軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第21話 雑用令嬢、畑を救う③

ノーラさんの食堂。

その奥にある調理場で、私は作業台の上に置いた畑喰らいの実を見下ろしていた。

黒に近い赤紫色の実は、こうして台所に置かれても、まだ食材というより畑の厄介者にしか見えない。

それを「食べたらすごくおいしいですよ」などと言ったのだから、周囲の微妙な空気も当然だった。

ノーラさんも最初は目を丸くしていたけれど、やがて畑喰らいの実と私を見比べ、軽く息を吐いた。

「……まあ、畑を救ってくれたお嬢ちゃんの言うことだしね。そういうことなら、ウチんとこの台所をぜひ使ってくんな」

そういうわけで私は今、ノーラさんの食堂の調理場をお借りしている。

店内には近所の畑持ちや常連さんたちも集まっていた。

みんな席に座っているようでいて、視線は完全にこちらを向いている。調理場のカウンターから身を乗り出している人も何人かいた。

「あの畑喰らいがうまいだって?」

「マジかよ。つーかそもそも食べられんのか?」

「たしか魔草だって言ってたよな……」

「大丈夫かよ。食ったら死んじゃったりして……」

そこかしこからひそひそとした囁きが聞こえる。当たり前だけど、誰もが私の発言に対してまだ半信半疑といった具合だった。

しかし、そんな彼らにノーラさんがぴしゃりと言い放つ。

「いいから黙って見てな。うるさくするなら追い出すよ」

途端にみんなの姿勢が一斉にピンとなる。

さすが、これぞ町の食堂のおかみさんって感じ。強い。

作業台の上には、畑喰らいの実が並んでいる。

黒に近い赤紫色。果実らしい艶というより、どこか不気味な濃さがある。知らずに出されたら、まず手は伸びないだろう。

「う~ん、見るからに胃が滅茶苦茶になりそうな色だ……」

誰かがぽつりと漏らす。

うん、そこは私も同意する。

「ですよね。でも、ところがどっこい、これが黒ければ黒いほど味が濃いんですよね」

私が言うと、店中の人々が「え、そうなの?」と揃って同じ顔をした。けど、紛れもない事実である。

薬草水で瘴気を抜いた時、崩れた欠片の香りを確かめて分かったことがある。

黒みの濃い実ほど、酸味と香りが強い。ならば味についてもそれに比例するに違いない。というか、屋敷で実験した際に少しつまんでみたけどそうだった。

だから今回はあえて色の濃いものばかりを厳選した。

私は畑喰らいの実を水で丁寧に洗い、薬草水を張った鍋へ入れて火にかけた。しばらくすると、実の表面から黒ずんだ煙と灰汁が浮かびだす。

黒い煙が少しずつ抜けていくにつれ、重く土っぽかった匂いが薄れていく。

代わりに立ち上がってきたのは、きゅっとした酸味のある甘い香りだった。

「おお、匂いが変わってきたね。……見た目はまだ最悪だけど」

ノーラさんがぽつりと言った。

「ほんとだ。たしかにちゃんと果物っぽいぞ。……見た目は最悪だけど」

店内からも同じような声が返ってくる。

私は灰汁を丁寧にすくい、実が完全に潰れる少し手前で火を止めた。

「ここで蜂蜜を入れます」

すると、今度はついに見た目にも変化が。

とろりとした蜂蜜がお湯に混じると、赤紫の実にゆっくり照りが出始めた。不気味そのものだった黒色は、いつしか深みのある紅色へ。

「おお……」

「なんか、ちょっと宝石っぽくなってきたような」

見守っていた人たちの声にも、少しだけ期待が混じり始める。

続いては生地づくりに移行。今回作るのはタルトだ。

使うのは、ピット村から送られてきた万能麦――メーテス。

先日の一件以来、村長のベンゼルさんがアルグレイン家へ定期的に送ってくれているものだ。

パンにしてもパスタにしてもおいしいので、お菓子にしてももちろん美味しいだろうと密かに期待している。

粉に乳と油脂を合わせ、薄く伸ばして小さな型へ敷きオーブンへ。焼きあがるにつれ、店内には香ばしい匂いが広がった。

この時点で、そこかしこからゴクリと喉の鳴る音が聞こえてきた。

「さすがのメーテスパワーだな。なあアイカ、その生地だけちょっとつまませてくれないか?」

「旦那様。お気持ちは分かりますが、もう少しだけ我慢してください」

真剣な顔で尋ねてきた旦那様に私が答えると、旦那様はしょぼんとした。

焼き上がった生地に、薄くカスタードクリームを敷く。

その上に、下処理を終えた畑喰らいの実を並べていった。

半分は軽く煮崩して、艶のあるジャム状に。

もう半分は、アクセントになるよう形を残した粒のまま。

最後に小さなミントを添えると、赤紫の実がクリームの淡い色に映えた。

「できました!」

――《畑喰らいのフレッシュカスタードタルト》の完成です!

「なんと鮮やかな。あのどす黒い瘴気を放っていた姿とは似ても似つかんな」

そう言うやいなや、旦那様は迷いなくタルトを口に運んだ。

「うまい!!!」

店内がびくっと揺れる。

「なるほど、これが畑喰らいの味か。濃い……そして深い。たしかに木苺によく似ているが、もっと野性味がある。そこに煮詰めた蜂蜜の甘みも追いかけてきて絶妙な味わいに仕上がっている!」

ムシャムシャと頬張りながら、今日も見事な食レポを披露する旦那様。

もはやちょっとした安心感すらある。

「うむ、うむ……生地の香ばしさとも素晴らしくマッチしている! カスタードもうまい! おかわりだ!」

その反応を見て、ノーラさんも恐る恐るタルトを手に取った。

まだ少し疑いの残る顔だ。

けれど、ひと口噛んだ瞬間、その目つきが変わる。

「……おいしい」

短くそう漏らすと、ノーラさんはすぐにもう一口食べた。

「こりゃたまげたね。酸味が濃いのに、ちゃんと果実としての甘さもある。嫌な感じが全然ないよ。甘いクリームともよく合ってるし、そこにこのメーテスの生地ときたもんだ。サクサクで香ばしくて、最高の組み合わせじゃないか」

食堂のおかみさんらしく、味を確かめる言葉に実感がある。

ノーラさんがそう言うと、店内の人たちも一気に手を伸ばし始めた。

「うまっ!!」

「なんてこった! こいつがあの畑喰らいかよ!」

「畑で見た時は親の仇みたいに思ってたのに、口に入るとそんな恨めしさが全部吹っ飛んだぜ!」

ノーラさんは作業台に残った実と、皿の上のタルトを見比べた。

「まさか、うちの畑を困らせてたやつを、うちの台所で菓子にする日が来るとはねえ。しかも、とんでもなく美味いときた。なんだかちょっと悔しいねぇ」

そう言うノーラさんの顔には、隠しきれない笑みが広がっていた。まるで一本取られたと言わんばかりに。

と、そこで旦那様はなおもタルトを味わいながら、ふと皿を見下ろした。

「しかし、これだけうまいとなると、いつまでも畑喰らいと呼ぶのは少々もったいない気もしてくるな」

「たしかに。まあ、もともと“畑喰らい”なんて、私らが勝手に呼んでた俗称ですしねえ」

ノーラさんも同意する。

それから旦那様は少し考え、そしてあろうことか私を見た。

「そうだな。よし、せっかくだ。アイカ、何か考えてくれ」

「え、私がですか!?」

まさかのご指名に驚く。

しかし、旦那様は当然のように頷いた。

「ああ。こうして畑喰らいの美味しさに気づけたのは、アイカのおかげだからな。君に決めてもらったほうが、きっとこの実も喜ぶだろう」

「はぁ……」

そ、そうは言われましても……。

けれど視線を向けると、ノーラさんまでもうんうんと頷いている。こうなると逃げ場がない。

私は改めて赤紫の実を見た。

土地の悪いものを吸い上げる。

けれど、下処理すれば木苺に似た味になる。

「なら……“ドレインベリー”、というのはどうでしょう」

「ドレインベリー……」

私がそっと呟くと、ノーラさんが口の中で何度か転がすように言った。

「はは、いいじゃないか。私は気に入ったよ」

「ああ。《ドレインベリーのフレッシュカスタードタルト》……うん、こっちの方がうまそうだ」

旦那様も満足げに頷く。

名前が決まったことで、食堂の中は一層明るい空気で満たされた。

あれだけ忌み嫌われていた畑の厄介者は、気づけば畑の不調を知らせる目印になり、そして今は甘味として受け入れられている。

こうしてこの日を境に、“畑喰らい”はその名を改め、正式に帝国の植物図鑑に“ドレインベリー”として記録されることになった。

そんな中、タルトを頬張っていた住民の一人が何気なくこちらを見て笑った。

「しっかし、あの嫌われ者をこんなうまいお菓子に仕立て上げるなんて、さすが領主様の 奥(・) 方(・) さ(・) ん(・) ですね」

「え」

……え?

私は思わず固まった。

「なに言ってんだい。この人は領主様んとこの給仕さんだよ」

「あ、そうなんですね。てっきりそうだとばかり」

すぐにノーラさんが訂正し、住民の人が慌てて頭を下げてくる。

しかしノーラさんは私へ振り返ると、今度は一転してからかうように笑った。

「ま、お似合いなのは否定しないけどね」

ノーラさん!?

……どうしよう。こういうとき、いったいどう反応するのが正解なのかしら。

私が助けを求めるように旦那様を見ると、旦那様はなぜか明後日の方向に顔を背けて頑なにこちらを見ようとしなかった。あれはいったいどういう感情なのだろう。

わけのわからないまま、食堂にこそばゆい空気が流れる。

その時だった。

「――おっと、なにやら良い香りがすると思えば、これは美味しそうなタルトですね」

ふいに食堂の入口から穏やかな声がした。

立っていたのは、貴族風の衣装をまとった見慣れない男性。

彼はタルトの皿を興味深げに眺めていた。

「失礼。よければ私も一ついただいていいでしょうか?」

丁寧な口調で爽やかに尋ねてくる。

そんな彼に対し、最初に反応したのは旦那様だった。

旦那様はその人物を見るなり、驚いたように目を見開く。

「……ん? お、お前は……!」

おや、もしやお知り合いですか?