが、東雲の魅力をより感じ取りやすくなったというか、なんというか。
(逆にヴァルにたいしてはそういうのは、薄いんだよな)
流石に抱き着かれもすれば、意識はしてしまうが……。
「今日はどうしますか?」
東雲の目が俺の目に向かう。
大きく黒い瞳は見続けていると、吸い込まれるような錯覚が生まれてきた。
「今日は少し、ウエイトトレーニングをしようと思ってる」
トレーニングのことを考えると、自ずと頭がクリアになり、余計なことを考えなくてよい状態になる。
(とりあえず、どの程度の重さが挙げられるのか気になるしな)
ウエイトのいいところは、結果が至ってシンプルなところだ。
自身の感覚などとは関係なしに純粋に上げれる重さによって、身体の状態を判断することができる。
「そうですか。でしたら、私は外で観光でもしてきます」
「了解、ヴァルはどうするんだか」
未だにベッドで寝ているヴァルを見る。
大声で話していても起きないのではないかと思えるほど、気持ちよさそうに眠っていた。
「私が連れ出すので、大丈夫ですよ。それより………伊藤さん、もう一度、刀を振ってもらえますか?」
「えっ、あぁ、わかった」
俺はいつものように刀を構え、至って普通に振り下ろす。
何の変哲もない、基本的な動作だ。
「……」
東雲は無言でこちらに近づくと、刀の峰の部分をなぞるように触れる。
「いいですねぇ」
しみじみと、どこかうっとりとしたような表情で呟く東雲。
「なにか、良かったのか?」
いつもはあまり見せない雰囲気に、少し引きそうになる。
確かに、以前よりかは巧く扱えているとは思うが、それがなぜ、うっとりとした表情に繋がるのか、分からなかった。
「ええ、凄くいいですよ。刀から期待が伝わってきます」
刀を一振りするだけでそこまで分かるものなのか。
確かに、俺は劣等感とかを感じずに、刀を振っていたが。
「なあ、東雲」
俺は以前から、東雲に聞いてみたかったことがあった。
「なんですか?」
「剣術で大事なのは、才能か努力、どっちなんだ」
東雲一花が出す答えを、今の俺は不思議と聞くべきだと思っている。
それが心を縛る可能性があったとしても。
「そうですねぇ」
東雲の瞳が妖しく光り、その視線は刀から俺の方へとズレる。
そして、じんわりと染みていくように、彼女の視線は俺の目を射貫いた。
「努力ですよ、伊藤さん」
東雲の声は小さかったが、俺の耳にはこびりつくようにして、その言葉が残っていた。