作品タイトル不明
7*アディスの困惑
アディス・ラグ・ザースは困惑していた。
(……どうして、彼女が……)
馬に乗って風を切る中、彼はぐっと手綱を握る。
公務として第一皇子ルベンが携わることになっていた、マジェンダ共和国への聖女視察。
学生時代の友人が聖女を務めることもあって、ルベンも今一番優先している仕事だったし、その補佐をしているアディスからしても、最優先事項だった。
だから、教会が勝手に物資を積んで視察に同行しようとしているという報告があってから、至急、アディスが現地に向かって事を収めるように指令を受けていたのだが……。
荷物は全て、荷運び役が収納しており、アディスがやったことといえば、教会の人間たちにお引き取りを願うだけだった。
視察隊のメンバーは記憶している。
荷運び役に収納魔法の使い手が、冒険者から引き抜かれたという話も知っていた。
――しかし、それが ラ(・) ゼ(・) だとは聞いていない。
脳裏に焼き付けたのは、自分の知らない彼女の姿。
トレードマークだった編み込みは消えて、胸元まで伸ばした髪に、青いヘアバンドをしていて。
それから、鳶色の瞳も青く染めていた。
父親と同じ綺麗な目だと褒めた時、はっきりと照れていたその瞳を、青く――。
『――?? えっと。すみません。人違いだと思います』
そう言われた瞬間、鈍器にでも殴られたような衝撃がアディスを襲った。
出会った頃は、どこか距離と壁を感じる視線を送ってきたラゼが、ここ最近だと壁を取り払って自分を見てくれていると感じていた。
友人としてなら、それなりに仲が良くなったのではないかと。
そうひとりで勝手に自惚れていたから、今回、彼女の口から「お前は誰だ」と遠回しに言われて衝撃だった。
正直、ラゼに突き放されて、ここまで胸が苦しくなるとは自分でも思っていなかった。
『あ、あの。ラゼ、さん? ラザさんでしたっけ? もしお困りのようでしたら、部隊の方に声を掛けて来てみましょうか?』
自分のことなのに、平然と別人を演じるラゼは「ラゼ」ではない。
彼女はそんな風に常に明るく、笑みの絶えないタイプじゃなかった。
いつも周囲を一歩引いたところから静観していて、ラゼが笑うのは、フォリアとカーナや、食べ物に関してがほとんどだった。
……たまに。ごくたまにだけ、心からの笑顔が自分に向けられるそれが特別だったのに。
「……ずるいだろ。人違いだったとしか答えられないなんて……」
見た目は変えていても、彼女を間違えるはずがない。
間違えてたまるか。
――どこにいたって絶対に探し出す。
セントリオール二年生の夏。
学園祭の運営委員で合宿をし、ラゼとアディス、クロードで灯篭に使う紙を調達するため、〈水の都〉に赴いた時に寄ったチャームデザイナーの工房で。
突如として起こった魔石強盗に、自ら人質となって攫われた彼女のことを、必ず助けに行くと誓った。
結局、ラゼは自分の力で戻って来たが、あの時――。
彼女は肌身離さずピアスとして付けているチャームを、その手に握っていたことに気が付いて、まるで自分の手を自分のものではないかのように唖然と見つめ。
驚きに見開いた目を悩ましげに顰め、今にも泣き出しそうな顔をしていたのが、今になっても頭から離れない。
彼女だって、魔石がなければひとりの守られるべき女性なのだ。
いや、本当は魔石の有無なんて関係ない。
他の人間が何と言おうと、彼女が困っている時に助けられる人間になりたいのだ。
何もできずに彼女の帰りを待つのは、もう嫌だから。
(……くそ。ルベンの奴、分かってて俺を行かせたな……)
ラゼと職場が一緒になった友人から、遠回しに視察に関わることになっているらしいと、それとなく情報を受け取ってはいた。
まさか、本人が変装して紛れ込んでいるとは思っていなかった。
何しろ、彼女は二年前の戦いで大佐に昇級している。
隊を率いて指揮を取るなら分かるが、こんな風に直接ラゼが影として動いているとは想像しなかった。明らかに、普通ではない。
確かに、彼女の年齢的にはそういった仕事をしていてもおかしくないだろうが、今は諜報部の所属でもないのに、抜擢されるなんて。
それだけ重宝されるのは、ラゼが若くて異常なくらい優秀だからに違いない。
彼女と自分とでは、まったく立場が異なり、早く力をつけて政治に携われる権限を持ちたいとアディスは努力している真っ最中。
一日でも早く力をつけなくては、ラゼはこうして危険な任務に配属されてしまうのだと、アディスは改めて悟った。
そして、問題はそれだけじゃない。
(……こっちは、ラゼがあんな姿で視察隊に混ざるなんて、聞いてないんだよ……っ)
絶対に口に出しては言えない。
彼女の姿がちらりと見えた瞬間、目が釘付けになって息を呑んだなんて。
変装だとは分かっている。……分かってはいるが、あんな風に女性らしい姿を、あのラゼ・シェス・オーファンがしているとは予想外だった。
どこの誰が、彼女がシアン皇国軍大佐だと思うだろうか。
私服ではスカートなんて、ほとんど履かないくせに。
髪に気を遣い、化粧をして、女性らしいもので身を固めて。
虫も殺さぬような、人当たりの良い愛嬌のある笑み。
視察隊は戦闘面を考えて、無論、男性がばかりだ……。
一番の心配は、マジェンダ帝国と交戦した彼女が共和国に行くということだったはずなのだが、アディスは奇しくもクロス・ボナールトと同じ懸念を抱いていた。