軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

303 予言⑥

シトリーお姉さまは容姿端麗、いつも冷静沈着で非の打ち所がなかなかない帝都でも稀に見る才媛だがマスターが関わるとちょっと駄目になる。

不安しかないティノの目の前で、下水ドラゴン――略してゲスドラと最強の呪いとの戦いの火蓋が切られようとしていた。

シトリーお姉さまが何をやっていたのか、状況は全くわからなかった。だが、とても勝ち目があるように思えない。いくら都市伝説になった存在だなどと言っても、相手は恐らく本物の伝説級の呪いなのだ。既にアンセムお兄さまとアークで手に負えないというのが実証されている。

そもそも、下水ドラゴンなんて聞いたことがないし、多分シトリーお姉さまの造語なのだろう。ティノは圧倒的なマスター派であると同時にシトリーお姉さまの力も知っているが…………本当に勝ち目あるんですか?

妙に楽しそうに下水ドラゴンをけしかけるマスターから少し離れた所で、シトリーお姉さまと錬金術師の老人は二人でこそこそ話をしていた。

「いよいよストロベリー・ブレイズの力が実証されますね」

「…………しかし、あの三体、何者かは知らんが、恐ろしい瘴気だ。下水の魔物を全て解放しても、勝ち目があるかどうか――」

「大丈夫です、クライさんならどうとでもできるはず…………そうだ。下水ドラゴン達が食べられて支配薬の効果があちらに移るなんてどうでしょう?」

全く状況を知らないシトリーお姉さまが自信満々に言う。

シトリーお姉さま、多分あの呪いは下水ドラゴンなんて食べないと思います……というか、やはり真っ向から勝負して勝ち目はないとわかっているのですね。どうでしょうかって……。

事情はわからないがマスターの支配下に入っているという下水ドラゴンもその気配に怯えているように見える。そもそも、ティノの記憶が正しければ下水道の怪物は大勢の人間には襲いかからないという話だったはずだ。大勢の人間がいた教会を真っ向から突破してきたあの呪いにどうして勝てようか?

マスターの神算鬼謀をただただ祈るティノの前で、シトリーお姉さまがティノを見て言った。

「それに……いざという時はティーちゃんと、それで駄目なら追加でキルキル君を囮に逃げましょう! 態勢を整えるのです」

「!?」

とんでもない事を言うシトリーお姉さまに、ティノはそっと顔を背けた。

シトリーお姉さま、やはり全然わかっていませんね…………あれが追っているのは、ますたぁですよ! 私達はますたぁを救うためにはなんとか戦わねばならないんです!

ティノやキルキル君を囮にしても呪いが追いかけていくのはマスターの方だ。

下水ドラゴンや虫やネズミ、コウモリを始めとした下水道を根城にしていた多種多様の動物たちがマスターの命令に一斉に精霊人の呪いの方に近づいていく。

そして、その数メートル前で立ち止まった。

「シトリーお姉さま、向かっていかないのですが……」

「…………本能が肉体を止めているみたいね」

これ程、勝敗のわかっている勝負も珍しい、とティノは思った。

一瞬たりとも勝てると思えない。まだティノが戦った方がマシのように思える。そもそも下水ドラゴンって、温泉ドラゴンとどっちが強いのだろうか?

精霊人が一歩前に進むと、下水ドラゴン達が一歩退く。酷すぎる構図だった。

そしてやっぱり、あの精霊人、下水ドラゴンなんて食べませんよ……そもそも食べて何か変わるとも思えませんが。

いや――だが、マスターがここに来ると決めたのは確か! これまでだってマスターは幾度となく奇跡を起こしてきた、もしかしたらあの呪いの弱点がピンポイントで下水ドラゴンである可能性も…………。

「頑張れ、下水ドラゴン!」

「ぐぎゃあああ!」

下水ドラゴンがマスターの言葉に、自らの意志を奮い立たせるかのように咆哮を上げる。だが、その脚は一歩も前に進んでいなかった。まるで自分を見ているようで、ちょっと悲しくなってしまう。この世の中にはやる気だけではどうにもならない事もあるのだ。

マスターは一体どうするつもりだろうか? 困ったように下水ドラゴン達を見るマスターの前で、精霊人の呪いが――初めて、口を開いた。

「ヨワキモノ、タチサレ」

心臓が凍りつくような、氷のように冷たい声。その声に、下水ドラゴンが悲鳴のような咆哮をあげる。

まるで弾かれたように、下水ドラゴンが、その他の小動物たちが一斉に半壊した建物――下水道に逃げ出す。

ぎりぎりでティノは横飛びに回避できたが、危うく轢かれるところだった。

その光景はまるで波が引くかのようだった。勝負になっていない……というか、マスターの言うことを聞くのでは!?

マスターも目を瞬かせている。シトリーお姉さまが目を見開き、隣の錬金術師に言った。

「ニコラルフさん。どうやらストロベリー・ブレイズはかねてからの予想通り、呪術に連なる力が働いていたようですね」

「……より強力な呪いにかき消され、楔が外れたか…………希釈されたポーションでは効きが甘かったか……」

分析してる場合ではないんですけど……他に手はあるんですか?

精霊人が残されたティノ達を見て侮蔑したように鼻で笑う。

後ろについているマリンの慟哭がなんだか凄く心配そうなんですが…………まさか、呪いに憐れまれてる!?

と、その時、宙をポーションの瓶が舞う。シトリーお姉さまが投げたのだ。

瓶に入れた白銀色のポーションが精霊人の呪いの目の前に落下し、割れる。そして――爆発した。

凄まじい爆発だった。激しい爆風に身体が吹き飛び、壁に勢いよく叩きつけられる。地面に大穴が空き、塀がばらばらになる。

シトリーお姉さまのエクスプロージョン・ポーションだ。何の前振りもなく、しかもこんな町中で使うなんて――。

痛みを堪えながら起き上がる。シトリーお姉さまは半壊した下水道の入り口の建物に身を隠しながら、ぽいぽいと軽やかな動作でポーションを投げつけていた。

「えい、えい、えい! 今回は呪いと聞いて作っておいた、聖水浄化エクスプロージョンポーション、初お披露目ですッ!」

「めちゃ、くちゃ、やらないでください、シトリー……お姉さま」

断続して起きる爆発の中から『マリンの慟哭』の慟哭があがる。もう浄化というよりも物理なんですが……。

そもそも、いくらシトリーお姉さまでもポーションであれらを倒せるわけがないでしょう! アンセムお兄さまでどうにもならなかったんですよ!?

勝てないだろうとは想像がついているだろうに、殺意が高すぎる。

最後に白いポーションが投げつけられ、不自然なまでの白煙が巻き起こる。これは――煙幕だ。ティノはぴんときた。

シトリーお姉さま、さては……ますたぁと逃げるつもりですね。そうはさせない。

指を咥え、思い切り息を吹いて音を出す。建物の影に隠れ身を守っていたカーくんが音を聞きつけてやってくる。

ここはもうダメだ。やはりシトリーお姉さまでもどうにもならない。ここに来て得られたのは怪獣大決戦ですらなかった。何をしたかったんですか、ますたぁ……。

やってくるカーくんにジャンプして飛び乗る。そのまま宙を疾走すると、煙の中仁王立ちしながら遠い目をしているマスターの手を握りしめそのまま空に逃げ出した。またマスターをぷらぷらさせながら、尋ねる。

ティノは全力だ。この状況をどうにかするのに全力なのだ。マスターの性格や苛烈さをこれ以上ないほど知っていても、マスターに聞くしかないのだ。

「ますたぁ、次はどこへ!?」

「ティノ……いつの間にカーくんをそんなに…………」

「ますたぁ、また追ってきますッ! あんな煙の中で逃げたのに!」

やはり視力ではなく特殊な力で追いかけているのだろう。恐ろしい執念だ。

これ以上、大きな身体に変身するのはやめたのか、大きな黒い鳥のようなものに乗って追いかけてきている。速度も先程よりも更に速い。

ダメージはないようだが、明らかに先程よりも怒っていた。下水ドラゴンをけしかけられた上におかしなポーションを投げつけられたのだから怒りもするだろう。

「カーくん、もっと速く!」

「…………」

何故かマスターが遠い目をしている。カーくんはティノの言葉を聞いたのか、ぐんと速度をあげた。

どこに限界値があるのかわからないが、少しだけ彼我の距離が遠くなる。まだ後少しだけ持つだろう。

絨毯の乗りこなしにも慣れてきた。これが非常時でなければどれほどよかったか……。

というか、シトリーお姉さま、呪いを怒らせただけですね……そもそもアンセムお兄さまにもどうにもならないのに錬金術師のシトリーお姉さまにどうにかなると思うのが間違いだった。

だが、あながち悪い事ばかりではない。今回の件でシトリーお姉さまに状況は伝わったはずだ。時間さえあれば何らかの対策をしてくれるはず…………は! まさか、ますたぁはそれを狙って!?

そこで、マスターが下から声をあげる。

「………………よし、ティノ、次はルシアの所に行こう。ゼブルディア魔術学院だ! ルシアならなんとかしてくれるはずだし、セージ教授もいる! もしかしたら、燃やす婆さんもいるかも……」

「ますたぁ…………はい、わかりました」

ルシアお姉さま……確かに、ルシアお姉さまと《深淵火滅》ならなんとかしてくれそうだ。それに、《不滅》のセージ・クラスタは精霊人の血を引いていると聞く。何か解決の糸口が見つかるかもしれない。

しかし………………怒らせていないで、そちらを先にするべきだったのではないでしょうか?

§ § §

やばい。なんだか相手がヤバすぎて現実感がない。変な夢でも見ているような気分だ。

僕はぷらぷら空中飛行を味わいながら、半笑いで、黒い大きな鳥に乗って追ってくる精霊人を見ていた。

もう状況が目まぐるしく変わりすぎて頭が全く現実についていけてなかった。この感覚も久しぶりだ。

まさかアンセムやアークが倒せない相手とは…………ヒューも、とんでもない怪物を連れてきたものである。

マリンの慟哭・黒騎士コンビと戦わせる案はいいと思ったのだが裏目に出たし、下水ドラゴンを操れると聞いた時はこれだと思ったがそれもまた案の定駄目だったし、どうにもならない。

……てか、今思い返すと下水ドラゴンって、何さ?

だが、どれほどピンチになっても僕にできる事は変わらない。僕にできる事は――ないのだ。

ティノはいつの間にか、カーくんを自在に操っていた。僕の言うことを全く聞かなかったのに、ティノの言う事はすぐに聞くなんてとんでもない絨毯だ。これが終わったらしっかり話し合わないと……。

しかしあの精霊人、あんなに怒って…………。

やる事もないので、全ての元凶である、呪いを引き寄せる木の指輪をしげしげと見つめる。宝具なんだからそういうもんだと言われてしまえばそうなのだが、言葉を交わせるほどの強力な意識を持った呪いがあそこまで固執するとは……。

もちろん、持ってきてくれたティノを責めたりするつもりはない。ティノに僕を陥れる考えがなかったのは明白だし、そもそも我が身を顧みずに手に入れた指輪なのだ。悪いとすれば何も考えずにはめてしまった僕であって――。

と、そこで指輪を唇の下ですりすりしていたら、クランハウスではあれほど抜けなかった指輪がいとも簡単にするりと動いた。

「?????」

思わず目を見開く。ティノを見上げ、続いて指輪を確認して、最後に追ってくる精霊人の呪いを凝視する。

外れた理由は考えるまでもない。魔力が切れたのだ。きっと、もともとそこまで魔力が残っていなかったのだろう。僕自身は魔力をほとんど持っていないし、装備者から魔力を吸って機能を維持する能力も吸う魔力がなければ意味はない。

問題は――あれ? …………………………い、いつ魔力切れたんだろう?

マーチスさんに鑑定してもらった時は確かに取れなかったし、クランハウスで確認した時も取れなかった。

と、とにかく、この指輪を捨ててしまえばあの呪いも追ってはこないはずだ。ラッキー。

と、その辺に指輪を投げ捨てようとしたところで、僕はふと気づいた。

これ、指輪捨てたら、あの呪い、今度は街を襲い始めるんじゃない?

不幸中の幸いな事に、あの呪いが僕を追ってきている間は街は安全だ。

アンセムやアーク達はあれを足止め出来なかったが、彼らは一流ハンターなのだから時間さえ稼げば対策を練ってくれるはず――。

そして、あの呪いの動きは速いが絨毯マスターティノの速度ならば逃げていられる。どうせ街が呪われたら僕も一緒に呪われてしまうのだ、指輪を捨てるのはいつでもできる。

どうやら……選択肢はないようだな。

「ティノ、いいことを考えた! 絨毯でこのまま世界一周なんてどうだろう?」

「な、何言ってるんですか!? ますたぁ!?」

ティノが悲鳴のような声をあげる。とりあえずずっとぶらぶらさせてないで僕も上に乗せて欲しいのだが、贅沢だろうか? 何か上に乗るコツでもあるのかな?

魔力の切れてしまっている指輪をしっかり嵌め直し、呪いの精霊人の方を見る。

指輪の力が切れたことにいつバレるかわからない……っていうか、魔力切れてるのに追いかけてくるのおかしいんだけど、ともかくなんとか引きつけないと……どうする……どうする?

………………と、とりあえず手でも振っておくか。

ラブアンドピースを求めて笑顔を作り手を振る。呪いの精霊人の表情が引きつり、後ろのマリンの慟哭が何故かぶんぶんと首を横に振っている。

黒騎士がその剣を大きく振りかぶる。完全に投げるつもりだ。無駄だよ、まだ結界指三つ残ってるから……やめた方がいいよ。

達観した気分でハードボイルドに肩を竦めたその時――地上から放たれた炎の竜巻が呪いの精霊人を飲み込んだ。