作品タイトル不明
第20話 雑用令嬢、畑を救う②
「やっぱり?」
すぐそばで鍋を覗き込んでいた旦那様が、私の呟きをそのまま繰り返した。
小鍋の中では、薬草を浸したお湯が静かに揺れている。
そこへ落とした“畑喰らい”の実から、黒ずんだ煙のようなものが細く浮かび上がっていた。
普通の果実を煮たときに出る灰汁とは違う。
軽く泡立つのではなく、水面に重くまとわりつくように広がっていく。
私は火を落とし、鍋から少し距離を取った。
「……間違いありません。これは 瘴(・) 気(・) です」
口にした瞬間、旦那様の表情が変わった。
「瘴気……?」
「はい。つまり、この畑喰らいはただの雑草ではなく、“魔草”の類だと思います」
魔草。
それは、魔物と同じように人に害を及ぼす植物の総称だ。
毒草との違いは、毒を持っているだけか、それとも瘴気をはらんでいるか。
見た目だけでは判断できないものもあるから、扱いを誤るとかなり危ない。
旦那様は鍋の表面に残る黒ずんだ揺らぎを見つめ、低く呟いた。
「魔草……ということは、やはりこいつが野菜を汚染していたのか」
「ええ。恐らくは」
そう答えかけて、私は作業台の上に置いた小袋へ視線を移した。
畑の端。中央。もっとも野菜の育ちが悪かった場所。
袋ごとに分けた畑喰らいの実は、色も香りも少しずつ違っていた。
「ただ、まだ少しだけ気になっていることがあります」
「気になること?」
「はい。ですので旦那様、私にもう一度畑を見に行かせていただけませんか?」
私の推測が正しければ、この畑喰らいはたぶん――。
そこまで考えて、私はあえて言葉を飲み込んだ。
ちゃんと確かめてからでなければ、ノーラさんにも他の人にも伝えられない。あいまいな情報では余計な混乱を招く可能性もある。
もっとも、私をよく知っていてくれる旦那様相手であれば、この場で話してしまっても別にやぶさかではなかったのだが……。
「ふむ……わかった。そういうことなら、直ちに町へ戻ろう」
旦那様は一度だけ鍋へ目を向け、それからあっさりと頷いてくれた。
そうして私たちは、再び町へ向かうことになった。
ノーラさんは、私たちがもう一度食堂を訪ねると、かなり驚いた顔をした。
「え……もう一回、畑を見たい? ええ、まあ、それは構いませんけど……もしや何か分かったんですか?」
旦那様が短く答える。
「畑喰らいの実から瘴気が出た。どうやらあの植物は魔草だったらしい」
「し、瘴気? あの雑草から?」
ノーラさんは目を丸くし、それから店の外、畑の方角を見た。
「そうでしたか……じゃあ、やっぱりこいつが諸悪の根源だったんですね」
「ああ、ひとまずはそう考えるのが妥当だろう。ただ、どうやらうちのアイカがまだ何か確認したいことがあるようなんだ。それで戻ってきた」
旦那様の言葉を受けて、ノーラさんがこっちを見る。
私は小さく頭を下げた。
「お忙しいところすみません。でも、どうしても気になってしまって……私の思い違いならそれでいいんですが」
「いえいえ、むしろそこまで私らのことを気にかけてくださってありがたいですよ。こっちは毎日、野菜の顔色を見て頭抱えてたんですから。この際なら、とことんやっちゃってくださいな」
そう言って、ノーラさんはエプロンの紐を結び直した。
畑に着くと、私は前回と同じ場所をたどった。
畑喰らいが密集していた一角に、瑞々しく野菜が育つ健常そうな場所まで。畑の端から端へと移動しつつ、いろんな場所から匙で土をすくって集めていく。
その間、ノーラさんと旦那様は畑の外側から作業を見守ってくれていた。
さらには自分たちの領主様が来ているということで、近くの畑を持つ人たちや、食堂の常連らしき人たちも、ひとり、またひとりと集まってくる。
「なんだなんだ? 畑喰らいの話か?」
「わざわざ領主様が来て調査してくれてるって?」
「畑にいるあの娘は誰だい?」
「ほら、領主様の屋敷の給仕さんよ。最近騎士団でも活躍してるっていう」
「あー、あの」
声は潜められていたけれど、ざわめきは少しずつ広がっていく。
ノーラさんはそんな彼らに「あんたたち、あんまり近づきすぎて邪魔しないようにね」と軽く注意していた。あまり注目されることに慣れていなかったのでありがたい。
私は持ってきた小瓶を取り出した。
中には、薬草を浸した水が入っている。
まずは比較的野菜が元気だった場所の土を落とした。
水は少し濁ったけれど、目立った変化はない。
次に、畑喰らいが密集していた場所の土。
匙の先の土を落とした瞬間、水面に黒っぽい煙のようなものがふわりと浮いた。
「……っ」
ノーラさんが息を呑む。
周囲の人たちも、思わず一歩近づいた。
「今の、何だ?」
「水が黒くなったぞ」
「土で濁った……わけじゃないよな?」
私は答えず、次の小瓶へ進んだ。
畑喰らいを抜いた跡の土。
そこからも、同じように黒い煙が細く上がった。
そして最後に、もっとも野菜の育ちが悪かった場所の土を入れる。
今度は反応がはっきりしていた。
水面に浮かぶ黒い煙は濃く、薬草の青い香りまで鈍く沈んでいく。
私は小瓶を並べて、しばらく見比べた。
薄いもの。
濃いもの。
ほとんど反応のないもの。
やっぱり、どれも同じではない。
「……分かりました」
私は顔を上げた。
「どうやら、私の推測は当たっていたようです」
「どういうことだ」
旦那様が尋ねる。
ノーラさんも周りの人たちも、じっとこちらを見ていた。
私は全員に見えるよう、小瓶を並べ直す。
「畑喰らいの実が瘴気を含んでいたのは確かです。でも、原因は畑喰らいそのものではありません」
「なに? では、一体なにが?」
「土です。この畑の土に、薄く瘴気が入り込んでいます」
「土!?」
旦那様とノーラさんの声が重なった。
「ま、マジかよ……」
「畑喰らいのせいで土まで……」
「なんてこった……」
周囲からも低いざわめきが起こる。
が、私はすぐに首を横に振った。
「いえ、そうではありません。むしろ逆です」
「逆?」
「“畑喰らいが土を汚染した”のではなく、“土地が汚染されていたから畑喰らいが生えてきた”んです」
その言葉に、ざわめきが一段大きくなった。
ノーラさんはしばらく言葉を失っていた。それから、育ちの悪い 畝(うね) へ視線を落とす。
「なんとまあ、そういうことだったのかい。道理でこっちがいくら根を取ったつもりでも、また出てくるわけだ」
力の抜けた声だった。
抜いても、抜いても、戻ってくる。
それは畑喰らいがしぶといだけではなく、ここに生える理由が土の側にあったからだったのだ。
「以前、ピット村で土地が瘴気を含むことがあるというケースを目の当たりにしました」
私は小瓶の中の黒ずんだ反応を見つめる。
「あのことが、少し気になっていたんです。ただ、畑の土は見た目だけでは分かりにくいんですよね。匂いもほとんどありませんから」
「たしかにあそこはそうだったな。しかし見ただけでは分からない土地の瘴気か……ますます厄介だな」
旦那様が呟く。
瘴気は無味無臭。今回のように薬草の入った水に浸せば反応が出るが、何もない状況で肉眼だけで違いを見分けるのは至難の業だ。
かといって、広い畑に対して毎度いちいち薬草水で検査をするのは骨が折れる……のだが。
「そうですね。でも、一方でこうも考えられます」
私が畑喰らいの密集していた場所の小瓶を示すと、旦那様とノーラさんが同時にそちらを見た。
「瘴気の強い土の近くほど、畑喰らいは多く生えていました。実から出る瘴気も、同じ場所のものほど濃かったです」
「それは……つまり?」
おずおずと聞き返すノーラさんに、私は粛々と続ける。
「要するに、畑喰らいが増えた場所イコール、土地が瘴気で強く汚染されていると判断できるわけです。であれば、土だけではすぐに気づけない異変でも、畑喰らいの有無で見分けられるかもしれません」
旦那様の表情が変わった。
「なるほど……畑喰らいを、土地の健康状態を診断する目印として利用するわけか」
「はい。まさにその通りです」
そうなれば、対処もすぐに可能となる。これまではどうせ抜いても生えてくるからと放置されがちだったが、早いうちから根本的な対処をすれば手間もずっと軽くなるはず。
旦那様は集まっていた住民たちへ向き直った。
「そうと決まれば、早速原因療法だ。ただちに教会に依頼して、土地の浄化を進めるぞ。それとこの町だけでなく、領内の各地にも伝令だ」
住民たちが一斉に顔を見合わせた。
「じ、じゃあ、あの黒い蔓を毎回掘り返さなくてもよくなるのか?」
「やったぜ! これで腰の痛みともおさらばだ!」
「なんとか根を残さないようにって、一日がかりだったときもあったからなぁ」
次々と上がる喜びの声。
ノーラさんも周囲と同じように大きく息を吐く。
「いやぁ、本当に良かった。原因が分かってホッとしましたよ。こっちはあのしぶとい雑草を抜いては捨て、抜いては捨て、それでもまた出てくるもんだから、ほんとどうしたらいいか途方に暮れてたんです」
それから私へと向き直ると、ノーラさんはおもむろに私の両手をぎゅっと握った。
「ありがとうね。お嬢ちゃんが気づいてくれなかったら、私ら、あのままずっと畑喰らいと添い遂げる羽目になるところだったよ」
「いえ、お役に立てたならよかったです」
私が控えめにそう返すと、ノーラさんは目元を少し緩めた。
そして後日、教会とは別に旦那様が手配した調査団が調べたところによると、畑喰らいが出ていた複数の畑は同じ水源から水を確保していたことが分かった。
さらにその近くではモンスターの死骸が見つかり、そこから滲み出た瘴気が水に混じって畑へ流れ込んでいたらしい。
畑は広大であるため、少しずつ水を引く場所が違う。
どうやらそれが畑によって被害に差がある理由だったようだ。
水源の処理と土地の浄化が進めば、ノーラさんたちの畑も少しずつ戻っていく見通しが立つ。
その話が伝わった日の畑は、お祭りのように喜びにあふれていたとか。
ただ、その一方で――。
畑の隅に残っている黒い蔓のかたまり。
それを見た誰かが苦笑まじりに言った。
「でもさぁ、結局、こいつが邪魔なのは変わらないよな」
「まあな。畑の具合を教えてくれるのはありがたいけど、生えてて嬉しいもんではないしな」
ノーラさんも腕を組み、黒い蔓を見下ろした。
「見た目も悪いしねえ。もうちょっと綺麗ならリースにでもして、店に飾ってやるんだがね」
その言葉に、周りから小さく笑いが漏れる。
が、そこで私はおずおずと手を挙げた。
「……あの、そのことなんですけど」
「ん?」
旦那様とノーラさん、それから近くにいた住民たちがこちらを振り向く。
私は彼らの視線を受けながら、自分だけは畑喰らいについている赤紫の実を見た。
いかにも不安を煽る毒々しい色合い。これが見た目からして食用でないことはあきらかだ。
けれど薬草水での反応を見たとき、瘴気とは別に漂っていた甘味と酸味の気配。そして指で押したとき感じた瑞々しい感触――。
「たぶんこれ、食べたらすごくおいしいですよ」
「「「えぇ!?」」」