軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

259 勝者と敗者

終わりは唐突に訪れた。まるで天地がひっくり返るかのような大きな揺れが唐突に止まる。

会場は酷い有様だった。如何に頑丈に作られた闘技場でも、終盤起こった激しい揺れには耐えきれなかったらしい。

天井は崩れそこかしこが瓦礫に埋まっている。椅子の近くでミュリーナが身を丸めている。

だが、ラドリックはそれらを無視し、すかさず叫んだ。

「鍵が砕けた、捕らえろッ!」

武具型宝具は総じてかなり頑丈だ。大地の鍵もその例に漏れず、大剣と打ち合ってもかすり傷一つつかない凄まじい強度を誇っていた。

まさか、『大地の鍵』が砕けるとは――文献を詳しく検めた遺物調査院からも全く報告は上がっていなかったが、余りに強力な力には代償があるという事だろう。

それは、帝国にとって――いや、世界にとって、幸いな話だ。

これまで一種の抵抗力として、帝国として宝具を破棄する選択は取れなかったが、狐に狙われている以上――そして、その狐が躊躇うことなく宝具を全解放する程の狂気を孕んでいた以上、鍵の破壊はたとえこの状況を脱したとしても、急務だった。このような状況で破壊されたのならば、他の貴族達も納得するだろう。

鍵を必死に《千変万化》と取り合っていた狐面が立ち上がり、大きくふらつく。

その口元からは少なからぬ血が流れていた。見るに明らかに重傷だった。原因はわからないが、《千変万化》との綱引きの結果だろう。

狐の上位メンバーは高レベルハンターをも上回るという。だが、これは千載一遇の好機だ。

恐るべき作戦は完全に阻止された。相手は消耗している。

近衛達がラドリックの指示に従い、場内に駆け出す。

《千変万化》がふらつきながら立ち上がる。浴びている血は返り血だろうが、その所作には明らかに疲労が見えた。

いや――完全には抑制できなかったとは言え、大地の鍵に抗ったのだ。それはレベル8をも遥かに越えた偉業である。

その姿勢が崩れ、《千変万化》が膝をつき、額を押さえる。

やはり限界なのだろう。ここで英雄を失うわけにはいかなかった。なんとしてでも救わねばならない。

胸を押さえ、狐面が跪く《千変万化》を見下ろす。

作戦は失敗した。大地の鍵は解放されたが、破壊は最小限に抑えられた。

その事実が理解できないわけでもなかろうに、重傷を負いながらも逃走を選ばないとは、恐ろしい執念だ。

だが、《千変万化》は一人ではない。ここには観客として大勢の腕利きがいるのだ。

だからこそ、大地の鍵の破壊はこの程度で済んだ。

そして、ラドリックは大きく息を吸うと、激情を吐き出すように叫んだ。

「なんとしてでも、賊を捕らえよッ!! 捕らえた者には望みの褒美を取らすッ!」

§ § §

嵌められた。そう理解した時には既に遅かった。

大地の鍵はなんとか抑え込んだ。ぎりぎりで抑制が間に合ったのだろう。だが、それ以外の点については――状況は頗る悪い。

いや――その程度で済んだのは僥倖だろう。大地の鍵は本来人の手で抑えられるようなものではないのだから。

血を流しすぎて頭がくらくらするが、ボスは状況を正確に判断していた。

身体が重い。傷も深い。ここまでの痛みを感じるのも、ここまでの屈辱を味わわせられるのも久しぶりだ。

音が遠い。悲鳴も何もかもがフィルターを通したように聞こえる。警戒が必要なことは理解していたが、もはやその程度の力も残っていなかった。

ボスの視界に入っているのは、ゆらりと起き上がる《千変万化》だ。

ようやく《千変万化》の取った策の全容が見えてくる。

ボスのように力を使って大地の鍵を抑えていたわけでもないのに、《千変万化》が大きくふらつき、膝をつく。

その余りにも自然な姿にボスは自然と笑っていた。

「ふふふ………あははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」

恐ろしい男だ。何という恐ろしい男だ。神算鬼謀などという陳腐な単語では言い表せられない。

今回のこの男の作戦は余りにも危険だった。おまけに成功率も決して高くはなかった。何か一つでもボタンの掛け違いが発生していたら、《千変万化》は逆賊の誹りを免れなかったし、世界が滅んでいる可能性も決して低くなかった。

たとえ誰かが思いついたとしても考慮するまでもなく却下する、そういう類の作戦だった。

秘密結社である九尾の影狐にとってもそうなのだ、一般人では絶対に気づかないだろう。いや、組織の仲間ですら信じない可能性が高い。

謀略家なんてものではない。発想がイカれている。

大地の鍵は砕け散った。二本目の鍵は未だ発見されていない。

作戦は完全に失敗した。にもかかわらず、狐には大地の鍵を全解放した嫌疑だけがかけられる事になる。

本来ならば大地の鍵を使用し、その恐ろしさの一端を周囲に知らしめ、それを武器に各国に干渉する計画だった。

だが、やりすぎた。世界を破滅させるカードを容易く切るとみなされた以上、彼らはきっと己の身を顧みず死に物狂いで殺しにくる。

これまで内々に味方をしてきた者たちも考えを変えるだろう。これまでのようにはいかない。

おまけに、抑止力もない。破壊を齎した兵器は粉々に砕け散ってしまった。

ありえない。それは、ありえない話だった。

「一体……どこで、知ったッ! 《千変万化》」

「やば……地面、揺れすぎで酔った」

《千変万化》が本気なのか冗談なのかわからない事をぼそぼそ呟く。

狐は『大地の鍵』の力を、宝物殿で発見されたとある書物型の宝具から知った。だが、その文献には過負荷で鍵が自壊するなどという話は書いていなかった。

いや、そもそも、大地の鍵を全解放した記録はなかったのだ。少なくともその書物が書かれた時点では、一度も使用されていなかった。

そして、組織の調べた限り、宝具として発見された大地の鍵が使われた形跡はない。

果たして、一度も使用されていない宝具の力の限界をいかなる術理で見破ったのか?

狐の組織力を持ってしても手に入らない情報をどのようなルートで手に入れたのか?

残念ながら、のんびり予想しているような時間はなかった。

ここは敵地だ、ここまで甚大なダメージを受けるのは予想していなかった。何としてでも逃げ延びねばならない。

だが、その前にこの男だけは――。

未だ地面に片膝をつく《千変万化》に一歩踏み込もうとした瞬間、ふとその視界に影が差した。

「チャレンジャー、お前の相手はこの俺だあああああああああああッ!」

「ッ!?」

嗄れた、だが傲岸不遜なまでの強い自信を感じさせる声。真上から落ちてくるその圧に、ボスは一歩後ろに下がった。

すぐ目の前の地面に金色の手甲に包まれた巨大な拳が突き刺さる。

一度止まった地面が大きく揺れ、大地にひびが入る。

乱入者を確認し、舌打ちを漏らす。

前武帝、チャンピオン。修行で立ち入った宝物殿で得た全てのマナ・マテリアルを筋肉に割り振った男。

それは、本来の計画ならばボスが最も警戒していた仮想敵の一人だった。

才能のある馬鹿に力を持たせるとろくな事にならない典型だ。

「《怪腕鬼帝》」

ボスの声に、武帝は答えない。答える代わりに強く踏み込んでくる。

傷は負ったが、戦えないわけではない。

手負いの者が時に驚くべき力を発揮することを知らないわけでもないだろうに、武帝の攻撃行動には警戒も躊躇いもなかった。

きっと目の前の男は好き放題本能が赴くままに縦横無尽に暴力を振り回し、敗北し死ぬまで冷静に思考する事などないのだろう。

ボスは瞬時に諦めた。諦めざるを得なかった。

目の前の男は智謀には全く疎いが、誰よりも素早く、硬く、力が強い。万全ならばともかく、今相手をしていられるような者ではない。

観客席から何人ものハンターが飛び降りてくる。後ろに下がるボスに、武帝が鬼のように笑いながら拳を振り下ろしてくる。

いつも使っている武器は置いてきたようだが、そのただの拳は高レベルハンターをも一撃で昏倒せしめる威力を持っていた。

「逃がすかあああああああああ!」

まるで猛牛が突進しているかのようだった。その圧力は決して人間が放つ類のものではなかった。

本能のまま放たれる恐ろしい威力の拳を、残った魔力を振り絞り体表に纏い、最小限の動きでいなし、回避する。

本来、ただの拳などものの数ではないが、今の状態では最低限の防御を張ることすら長続きしない。

頭がずきずき痛む。完全に魔力欠乏現象だ。既に魔力で足場を組む事すらできない。

ボスの動きに焦れたのか、武帝の動きが大振りから小振りに変わる。手数で翻弄するつもりなのだろう、ただのジャブでも並のハンターならば耐えきれまい。

一歩強く踏み込み、小さく飛ぶ。無造作に放たれた『軽い』拳を、ボスは全力で受けた。

魔力の上から、防御の上から、身体がばらばらになりそうな衝撃が広がる。

だが、これが狙いだった。

武帝は深く考えない事が長所にも短所にもつながっている。消え去りそうな意識をぎりぎりで繋ぎ止め、両手両足を使い着地する。武帝の目が丸くなる。

大きく吹き飛ばされたボス――そのすぐ背後に、ぽっかりと選手の入場口が広がっていた。

これが――活路だ。たとえ走って逃げても武帝から逃げ切れる可能性は限りなく低い。だが、逃げ延びる方法はこれしかない。

地面を蹴り、駆け出す。血が唇からこぼれ落ちる。頭がずきずきと痛む。後ろから武帝の巨大な足音と観客席から上がった咆哮が聞こえ――

――そして、空気が変わった。

後ろから聞こえていた音が、凄まじいプレッシャーが消えていた。

場所は変わっていない。事前に調査した通り、見覚えのある廊下。

目の前にボスがかぶっているものと同じ面を被った少女が立っていた。

神聖さを感じさせる白い着物。その臀部から伸びる白い尾。

その小さく細い人差し指が向けられる。そして、状況を全く理解できていないボスに、少女が言った。

「危機感さんの敵。逃してあげる………………今度こそ、私の勝ち!」