作品タイトル不明
第百八話
次の日、俺たち三人はいつものように長野第五ダンジョンへと足を運んでいた。
(うん、疲労感はないな)
昨日はあれから二時間ほどトレーニングを続けたため、筋肉もそれなりには張っていたが、今朝には疲労感も筋肉の張りも粗方抜けていた。
一応、探索前に回復用の魔術を掛けておいたこともあり、コンディションはばっちりである。
(あれ?)
昨日ジムで話した女性が、長野第五ダンジョンに潜っていくのが見えた。
重厚な金属製の鎧を着こんでおり、武器は二メートル半はある槍を持っている。
他のメンバーはどこかで見たような気がするが、あまり記憶には残っていない。
(ああ、思い出した。東雲とヴァルをナンパしていた奴らだ)
なんとなく気になったので思い出そうと頭を捻っていると、彼女たちの姿がダンジョンへと消えていく瞬間に記憶が蘇った。
あまり印象に残っていなかったので、すっかり頭から抜け落ちていた。
(探索ばっかりやってると、こういったことは記憶に残らないんだよな)
ダンジョンの中で行う戦いに比べれば、あんな出来事は些事である。
何せモンスターはこちらの命を狙ってくるし、こちらもモンスターの命を狙うのだ。
そんなやり取りを一日に何度も繰り返すため、絡まれた程度の記憶は残りにくい。
(それにしても、意外だ)
正直、愚直にトレーニングに励む彼女と軽い印象が目立つ彼らでは相性があまり良くないような気がした。
(まあ、今度会っても、聞かないでおくか…)
しかしながら、チーム事情は他人が首を突っ込むものではない。
向こうから話してくるのであれば別だが、こちらから話題にする必要はないだろう。
(そもそも、こっちのチームの方がなぁ)
チラリと、東雲とヴァルの方を見る。
こちらは世界で唯一の魔術師に、ユニークモンスター、規格外の強さの剣士がチームを組んでいるのだ。
歪さで言えば、こちらの方が遥かに上である。
(いつも通りだな)
第十五階層の森の中を歩いていき、特に障害もなく第十六階層へと到達する。
新しい階層に到達すると、緊張するがそれもいつも通りのことだ。
思考に大きな乱れは生じない。
(確か…)
第十六階層を徘徊するのは、 炎玉(えんぎょく) 大猪(おおいのしし) というモンスターだ。
まっすぐ伸びた牙と炎のように赤い瞳をしているのが特徴の巨大な猪である。
体長は三メートル以上で体重は一トン近くもあるとされているが、基本的には突進攻撃しかしてこないため、遠距離の攻撃は心配しなくても良い。
ただ、利口であり、探索者を警戒しているため、稀にではあるが逃亡も選択するし、油断していると待ち伏せによる奇襲を食らうこともあるそうだ。
「いましたよ、伊藤さん。こちらには気づいていません」
第十六階層の森を奥に進んでいくと、いつも通り東雲が探知系のスキルで炎玉大猪を発見した。
(東雲がいれば、待ち伏せもほとんど意味をなさないな)
炎玉大猪は気配を察知する能力も高いとされているが、東雲の探知力はそれをあっさりと上回っていた。
(でか…)
俺の瞳に木々の間をのっそりと歩く炎玉大猪が姿が映る。
遠目からでもその巨大さは際立っており、瞳は炎のように真っ赤でまるで宝石のようであった。
(実際、宝飾品に使われるそうだが…)
極まれに炎玉大猪の眼球は水晶化することがあり、水晶となった炎玉大猪の眼球は宝飾品ように高値で取引されている。
高値が付いた時には一千万近い値がするといった記載もあった。
(ただ、確率が低すぎるのがな)
水晶化する確率は、数百から千数百分の一とされている。
そのため、一獲千金に期待するのは無駄であった。
(一応、石化のスキルを模倣した魔術があるにはあるんだが)
石化という、かなりレアなスキルが存在するが、魔術にも似たような現象を引き起こすものがある。
ただし、この魔術は対象を水晶にするわけではなく、石にするだけなので、意味はほとんど無いと言えた。
(さて、そろそろ切り替えますか)
あまり考え事ばかりしていると、流石に炎玉大猪もこちらの気配に気づくだろう。
俺は視界に映る巨大な猪に意識を向け、瞬時に頭を戦闘用に切り替えた。
「いつも通り、俺が奇襲を仕掛ける」
炎玉大猪の体高は一メートルを優に超えており、距離が空いているにもかかわらず、かなりの威圧感があった。
だが、図体がデカいということは、的が大きく、攻撃を当てやすいということでもある。
(まずは縛る)
氷雪大鼬の時と同じように【バインド】で、炎玉大猪の動きを封じにかかる。
半透明の蔦のようなものが炎玉大猪の足に絡みつき、その動きを阻害した、筈であった。
「フゴッ」
炎玉大猪が勢いよく足を動かすと、絡みついていた半透明の蔦はあっさりと引きちぎられた。
その後、炎玉大猪の視線はこちらに向けられる。
こちらの存在を完全に把握していた。
「マジか、【アイス・ランス】」
俺は拘束が解かれたと見るやいなや、即座に【アイス・ランス】を放つ。
こちらまで凍えてしまいそうな冷気を纏った氷の槍が瞬時に形成され、凄まじい速さで炎玉大猪の元に射出された。
(避けられるのか…)
炎玉大猪は野生の勘なのか、俺のことを察知していないにもかかわらず、素早い動作で氷の槍を避ける。
かなりの図体にもかかわらず、その俊敏さは今まで戦ってきたモンスターと遜色ない。
(【アイス・ランス】でも、初撃はまず当たらないのか)
「フゥー」
俺は一度大きく息を吐き出し、炎玉大猪を視界で捉えながらも、焦りを思考の隅に追いやる。
(落ち着いた)
意識を炎玉大猪から外すことなく、冷静さを取り戻した俺は、こちらに向けられた真っ赤な瞳を見つめ返すのであった。