軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

85、終わりと始まり②

「久方ぶりの戦場は、厳しいな。オーファン」

薄暗いテントの入り口を開いて、男が呟く。

中には、地図が広げられた小さな机に向かってひとり小さな身体に戦闘服を着た少女がぽつんと座っており、俯いたその表情は見えない。

シンと静まり返った夜の野営地で、ラゼ・オーファンのテントを訪れたのは大将クラロドス・ハッシェ・ゼーゼマンだった。

「お前は強いが、ひとりしかいない。救えない命もある」

ゼーゼマンはそう言いながら中に入ってくると、ラゼの前に置かれた椅子に腰掛けた。

彼は片手に持っていた酒の瓶を、無造作に机の上に置く。強い酒の匂いが鼻腔をくすぐった。

「学生やってて忘れたか。中途半端に光を見せられて、軍人なんて嫌になったんじゃないのか?」

ゼーゼマンは酒を開けると、ぐびっとそれを一口。

ラゼは顔をあげた。その表情は硬く、少しでも口角があがることはない。

「だから俺はやめとけって言ったんだ。こんな現実に戻されて、お前も辛いだけだろう」

酔っているのかと思ったが、彼の眼差しは真剣で。それがゼーゼマンなりの優しさだったということがわかったラゼは目を伏せる。

彼が最後までラゼの学園潜入を反対していたのが、遠く昔のことのようだ。

「自分が戦わなければいけないことを辛いと思っていたのは、もう随分前のことです」

彼女は低い声で呟く。

「本当に辛いのは、共に時間を過ごした仲間を失うことで……。私は……仲間はもちろん、一緒に時間を過ごしたあの子たちが、こんな不毛な争いに関わることがないような時代を早く迎えたい……」

皇子の通うセントリオール皇立魔法学園にてマジェンダ帝国から攻撃を受けたことは、休戦終了の合図に他ならなかった。

あの時、戦いの幕は切って落とされたのである。

今回の事件は皇上ガイアスも己の子に危険が及んだせいか、いつも来るものを排除していただけだった方針を変えて、こちら側から徹底的に潰すことが決定された。

むしろこれまでその決定を下さなかったことの方が不思議なくらいだったので、踏み切るきっかけには十分だったのだろう。

この展開が乙女ゲームと関係があるのかは、すでにどうでも良い話だ。

「ガキのくせに、一丁前だなぁ」

ゼーゼマンは、また瓶に口をつける。

「……この数年で、失いたくないものが増え過ぎました……」

ラゼは膝の上に乗せた拳を握った。

「テリア伍長も。決して、失いたくなかった……」

彼女は唇を噛み締める。

目を瞑れば、別行動中だったビクター・オクス・テリアが、意識不明の状態で運ばれてきた時のことが瞼に浮かんだ。

全身を蝕むように黒傷が浮かんだ彼は、すぐに皇国の医療機関に転移されたが、もう目を覚さない可能性が高いと軍医に告げられた。

新人とはいえ、バルーダでラゼの隣を共に走ってきたビクターほどの実力者が、消えていく戦場。

帝国が選んだのは、バルーダの魔物を戦地に放ち、兵士を魔物化させて戦わせるという外道な攻撃手段。

この世界始まって以来の、酷い戦法だった。

逆に言えば、そのような手段を取らなければならないほど帝国は追い詰められているということになるが、話にならない。

――話にならないから、ずっと戦ってきたわけだが……。

「もう、終わらせたい」

涙は出てこない。

今は、これ以上仲間を失わないように最善を尽くすことだけを考えていた。

それ以外のことは、考えたくなかった。

「同感だな。……そして、そう思ってるのはどうやら、俺たちだけじゃないらしい」

横を向いて座っていたゼーゼマンは、正面に向き直す。

「クーデターだ。オーファン」

彼は広げられた地図の印がつけられた場所から離れた、帝都を指さした。

ラゼは鳶色の瞳を見開く。

「お前にここを任せたい」

ゼーゼマンの言葉が、ずしりと彼女にのしかかる。

「名前を捨てて帝国に潜入し、クーデターを必ず遂行させて来てくれ」

つまり、皇国の人間が援護したとわからないように、クーデターを成功させろ。死ぬ時は、名もなきひとりの犠牲者となれ。――そういうことだ。

「メンバーは〈影の目〉。諜報で帝国の地理もわかっているお前がリーダーだ。受けてくれるか」

重い。

今までこなしてきたどの任務より、重い内容だった。

しかし――

「――受けます。それでこの戦いが終わるなら、喜んで行きましょう」

彼女は返答に迷わなかった。

それが、国のためにも、仲間のためにも、近い未来をになっていく彼女たちのためにも――そして、自分のためにも必要なことだとわかっていたからだ。

「…………そうか。任せるぞ。必ず成功させて帰ってこい」

ラゼの返事を聞いて、ゼーゼマンは声を絞り出す。

目をつぶって眉間に深い皺を刻むと、指差していた手で顔を覆った。

「……馬鹿だなぁ、お前……。本当に……生き辛いやつだよ」

くぐもった彼の声に、ラゼは眉根を寄せる。

「すみません。いつも嫌な役ばかりさせてしまって」

「謝るな。お前だっていつもこんな役ばかり……。っ……。くそ、ジジイの涙腺を舐めるんじゃないぞ」

そんな風にゼーゼマンが言葉を崩すものだから、ふっと肩の力が抜けて彼女は苦笑した。

空気が変わって、ラゼは机のそばからつまみになりそうなものを取り出す。

クラッカーとチーズ、それから生ハムを机に置くと、ナイフで食べやすく切ってゼーゼマンに勧めた。

彼はしばらく顔を覆っていたが、何かを思い出したように我に返る。

「……お前宛に、子どもたちが手紙を出してるのは聞いたか?」

ラゼはその問いに、曖昧に頷いた。

「もうラゼ・グラノーリはいないんですけどね……」

学園を去ったことに後悔はない。

あるのは、彼女たちを最後まで見守ることができなかったことについての哀愁くらいだ。

唯一心残りがあるとすれば、さよならすら言えなかったことくらいだろう。

「探りも入ってるみたいだから、もしかするとそのうちたどり着くかもしれないぞ、お前に。まぁ、死んだって聞かされたらそれ以上探すこともないか」

ゼーゼマンの話に、ラゼは何と答えれば良いかわからなかった。

戦争が始まった今、皇都の城よりもレベルを上げた結界と優秀な騎士たちに防御されたあの学園は、シアンのどこよりも安全な場所である。

まさか、あの学園が敷地ごと移動できるものだとは思っていなかったが、何年も場所を特定されなかったことも納得がいく。それだけの技術を注ぐくらい、セントリオールは重要な機関だったのだ。

学生たちは今頃、国の端でこんな争いが起こっていることを誌面で知るだけで、健康な生活を送れているだろう。

「気まずそうだな」

「それは、まぁ……」

彼女はチーズを口に入れる。

「本当に、ラゼ・グラノーリを消してよかったのか?」

「……正体を隠すのも、もうここまでかなと。これ以上嘘を伝えるのにも無理がありそうだったのと、正直、それどころではなくて……」

「それもそうか」

ゼーゼマンは納得して、ラゼが作った肴をつまんだ。

「今は、こっちのことで精一杯です」

ラゼはじっと地図を見つめる。

カーナやフォリアたちのことを忘れたわけではない。

彼女たちとラゼ・グラノーリとして過ごした日々は、確かなものだった。私情をたくさん挟んだ自覚もある。彼女たちとこのまま友人としていたかった気持ちだってあった。

今まで嘘をついて一緒にいたことを。自分がどんな人間かということを。彼女たちが受け入れてくれるのかどうか、考えようとするだけで、思考がショートしそうになる。

生きてここから帰って、再び彼女たちに会えるのかすらわからない身だ。

他にも優先しなければならないことが、自分にはある。「ラゼ・グラノーリ」であることを捨てたのは、一つのケジメだ。

ラゼは封すら開けていない自分宛の手紙が挟んである分厚い手帳をそっと見つめた。