作品タイトル不明
258 魔王②
これまで《嘆きの亡霊》は様々な苦難を乗り越えてきた。
その相手は時に魔物であり、時に幻影であり、時に人間であり、時に『状況』それ自体であった。
会場を襲った激しい揺れ。砂埃が晴れ、状況を確認したシトリーはすかさず立ち上がり声を張り上げた。
「《千変万化》が破壊を抑えていますッ! 助力してください、このままでは大変な事になりますー! 大変な! ことに!」
「! おら、しっかり止めるんだよッ! てめえら、クライちゃんにばっかりやらせんじゃねえッ!」
「兄さんッ!? もうッ!」
すかさず、姉のリィズが追従する。《始まりの足跡》の魔導師達がその声に我に返ったように術を行使し始めた。
みしみしと、頑丈に作られているはずの闘技場が音を立てている。場内の中心に感じる破壊の波動はまるで心臓の鼓動のように脈打っており、まるで怪物が目覚めの時を待っているかのようだった。
「クライさんが! 狐を! 抑えてますッ!」
桃色の瞳で会場を見下ろす。そこにあるのは、地面に突き刺さった一振りの剣を握る狐面とリーダーの姿だ。
濃い砂煙が立ち込める直前、剣を持っていたのは狐面の男だった。だから、宝具を発動したのは一見狐面のようにも見える。
だが――違う。シトリーにはわかる。これほどの威力の宝具を公衆の面前で発動するなど余りにもリスクが高すぎる。『九尾の影狐』にはこの状況でこの宝具を発動する理由がない。
そもそも、距離があるので分かりづらいが、剣を握る手はクライ・アンドリヒの方が下だ。
シトリーは鞄から魔力回復ポーションをありったけ取り出すと椅子の上に置いた。
ルシアの髪が強力な魔術行使に僅かに浮き上がる。地面に当てた手の平から膨大な力が地中に放たれ、破壊の奔流に抗っている。
事態は一刻を争う。敵も味方も、まだ状況を正確に把握できている者はほとんどいない。
ならば勝つのは――流れを作った者だ。
シトリーはぞくぞくするような強い高揚が身体を満たすのを感じた。
このまま、『狐』に、好き勝手やらせるわけには、いかない!
「皆に通達してきますッ!!」
「あーあー、張り切っちゃって」
「うおおおおおおおおお、俺も行くぜっ!」
「はいはい、ルークちゃんはここであの破壊を止めようね」
咆哮するルークを、姉がすかさず制止してくれる。これは役割分担だ。ルーク・サイコルは突破力こそ並外れているがこういった分野では適性がまったくない(まぁ、そもそも剣でこのエネルギーを止められるとは思えないが)。
ルシアとアンセムが地面に破壊を少しでも抑えるべく力を行使している。
《始まりの足跡》の魔導師達が顔を真っ青にしながら中心から放たれる力を相殺している。
姉ならばヘタった者に片っ端から魔力回復薬を飲ませてくれることだろう。
シトリーは激しい揺れの中、正確に身を翻すと、観客席に沿うように駆け出した。
「皆さん、大変ですよー! 狐がー! 《千変万化》が、破壊を抑えてますー! 助力してくださいー!! このままではまずいことに!」
§ § §
やばい事になった。僕にわかる事はそれだけだった。
握りしめた大地の鍵が光り輝いていた。かつて遊びで使ってみたどの武器宝具よりも強力な力を感じた。
感覚が鈍い僕にも感じるのだ、闘技場にいる全ての人間が同じものを感じているだろう。
これは……詰んだかな?
僕はこれまで散々ミスをしてきたが、基本的に僕の力は雑魚である。ここまで大きな破壊の宝具を起動した事はない。
目の前では狐面を被った人が手を伸ばし、剣の柄を握りしめていた。
仮面を被っているので目元は見えなかったが、歯をぎりぎりと食いしばっているのがわかる。どうやら怒っているらしい。
僕はとっさに大きく深呼吸をした。
「まぁ、落ち着いて。こういう時は落ち着くんだ」
「ッ…………」
顔を上げると、闘技場それ自体が激しく震えているのが見えた。僕は揺れを感じないが、ただ事ではなかった。おまけに鍵から放たれる力は収まる気配がない。
どうする? どうしたらいい? このままではクリートが酷い事になってしまう。
まったく、これだから僕に鍵をもたせるなって言ったのに……。
「…………早くこの鍵も油揚げにならないかな」
「あがッ…………っ……ぬぅう…………」
「ねえ? これは真面目に聞いてるんだけど……どうやってあの宝具を油揚げにしたの?」
「ッ……ぐ……が…………あ……あああああああああ……」
一縷の望みを掛けて尋ねると、狐面が地獄の底から響くような声をあげる。
よくわからないが、どうやら何かを喋る余裕はないようだ。
うーん……同じ宝具なら、この鍵も何かすれば油揚げになるはずなんだが――。
手を離し色々試したいのだが、手は鍵に張り付いて離れなかった。上から狐面に押さえつけられている以上、僕には立ち上がることすらできない。状況がすべて僕にとって悪い方向に働いている。
全く、いつも運が悪いんだ。僕は泣きたい気分を抑えて、恐る恐る提案した。
「本当に申し訳ないんだけど、ちょっとどいて貰えない? 色々試したいんだけど……」
「!? な、ぁに――ッ!?」
なんで僕が平気なのに狐面がこんなに苦しそうなのか全くわからん。そしてどうやらどいてくれないらしい。
だが、僕も腐ってもレベル8、この緊急事態に何もしないわけにはいかない。
僕はこれまで数々の宝具を扱ってきた。その中には当然、剣型の宝具も存在している。宝具を扱っている時間だけは他の幼馴染にも負けはしない。
ならば、この大地の鍵だってうまいこと制御できるはずだ。
自分を信じるのだ。宝具を扱った時間は僕を裏切らない。
僕は目を閉じると、精神を集中した。剣に意識を移し、これまでの経験と知識から発動を抑制する。
――と、その時、僕の顔に生暖かいものがかかった。
「!?」
目を開ける。狐面が血を吐いていた。
鉄錆に似た生臭い臭いがいっぱいに広がる。さすがの僕でも血の臭いくらいは嗅ぎ慣れているが――。
呆然とする僕に、狐面がさらに盛大に血を吐き散らかす。剣に手が張り付いている僕はそれを避ける事すらできない。
「!??」
「あ……がぐ……」
「え?」
狐面が剣を握っていなかった左腕を緩慢に動かし、大地の鍵を頭から抑える。そこで僕は気づいた。
煌々と輝いていた大地の鍵。その光が赤みを帯びていた。地面に流れ込む力も先程よりも増している。
あれ? あれ? い、いや、僕は、止めたつもりで――
更に制御を試みる。大地の鍵が熱されたような赤に変わり、闘技場の揺れが更に激しくなる。
人が飛び、悲鳴と咆哮が世界を揺らす。
あれ? もしや――制御できない?
………………なるほど……この宝具、さてはこれまでの宝具とは格が違うな?
まだ意識は残っているようだが、狐面は完全に朦朧としていた。
こちらに怒気を向ける余裕すらないのか、だがそれでもその手は鍵を握りしめている。
そんなにこの大地の鍵が欲しいのか――待てよ? もしかしたら、コントロールできないのは目の前の狐面のせいだろうか?
この男は先程、大地の鍵を使おうとしていたのだ。
それは油揚げに変わってしまったが(本当に意味不明)、今もその気持ちが残っていてもおかしくはない。
幸い、狐面にも余裕はなさそうだ。剣を発動したい狐面と、発動を止めたい僕。どうやら助けは入らないらしい。僕は腹をくくった。
「ならば、力比べだ。本気でいかせてもらう」
「!?」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
全力で剣に力を込め、制御を試みる。剣が太陽のように光り輝き、闘技場の震えが増し、地面にヒビが入り、狐面が血を吐く。
まさしく地獄絵図だった。余りの光の眩しさに目を強く閉じる。
僕の中にあるのはただ負けるわけにはいかないという思いだった。
もう既に結界指はない。僕を守るものは何もない。逃げても無駄だ。ならば、突き進むしかない。
闘技場には《始まりの足跡》のメンバーだって大勢来ているのだ。宝具の制御で負けたらこれまで散々僕に宝具について教えてくれたマーチスさんや宝具の買取に付き合ってくれたティノにも申し訳が立たない。
「や、め――」
「ぐっ……なんて力だ」
剣から流れる力は微塵も低下する気配がなかった。それどころか、限界だと思っていたのに、更に上昇している。ちっぽけな剣から放たれているとは思えない恐ろしい力だ。
僕の制御を上回る宝具制御力とは、狐面愛好会――恐ろしい集団だ。
宝具を遊――扱っている時間だけは誰にも負けないと思っていたのに、世界は広い。上には上がいる。
狐面が再び吐血する。早く諦めて治療したほうがいいと思うよ。その失血量、多分僕だったらとっくに死んでいる。
そこまでしてもまだ宝具を使いたいのかッ! 君は一体、何なんだ!!
と、その時、ぴしりと手元で音がした。
「!?」
目を開ける。一瞬音が消える。
そして、僕の目の前で、強く握りしめていた『大地の鍵』が粉々に砕け散った。