軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

18 会議室①

脳内の警鐘は、まだ鳴り止まない。

――ナレ死するらしい十八歳の誕生日までに起きる、爆発的な感染症の流行。

もしそれが、もう始まりかけているのだとしたら。

(時期から見ても……東部でのこの流行が、いずれ国中に広がっていくんだ)

嫌な想像ほど、現実味を帯びて迫ってくる。

雨足もさらに強まり、屋根や壁、地面を叩く水の音が重なり合い、世界が雨に包み込まれていく。

「リリー、このままじゃお前も風邪を引く。早く離宮に戻ろう」

雨音に少し声を張り上げるようにして、ローラント兄様が呼びかけてくる。

その声に顔を上げた瞬間、ふと、ある記憶が脳裏をかすめた。

(……そういえば)

泉から流れ込んできた、あの声は何と言っていた?

『どうしてもっと早く薬を作れなかったんだ! そのせいで母上は……!』

最初に聴こえたときは、ただ怖くて言葉にならない痛みだけが残った。けれど。

わたしは濡れる睫毛を伏せ、静かに思考を巡らせる。あの言葉は、ただの罵倒ではなかった。

怒りと後悔、その奥に、確かな「事実」が含まれている。

――もっと早く薬を。

裏を返せば。

(原作のわたしも、治療薬に辿り着いていた)

どくん、と心臓が強く脈打つ。

雨音がざあざあと鼓膜を打ち、世界から他の音を奪っていく。

(間に合わなかっただけ。治療法そのものは、原作でも存在していた)

そしてそれは、離宮で学び薬草を育てたリリーベルの献身によるものだ。

あの環境下で懸命に特効薬を作り上げたというのに、間に合わなかったことを責められた。

(リリーベル。あなたは頑張っていたのに)

あの子の不憫さを思うと、目頭が熱くなった。

その後にアデリナと兄様たちの恋愛小説に繋がっていくということは、事態はリリーベルの薬で解決出来たということだろう。

激しい雨が地面を叩き、跳ね返る水が靴元を濡らす。まるで、この国全体が、何か大きなものに飲み込まれようとしているかのよう。

物事は結局原作のとおりに進んでしまっているのだろうか。そんな不安に襲われる。

「リリー、雨が止みそうにないから俺が運んで……」

ローラント兄様の声が聞こえる。

わたしはゆっくりと顔を上げた。

(そういうことなら)

わたしはバチンと自分の両頬を叩いた。その衝撃で目がチカチカする。

……だけど、目が冴えた。

「リリー!?」

突然のことにローラント兄様が目を見開いてしまっている。

わたしは土砂降りの空を見上げた。

原作通りに進んでいる?

だったら、今が分岐点だ。

今は東部で兆しが見え始めたばかり。

そしてわたしは、その治療法をすでに確立している。

じん、と頬が熱い。

(負けない、絶対に。この運命に……!)

胸の奥で、ぎらぎらと炎が燃え上がる。

原作に書かれた「間に合わなかった未来」を、今度こそねじ伏せる。

アデリナのお母さんも、マルグリット妃も、わたしも、死んだりなんかしない未来へ。

「兄様」

雨に濡れながら、わたしは真っ直ぐに前を見据えた。

「わたし、お父様のところに行きます」

そのまま、わたしはローラント兄様に半ば強引に離宮まで送られた。

雨に濡れたまま戻ったわたしを見て、ロザリナとベルネがほとんど同時に悲鳴を上げる。

「リリーベル様っ!?」

「まあまあまあ、なんてこと……!」

タオルを押し当てられ、外套を剥がされ、椅子に座らされる。

その手際の良さは、もはや職人芸だった。

「すぐに着替えを。温かい飲み物も用意します!」

「髪も乾かさないと!」

「大丈夫よ、そんなに心配しなくても」

わたしは濡れた髪を両手で挟んだ。

魔力を流し込み、頭の中で想像する。髪に伝う雨水を抽出するイメージだ。

スルスルと根元から毛先まで手を滑らせると、髪の毛から雨水が分離し、水玉が宙に浮いた。

「ほら、乾いたから大丈夫!」

ずっと水魔法を使っていたら、こうやって物質から水分を抜くことが出来るようになった。ちょっとドヤ顔なのは許してもらいたい。

同じように衣服からも雨水を抜き、じっとりと重くなっていたドレスも元に戻った。

「それでも、お身体は冷えていらっしゃいます。ベルネ、お茶を」

「はいはーい」

「ハイは一回です!」

ロザリナの早業であっという間に乾いた服へと着替えさせられる。それからベルネのお茶も。

身支度が整う頃には、身体の冷えも引いていた。

気合いを入れて離宮から出たら、なぜかそこにキース様が立っていた。

「キース様!」

「ローラント殿下より命を受けました」

「兄様が……?」

「“王子の命令だ。リリーベルが陛下の所に行くから同行しろ”と」

淡々と復唱しているけど、なんとも強引すぎる内容だ。

思わず苦笑してしまった。

「ローラント兄様ったら」

でも、正直ありがたかった。

一人で向かうより、ずっと心強い。

「どうして陛下のところに?」

キース様のその問いは尤もだ。今まで一番避けていて、顔を合わせるのも怖い人。

「お話したいことがあって……。門前払いされるかもなんですけど、粘ろうと思います!」

部屋の前で待たされる覚悟はできている。水魔法の練習でもして待っていようと決めた。

「話したいこと、ですか」

「はい。少し前に、文官が東部の感染症の話をしながら駆けて行くのを見ました」

「それは……」

キース様の表情が変わる。いや見た目にはほとんど変わっていないけれど、わたしには分かった。

何度か躊躇いがちに口を開けたあと、キース様はぽつりと零した。

「……現在、緊急会議が招集されています。陛下やルーク殿下、城に来ていた各大臣で」

「それはやはり、東部の件でしょうか?」

キース様はこくりと頷く。

思ったよりも対応が早い。それでも、あの時は防げなかった。

「急ぎましょう。どうしてもお父様にお伝えしないと。初動を逃したら、取り返しがつかないもの」

すでに歩き始めたわたしは、前を見たまま言った。キース様の歩調は、自然とわたしに合わせられている。

「……リリーベル様は、怖くないのですか」

隣から聞こえたのは、静かな問いだった。

少しだけ考えて、正直に答える。

「怖いです。でも」

怖くないはずが無い。病によって段々と死に向かう恐怖をわたしは知っている。

それに、そんな会議に集まる人たちは、お父様を始めとしてわたしに対して何の興味も関心もないだろう。

そこに足を踏み入れるかと思うと、今すぐにでも足がすくんでしまいそうだ。

「怖いから、逃げるのはやめました!」

逃げたって、どうせこわいままだ。

だったらぶつかっていこうと決めた。

わたしは笑顔を作って、キース様の方を見る。キース様の表情がわずかに和らいだ気がした。

「では」

やがて、低く告げられる。

「私もご一緒いたします」

その言葉からは義務の響きが感じられない。キース様が会議室まで一緒に来てくれるなら、心強いのも事実で。

「助かります! ありがとうございます」

わたしは嬉しくなってまた笑顔になった。

なんか頑張れそうな気がしてきた!うん!

そうしていると、会議室の扉が見えてくる。

重く、冷たい木製の扉。

この向こうに、お父様や大臣たちがいる。

ルーク兄様はびっくりするだろうか。

あの端正な顔が驚きの表情を浮かべる様子を思い浮かべて、わたしは一度深く息を吸う。

(負けない)

そして、扉へと手を伸ばした。