作品タイトル不明
304 予言⑦
太陽の如き煌々とした輝き。背後に感じる熱。
突然巻き上がった炎の竜巻が呪いを飲み込むその光景に、ティノは目を見張った。
ルシアお姉さまの水の攻撃魔法もかなりの威力だが、それら自然を操る系の攻撃魔法の中で最も威力が高いのは炎の魔法である。
万物を灰燼と帰す攻撃魔法の炎はその余りの威力故に使用場所を選ぶ、扱いが難しい術であり、ハンターの中では敬遠されがちな属性でもあった。
そして、だがしかし、帝都では炎の魔法で知られる魔導師が一人存在している。
眼下には半壊しまだ結界の修復も終わっていない帝国屈指の魔術学院、ゼブルディア魔術学院の校舎が見えた。そして、炎の竜巻はその広大な中庭から放たれている。
思わず唇からその名が溢れた。
「し、《深淵火滅》ッ…………まさか、本当にいるなんて!」
「おー……」
美しくも恐ろしい紅蓮の竜巻にマスターが感心したように小さな声をあげる。
しかし…………いくら相手が瘴気振りまく呪いでも、何の確認もせずに攻撃魔法をぶっ放すとは、恐ろしい 魔導師(マギ) だ。巷で魔女と呼ばれる理由もよく分かる。
レベル8なだけあって、めちゃくちゃ具合はマスターに匹敵…………は、さすがにしていませんね。
中庭から高笑いが聞こえる。
「ひーっひっひっひッ! 肉は灰に、骨は灰に、血は灰にッ! 全て燃え尽きなッ!」
聞いた話では、炎の魔法に特化し散々伝説を残した《深淵火滅》が未だ捕まっていないのは、犯罪の証拠を全て燃やしてしまっているかららしい。まさかと思っていたが、こうして実際に戦っている光景を見ると、あながち眉唾ものの噂と言い切れないのが辛いところだ。
だが、呪いというのは生き物ではない。そもそも、実体があるかすら定かではないのだ。ダメージはゼロではないようだが、教会が呪いの浄化を担当しているのもそのためである。《深淵火滅》程の魔導師がそれを知らないわけがないと思うのだが…………。
炎の竜巻の中から呪いの精霊人が飛び出してくる。ティノの予想通り、その身体にはほとんど損傷がない。
だが、その目は釣り上がっていた。頬を引きつらせながら《深淵火滅》を見下ろす。口を開きかけたところで、突如発生した炎の竜が呪いに食らいついた。
最上級攻撃魔法を効果も考えず二発連続…………さてはあの人、脳筋ですね?
燃えにくいなら燃えるまで燃やすとか思っていそうだ。そう言えば黒き世界樹を燃やしたのも同じ手法だったか……。
紅蓮の竜が呪いの精霊人に噛み付いたまま縦横無尽に空を駆け巡る。先程とはまた別の意味で帝都の人々の目を引きそうな攻撃だ。
と、その時杖に跨ったルシアお姉さまが下から現れた。ローブの裾をはためかせ、いつも以上に不機嫌そうだ。
ルシアお姉さまはぷらぷらしているマスターの目線とぴたりと高さを合わせると、器用に絨毯の速度に合わせて飛びながら叫ぶ。
「兄さん! 何を連れてきてるんですかッ!」
「いやー、ルシアならなんとかしてくれるかなーって」
「は…………はぁぁぁぁぁぁぁ!? もうッ! いつも、いつも――」
……いつもいつもお疲れ様です、ルシアお姉さま。
たまに巻き込まれるティノですら大変なのだ、妹としてしょっちゅう巻き込まれているルシアお姉さまの苦労は察するに余りある。
炎の龍から抜け出した呪いの精霊人が、息切れをしながらこちらに向かってくる。完全にぶちぎれていた。
その怒りっぷりに後ろのマリンの慟哭に加えて黒騎士までもがおろおろしている。
そういえば、森に住む精霊人って基本的に炎の魔法、苦手でしたね……。
あらゆる魔術的資質に秀でる彼等の数少ない弱点である。恐らく、森が燃えるからだろう。彼等は炎の魔法をほとんど使わないし、炎を余り好かない。そもそも無傷でも突然、炎を浴びせられたら怒りもするだろうけど――。
ってか、なんで炎放ったの《深淵火滅》なのにこっちに来るんですか!?
「兄さん、建物に――」
ルシアお姉さまが大きく旋回し、躊躇いなく呪いの前に立ちはだかる。アンセムお兄さまもシトリーお姉さまも皆平然と呪いの前に立ちはだかっていたが、恐ろしい胆力だ。ティノも成長している実感はあるがついていける気がしない。
ルシアお姉さまが器用に跨っていた杖を掴み振り上げ、空中で思い切り振り下ろし、術を行使する。
スカートがひらひら揺れる。術により空中に生み出された渦はみるみる内に巨大な竜巻となり、三体の呪いに向かって放たれた。精霊人の後ろのマリンの慟哭が黒い波動を放つが、竜巻はそれを巻き込み三体を飲み込み閉じ込める。
ぽいぽい爆発物を投げつけていたシトリーお姉さまよりも余程派手だった。幸いコントロールはされているようだが、町中で放っていたらかなり被害規模が大きそうだ。
その竜巻に、《深淵火滅》から炎が放たれる。炎を巻き込んだ竜巻はまるで油に浸した薪のように派手に燃え上がった。
「はーっはっはっは! 燃え尽きなぁッ!」
「すみません、クライさん! マスター、あの黒い灰を手に入れて、ちょっとテンションも火力も上がってるみたいで!」
叫ぶ《深淵火滅》の近くで、見覚えのある《 魔杖(ヒドゥン・カース) 》の魔導師、アルトバランがぺこぺこ頭を下げている。随分苦労してそうだ。マスターはアルトバランに笑顔でひらひら手を振ると、ティノを見上げて言った。
「ティノ、あのでっかい建物に行こう!」
「は、はい…………ますたぁ!」
マスターの御心のままにカーくんを操り、外に何人もの魔導師が集まっている大きな建物に避難する。
両開きの扉を押して開ける。建物は――講堂のようだった。
中には更に大勢の魔導師が集まり、その中心の台座に一本の漆黒の杖が安置されている。
思わず息を呑んだ。ティノには魔力を見る目はないが盗賊としての嗅覚がある。魔導師ではないティノにも、その杖が相当な力を秘めている事がわかった。魔導師達が入ってきたティノ達に一斉に視線を向ける。
ますたぁ……まさか……そうなのですね! この杖がある事を知って――。
ティノの脳裏に、武帝祭で見せたマスターの卓越した魔術の腕前が過る。
「…………いやいや、あれはますたぁの偽物でしたね……」
だが、偽物よりも本物の『ますたぁ』の方が強いに決まっている。そもそも、戦ったのは本物でなくても、あの恐ろしい力を放っていた剣の宝具を止めたのは間違いなくマスターだ。
今度こそ、これまで余り明るみに出ていなかったその戦闘能力が白日の下に晒されてしまうのか?
固唾を呑んで見守るティノの前で、マスターは杖に近づいて……近づいて…………一歩も足を動かしすらしなかった。
非常事態なのに、目を瞬かせてきょろきょろ杖の周りの魔導師達を確認しているマスター。その時、ふと講堂の天井がぶち抜かれ、水の龍が講堂の中心近くに突き刺さった。
天井から瓦礫が落下し、学院の魔導師達が悲鳴をあげながら、まるで蜘蛛の子でも散らすように逃げ出す。いくら優秀でも戦闘経験は浅いという事だろう。慌ててティノもマスターの手を引っ張り、瓦礫を回避する。
水の龍は恐らくルシアお姉さまが放ったものだ。
あの呪いを倒せるのならば、講堂一つ壊れるくらいならまだマシだと思うのはティノの感覚が麻痺しているのだろうか?
だが、残念ながら気配は消えていなかった。
水の龍により穿たれた大きな穴。カーくんをそっと近づけるティノの前で、穴から蒸気のように黒い光が立ち上る。
駄目だ――やはり、ただの魔法攻撃であれを倒すのは無理なのだ。ティノの感覚が正しければ、その光が宿す力は先程からほとんど変わっていない。
あれほどの連続攻撃を受けて無傷とは…………一体マスターはどうやってこれを倒すつもりなのだろうか?
穴から呪い達がふわりと浮き上がる。呪いの精霊人は憎々しげな表情でマスターを見ると、続いて台座に安置された漆黒の杖に目を向け――纏っていた黒い光がぴたりと消えた。
もう今日何度目かもわからない嫌な予感がティノの背筋を駆け上がる。
……あれ? これはもしかして……やばいのでは?
「あの………………ま、ますたぁ?」
「オ……オ…………こ、れ、は――」
呪いの精霊人の顔が激しく歪み、ぷるぷると身を震わせながら、漆黒の杖に近づく。
これは間違いなく嵐の前の静けさだ。声に出ないくらい、ソレは怒っている。
杖が呪いの精霊人の手に渡る。室温が一気に数度も下がる。地獄の底から響き渡るような声で、精霊人が言う。
「にッ……人間、風情がッ……せ、世界樹の、紛い物ッ、だ……とッ!? なんと…………なんと言うッッッ」
その余りの殺意に、刹那でティノの身体は凍りついた。心臓すらも今にも止まってしまいそうな、暴力的なまでの殺意。
指一本動けばカーくんに触れられる距離なのに、このままではカーくんを使えない。
短かった精霊人の髪がぐにゃぐにゃと伸び、その怒りを現しているかのように波打つ。いつの間にか口調は片言ではなくなっている。
その目がティノに――正確にはティノの隣に立ち尽くすマスターに向けられる。威圧などというレベルではない、この世のものとは思えない眼光を受け、マスターは小さく身を震わせて、言った。
「……なんかここ寒くない?」
「!? いっ……言ってる場合ですかーーーーー!?」
う、動いた!
心の底からのツッコミに身体が再び自由を取り戻す。ティノはカーくんに触れると、マスターの腕を掴み即座にカーくんに飛び乗った。
まさしく一世一代の判断力、軽やかな身のこなしだった。ティノの意図を察したカーくんがぐいんと加速する。
これまで体験した事のない重い殺意を背に感じた。まだ少しだけ講堂に残っている魔導師達も怒れる呪いを前に何もできていない。
勢いよく講堂を飛び出す。そこで、外から駆け込んできたルシアお姉さまと、《深淵火滅》とすれ違う。
視線が交わる。ルシアお姉さまには尻尾と耳が生えていた。
二人は入り口付近で揃って立ち止まると、杖を振り上げほぼ同時に術を行使する。
「『ウォールストーム』ッ!」
「『灰燼帰焔』ッ!」
熱と、風を背に感じた。分厚い風の壁が、《深淵火滅》の放った黒い炎を吸い込み、激しい炎の壁と化す。どうやらルシアお姉さま達は足止めに入ったようだ。
ルシアお姉さま達の攻撃は精霊人に余りダメージを与えられていなかったが、動きを止める事はできた。倒せないのならば時間を稼ぐ、さすが一流のハンターだ。
ほっと息を吐く――その時だった。
炎の壁を貫き、禍々しい光の槍がぶらぶらさせていたマスターに突き刺さる。
これまで見たことのない黒と白の光の明滅。一瞬割けた分厚い炎の壁の向こうには、爛々と怒りに燃える精霊人の顔がちらりと見えた。
恐ろしい……何という悍ましい。あんな顔で狙われたら、ティノだったら間違いなく夜にトイレにいけなくなってしまう。
一瞬思考が空白になるティノ。その手にぶら下がったマスターは小さくため息をつくと、達観したようなとてもハードボイルドな表情で言った。
「後、一、か…………」
「!? え? な、何がですか!?」
そもそも、あの攻撃を受けて無傷って、貴方どんな身体してるんですか!
マスターがいつでも無傷なのは今更なので一瞬判断が遅れたが、もしも命中したのがティノだったら肉片一つ残るまい。一体どういう理屈なのだろうか? 結界指を使っているにしても受けている攻撃が多すぎる。
その異常性に改めて戦慄するティノに、マスターはぶらぶらしながら真剣な表情で言った。
「ティノ…………これが最後の作戦だ。ルークの所に行こう」
「!? えぇ!? なんで!? ど、どういうことですか!?」
どうしてこのタイミングでルークお兄さまなのか。今このタイミングでは一番役に立たな――いやいや。
落ち着け、落ち着くのだ、ティノ・シェイド。ルークお兄さまは役に立たないが今のティノもただの運び屋だ。考えるのだ、せめてますたぁの意図を察して――。
しばらく沈黙した後、恐る恐る言う。
「わ、わかりました。つまり、ますたぁ、貴方はこう言っているのですね? ルークお兄さまの剣が未来を斬り開く、と!」
マスターは苦し紛れなティノの意見を受けると、困ったような表情で言った。
「だって後はルークしか残ってないし……」
ますたぁ……お姉さまも残っていますよ……。