軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

秘話3・継がれる願いは遠く③

倒れたヘンリーの容態はいっこうによくならず、街では同じ症状による死者が増えていった。使用人にも発症した人間が居た。

ある時、教会からお達しが届く。

『感染した者との接触は可能な限り避け、看病等でやむを得ず接近する際は、濡らした布などで口元を覆い、可能な限り呼吸は減らす事。また、当疫病に有効な薬が現在見つかっていない。薬と称して多額の対価を請求する詐欺に注意されたし』

まさに、教会総動員で、それを各所に言って回っていた。治安の悪い地域や、スラム、辺境の村などにおいては、冒険者に依頼してまでそのお触れを広めていた。

怖かった。

街で人々が死んでいる。じゃあもしかして、ヘンリーも死んじゃう?

そう考えると頭が真っ白になってしまうので、考えないように、考えないようにと、現実から目を逸らして、日々の仕事をこなした。そのせいだと思う。心を騙していたからか、その日々は、世界がモノクロだった。

教会の人が言うには、呼吸や咳で感染してしまうという。なら、呼吸は極力しないほうが良い? と思って、常に浅い呼吸を心掛けていたら、何度か、息苦しさに目眩がした。そんな日々だった。

そしてその日も、ヘンリーの看病を手伝おうと、ヘンリーの部屋の前まで来た時、その扉の前に立った時、その音は聞こえた。

「――――」

それは、室内から響く、咳だ。

でも、ごほ、とか、げほ、じゃない。およそ人の口から出て来たとは思えない、喉の奥から口元までをカマイタチで切り裂くような鋭い音と、どこを叩いたのか解らないけれど、どこか柔らかいものをぶん殴ったような衝撃音。それらが混じった、意味不明な音の咳が、ヘンリーの部屋の中から聞こえた。

扉に手をかける。ドアノブじゃない。扉に触れる。

痛そうな音。辛そうな音。聞いただけで痛くなるような、痛々しい音。

その発信源が、あのヘンリーから発せられたなんて、信じたくなかった。

喋る言葉も、行動も、全てが人のため。そのためならなんだってするような、そんな子が、鼓膜に触れるだけで胸が苦しくて、吐きたくなるような音を、何度も何度も、その身体から発している。

その事実を前に、私は、扉を開けることさえ出来ず、その場に跪いた。

「どうした」

ふと、落ち着いた声が私に声を掛ける。

見ると、そこには、お皿が乗ったお盆を大切そうに持つ、ハンスが居た。一瞬ハンスだと分からなかったのは、白い布を口元に巻いていたからだ。

事情を喋ろうとした。ヘンリーが大変、と。でも、苦しすぎて声が出なかった。この状況が嫌すぎて、何も言葉に出来なくて。

代わりに、ハンスが続きを喋った。

「……また酷くなってんな……くそ、喉、通るかね、これ……」

ハンスも、随分と滅入っているようだ。それはそうだろう。彼は、この数年で、ここ、ファラン家の料理長にまで上り詰めた。この疫病のせいではないが、割と軽くない事情があって、料理長になる候補が彼しか居なかったからだ。

私は、震える声を精一杯抑えながら、それでもどうしても震えてしまう声で聞いた。

「料理長が、こんな所で、なにしてるの? ファラン家の食卓の命綱でしょ」

すると、ハンスも、似たような喋り方で言う。

「そっちこそ、長男お付きのメイドが、なにしてんだ。長男に移しちまうぞ」

それは嫌だ。でも、それよりも、苦しみに直面しているヘンリーを、無視するほうがずっと辛かった。

「……それは?」

ハンスが持っているものは何かと聞く。

ハンスはどこか申し訳無さそうに、自分が持っているそれを見つめた。

「栄養食だよ。とりあえず、喉が痛くても喉を通る水みたいな状態だが、色んな野菜煮込んで、栄養ぶちこんだ。……文句言われたくねぇから、果物も一緒に入れて、出来るだけ甘くした」

「そっか。じゃあ、食べさせてあげないと」

「ああ。治るもんも治らん」

そうやり取りを交わしてから、私は、足りなかった勇気を奮い立たせるために、言い訳を考えた。

「お盆で手が塞がってるから、扉を開ける人、必要だよね」

即興の割には悪くない言い訳に、1人でこの場に来たはずのハンスが答える。

「ああ、協力が必要だ」

そう2人で言葉を交わして、頷き合ってから、私が扉を開けた。その間に、覚悟を決める。多分、その想いは、私とハンスで、一緒だった。

室内に入り、私が扉を閉める。

地獄のような咳を続けていたヘンリーが、咳をしながら視線だけでこちらを見る。

「おいおい、マジで痛そうな咳してんじゃねぇか。大丈夫か、血とか吐いてねぇか」

お盆を持ってヘンリーに近付きながら、ハンスが言う。

「奥様のヒステリーとどっちが音量大きかったかな。声の大きさはオース家の血筋の可能性出て来たかなこれ」

ハンスより先にヘンリーの元へ駆け寄りつつ、笑顔を絶やさず、ベッドまで来たら、すぐにその痛そうな胸元を優しく撫でた。

それから、

「血は出て無さそう。布団に血痕無し」

ハンスに報告すると、

「生真面目過ぎるファラン家のメイドが血が着くたびに変えてる可能性があるからな。洗い場を確認するまでは確定できん」

と、ハンスはわざとらしく目を細める。

「確かに。ヘンリー、喉から血とか出てないよね? 喉痛いなら喋らなくていいよ、出てないならそのまま何もしないで、出てるなら……なにしてもらう?」

「言い出したのフレイヤだろ。俺に無茶ぶりすんな。あとその場合、血が出てる場合のほうを何もしないほうにしろ。お前は病人に何をやらす気だったんだよ」

そのやり取りに、ヘンリーが笑った。

笑った、の、だと思う。空気が喉を空回りして、音は出ていなかった。ただ、息を漏らす音のリズムが、いつもの笑う時の音だった。

ヘンリーが笑ってくれたのを見て、胸にあった冷たさがひとつ無くなって、モノクロだった世界に、少し色が戻ったような気がした。

すかさず、ハンスが提案する。

「喉痛いだろうが、今、食えるか? 殆どスープだから、喉を通る負担は少ないだろうがよ」

気付かないうちに咳の頻度が減っていたヘンリーは、声にならない声でこう尋ねる。

「おあし……?」

力の籠らない声。力が籠らず、喉も痛く、言葉は不完全だった。それでも多分、ヘンリーの事だ。「お菓子?」と聞いたのだと思う。

ハンスは頷いた。

「目いっぱい甘くしたぜ。これから数日は、甘いの要らない! てなるくらい濃いスイーツだ。喉が痛い今のお前には、丁度いいだろ?」

その嘘に、ヘンリーは笑う。

「だえう……」

と。

多分、食べると言ったのだ。

それから、本当に辛そうな食事が始まって、ゆっくり、ゆっくりと、ヘンリーがそのご飯を咀嚼する。ハンスが零さないようにヘンリーにご飯を食べさせているので、その間、喋るのは私の役目だ。暗くならないように、用意していた楽しい話を、少し大げさにヘンリーに聞かせる。

スレイン様は剣術の才能がすごくあるみたいだ。

アルフレッド様は今、魔法に強い関心を持ち、勉強を始めた。

そしてとっておき。アルメル様、3歳にして読み書きが殆ど出来るようになって、習得は間近。やばいくらいの天才3人衆だと。

ヘンリーが幸せそうにニコニコ聞く。

ハンスが彼女に食事を与える。

私が諸々、楽しい話で、場を作る。

そうやって、しばらくの時間をかけて、ヘンリーがスープの一皿を飲み終える。

ふと、ヘンリーが言った。

「うあいとも、しおとあ?」

なんと失礼な。メイド及び料理長として仕事でここへ来た2人に、「2人とも、しごとは?」なんて、失礼な話だ。

……さぁ、どうでしょう。

そう答えるのが、今までの私達だ。でも、その言葉は、ヘンリーを喋らせないといけない。

喉が辛そうなヘンリーが喋らなくても良くて、いつも通りな雰囲気を演出できそうな言葉を探すものの、そう都合よくは見つからない。

決断したのはハンスだった。

「お前が連れて来た使用人が、真面目に働くとでも?」

いつものノリだ。

だから、放っておいたらヘンリーがツッコミを入れてしまう。

だから、私が笑いながら言った。

「一緒にしないで欲しいんですけど」

と。

そして、声にならない声で、ヘンリーも笑う。

そういう空虚な偽りのコメディーで、その食事会は終わった。

私とハンスは部屋から出て、歩いて、歩いて、そして歩いて、しばらく距離置いた後に、力尽きるようにして、その場に崩れる。

「なんで……?」呆然と、私は聞く。「なんであんなにいい子が、あんな辛そうな思いしなくちゃいけないの……? ヘンリーみたいな子が、子供達と一緒に居れなくて、メイドから子供達の話を聞かないといけないの!?」

そんな私の葛藤に、怒りに、同じ身であるはずのハンスは、涙を流した。

「ほんとだよ」ハンスにはしては珍しい、弱気な本音。「俺達に、何が出来る? 何をしてやれんだ、あいつに……」

そうやって、幼馴染2人で呆然として、呆然として、また呆然として、どれだけの時間が経ったかも分からないほど呆然とした後に、結論が出た。

結論なんて出すまでも無い。ただ、そう信じるべきだという 現(・) 実(・) 逃(・) 避(・) 。

それでも、今、私達が前に進むためには、必要な言葉だと思った。

それに、それこそが、あの子の……ヘンリーの願いだと、そう思ったから。

だから、私は言った。

「ヘンリーが元気になるまで、私達がヘンリーの子供達を支える。ヘンリーが元気になった時に、心置きなく子供達を抱きしめられるように、ちゃんと育てる」

それが、私の現実逃避。私の強がり。

「私がメイドとしてあの子達を育てるから、ハンスが料理長として、あの子達を育てる! 多分今、それ以外に、ヘンリーのために出来る事は無いよ」

それが、私達の願いだった。