作品タイトル不明
第22話 雑用令嬢、旦那様の親友に会う
屋敷の応接室に、紅茶の香りがふわりと広がる。
私は湯気の立つカップを客人の前に置き、続けて皿に乗せたタルトをそっと差し出した。
「こちら、ドレインベリーのタルトです。どうぞ」
「おお、これが」
彼はタルトを見るなり、嬉しそうに目を細めた。
中央から来た文官と聞いていたので、もっと堅い人を想像していたのだけれど、フォークを入れる手つきに遠慮はない。
ひと口食べた瞬間、その表情がぱっと明るくなった。
「うん、甘さと酸味が絶妙だね。これはまさしく絶品だ」
「ありがとうございます」
「たしかドレインベリーだっけ? そもそも魔草を食べようという発想が異次元というか……いやぁ、本当においしい。中央にもお土産に持って帰りたいくらいだよ」
「まあ」
褒め方がまっすぐで、少し照れる。
貴族らしい品のよさはあるのに、菓子を前にした反応は思ったより素直なのもおもしろい。おかげで、こちらの肩の力も自然とやわらぐ。
「いやいや、本当に感動させてもらったよ。さすがリスティンが手紙で褒めてただけあるなぁ」
「お手紙……ですか?」
「うん、そうさ。リスティンがこの地方に飛ばされてから、月一回は近況を報告し合っているんだ。お互い中央と地方じゃ入ってくる情報が全然違うし、どうしてるのかな~って気になるし」
彼はそこで、わざとらしいほど胸を張った。
「なにせ、僕と彼は“親友”だからね」
フレット・グロリアント様。
旦那様の貴族学院時代からの友人だというその人は、まるでそれが自慢であるとばかりに嬉々として語った。
ただその一方で、それまで沈黙を守っていた旦那様はわずかに眉を寄せる。
「別に俺はそこまで中央の話など興味ない。お前が毎度送り付けてくるから仕方なく受け取ってるだけだ」
「でも律儀に返事を返してくるあたり、まんざらでもないんでしょ?」
「……」
旦那様は何か言いかけて、結局黙った。
その反応だけでもフレット様は十分楽しいらしい。逆ににこにこと紅茶に口をつけている。
このお屋敷に来て以来、こういう旦那様の姿を見るのは初めてだった。どうやら二人が親友なのは本当みたい。
フレット様はカップを置くと、今度はしみじみと応接室を見回した。
「それにしても驚いたよ。まさかあのお化け屋敷にも似た場所がこんなに綺麗になっているなんて」
「あ、ありがとうございます」
「おかしいと思ったんだ。いつもなら遠くからどす黒い瘴気のようなオーラを放っているので、それを目印に馬を走らせてくるのに、今日はそれがなかったから。もしかしたら引っ越しでもしたのか、あるいはついにゴミに着火して屋敷が全焼でもしたのかと思ったよ、ははは」
「馬鹿を言うな。その場合は俺の氷魔法で火ごと氷漬けにしている」
……ええと、果たしてそれは被害を抑えることになるんでしょうか。
真顔で文句を言う旦那様に、ついツッコみそうになる。
「はは、相変わらず発想が力技だね。まあ君らしいけど」
フレット様は肩をすくめて笑った。
「これでも学院時代は、よくリスティンの稽古相手をしていたんだよ」
「へぇ」
そうなんだ。さすが親友。
「もっとも、強すぎて誰もやりたがらないから仕方なくだけどね。僕の場合、避けるのだけは得意だったから」
さらっと言っているが、それはなにげにすごいことではないだろうか。私にはあの旦那様の剣戟を避けられるだけで、かなりの達人に思えてしまう。
けれど本人はそのことを自慢するでもなく、またタルトを一口食べた。
「ともあれ、フランベルさんのおかげで助かったよ。僕は毎回ここに来るたび鼻炎になってしまって」
「そうですか。それはなによりです」
「ああ、ちゃんと呼吸ができるってなんて素晴らしいんだろうね」
そんなにか……と言いたいところだけど、実際そうだったかもしれない。
思えば、最初にこの屋敷に来てからもう半年近く経つのか。月日が経つのは早いなぁ。
和やかな空気がひと段落したところで、旦那様がカップを置いた。
「で、フレット。今日はいったい何の用で来たんだ?」
「ああ、そうだったそうだった」
フレット様も姿勢を直す。
すると、そこで彼の声の調子にやや真剣さが混じった。
「手紙で済ませてもよかったんだけどね。今回は国防に関わる繊細な話だったから」
「国防?」
「うん。まだ公式に何か動きがあるわけでもないんだけど。でも、だからこそ念のため口頭で伝えに来た」
私は一歩下がろうとして、旦那様が止めないことに気づいた。フレット様も、私がいることを気にしていない。
なら、ここで聞いていい話なのだろう。
私は紅茶のポットを手元に置いたまま、二人のやり取りを見守る。
「実はね、“さる王国の重要人物”が国境を越えてきたんだ」
「重要人物……誰だ?」
旦那様の目が鋭くなる。
「ガルド・バルディオス」
その名前に、思わず息が止まってしまった。
旦那様も小さく「え」と漏らす。
が、そんな私たちの反応の意味をまだ知らないフレット様はそのまま続けた。
「ガルド・バルディオス――ソルヴェイン王国唯一のSランクギルドのマスター。全くの無名から始まり、ほんの数年で大陸全土に名を轟かせるほどギルドを成長させた大人物だ。……まあ最近はなんか不調みたいで、ギルドのランクが降格されるかもなんて噂も聞いたけど」
不調……とすると、やっぱりフロストーレ様の言っていたことは本当だったんだ。
「ただまあ、その辺の話がどうあれ、いざ敵に回ったら厄介な人物だけに帝国としても注目は外せない。山を挟んで国境を隣接している相手だし、君ももちろん知っているだろう?」
「知ってるも何も……」
旦那様は私と顔を見合わせたあと、フレット様へ短く説明した。
私がかつてガルドのギルドで職員として働いていたこと。
冤罪により追放されたために、この地へやって来たこと。
「……え」
今度はフレット様が目を丸くした。
「そうだったの? え、手紙ではたしか、モンスターを料理する凄腕のシェフとしか聞いてなかったんだけど」
「そこはまあ、あえて伝えることでもなかったしな」
「ああうん、それはたしかに……。でも、そういうことなら余計に話をしに来て正解だったかもね」
フレット様によると、ガルドが国境を越えたのは先日のことらしい。
領主である旦那様がその事実を知らなかったのは、国境管理が中央の管轄であるため。
本人の申告では、越境の目的は“観光”とのこと。
昔から帝国と王国は仲がいいわけではないけれど、行き来が断たれているわけでもないので、その名目自体は通る。けれど、それを鵜呑みにする帝国ではない。
仮にも王国の最高戦力の一角が、理由もなく帝国領へ入るとは到底考えにくい。
「しかも今回は護衛として、あの《金の盾》を伴っているらしい」
フレット様の言葉に、私はまたしても胸の奥がひやりとした。
ディックたちの顔が浮かぶ。
笑い声。こぼされた酒。見下すような目。
私は知らぬ間にエプロンの裾をギュッと握りしめていた。
「なるほど。それはたしかに気になるな。というか怪しすぎる」
旦那様も警戒心を強めるように頷く。
「ね。それで観光なんて言われてもね、っていう。バカンスならもっと他に候補だってあるし」
「こちらに入ってきたのは、なにか裏がある、と?」
「そう思うのが当然だね。ただ、たとえどれだけ怪しかろうと、僕らとしては確たる理由もなく無下に追い返すことはできない。そんなことをしたら、それこそ外交問題に発展しかねないからね」
フレット様は困ったように笑った。
「でも、だからと言ってただ見過ごすにはやっぱり目立ちすぎる存在だ。議会では戦争前の下調べじゃないか、なんて過激なことを言い出す人たちもいるくらいだよ。しかもその可能性は無きにしも非ずだし。結局のところ、彼らが国内にいるだけで帝国としては大迷惑さ」
フレット様はそこで、私に目を向けた。
「一応聞いてみるけど、フランベルさんは何か心当たりはある? 彼らが帝国に来た理由」
「……いえ。何も」
考えてみても、それしか言えなかった。
ガルドが私の居場所を知っているとは思えない。そもそも、私を探しに来る理由もないはず。
「う~ん……元部下で、しかもモンスター料理を作れる唯一の料理人なんだよね。もしかしたら、君を連れ戻しに来たとか」
「いや、それはたぶんないだろう」
フレット様が捻り出すように呟くも、旦那様が即座に否定する。
「向こうはアイカを追放した張本人だ。それに俺とアイカが出会った状況を考えれば、向こうには死亡したと伝わっている可能性が高い」
その通りだ。
かつての私は帝国へ護送中される最中、モンスターに襲われた。そんな窮地を救ってくれたのが旦那様だ。
その際、護送隊は私を置き去りにして撤退している。彼らからすれば、私は獰猛なモンスターから逃げきるための生贄だったはず。生きていると考える方が難しい。
「それにそもそもの話、連中はアイカがモンスターを料理できることすら知らないみたいだしな。仮に生きていたことを知っていたとしても、連れ戻そうとは考えないだろう」
「え、そうなの? そんなことある?」
旦那様が若干呆れたように言うと、フレット様もびっくりしたように瞬きをした。
「えぇ~、こんなにはっきり効果があるのに。もしや……王国って超マヌケ?」
冗談めかした声だったけれど、半分くらい本気にも聞こえた。
私もつい笑いそうになってしまったけれど、ギルドでの嫌な記憶がチラついて表情は完全には緩まない。
結局、話が一通り出そろっても、ガルドたちの目的は分からないままだった。
「いったい、どうして……」
彼らは帝国に来たのだろう?
つぶやいた自分の声が思ったより弱くて驚く。
その声に気づいたのか、旦那様が私を見た。
「心配することはない、アイカ。もし万が一のことがあっても、そのときは俺に任せろ。いざとなったら連中を斬り伏せてでも、君のことは俺が守る」
「!」
口調は穏やか。されど言葉はとても力強い。
私は自分の心が自然と軽くなるのを感じた。
「とはいえ、一番は接触しないことだろう。念のため、領内にはアイカの名前を出さないよう戒厳令を出しておく」
「それがいいだろうね」
フレット様も頷いた。
「死んだと思っていた人間が生きてここで暮らしていると知ったら、向こうもどう動くか分からない。変な刺激は与えないほうがいい」
「……ありがとうございます」
私は二人に頭を下げた。
やがてフレット様は、空になった皿とカップを見て立ち上がろうとした。
「さてと、それじゃあ僕はそろそろ宿に戻るよ。明日までに中央で報告する資料もまとめないといけないし、長居しすぎても悪いからね」
「ちょっと待った」
「ん?」
引き留めたのは旦那様だ。
「せっかくの機会だ。菓子だけでなく料理も味わっていくといい。今日は夕飯も食べていけ。アイカもいいだろう?」
「そうですね。せっかく遠方から来たんですし、おもてなしさせてください」
私が頷くと、フレット様は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「いいのかい? たしかにいつもなら肺がやられる前に退散するところだけど……でもそういうことなら、ぜひお言葉に甘えようかな」
「はい。では、準備してきますね」
そうと決まれば、腕によりをかけないと。
私は空いた皿を手に取りながら、頭の中で夕飯の献立を組み立て始めた。