軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話 第一王子・ルークの独り言③

第一王子ルークは、今日も執務に邁進していた。

執務室には紙の擦れる音だけが響く。

王城での政務は山積みだ。外交文書、税収報告、軍備の調整、地方からの陳情などの進捗状況。一枚一枚に目を通し、指示を添えて脇へ置く。

王国の現状が、余すところなく突きつけられてくる。

「……集中が途切れてしまったな」

ルークは喉奥で渋い息を吐いた。視線を落とした文書の文字が、どうにも頭に入ってこない。

その隣に目を向ければ、妹のリリーベルがエーファと共に作ったという薬膳クッキーが綺麗に箱詰めされている。

丸や花形、小さな葉の形をした一口サイズで、色も複数ある。

赤は滋養強壮に良いとされる果実のペーストを混ぜた生地。

緑は小麦の代わりに栄養豊富な豆粉を使い、薬草を微量に配合したもの。

淡い黄は蜂蜜と根菜から抽出した甘味を使い、エネルギー補給に適したもの。

甘いだけではなく、それぞれに明確な効能があると説明が添えられている。

(見た目も工夫されているのに、身体に必要な成分がきちんと含まれているのか)

子どもでも食べやすいように配慮された形状と味付け。

こっそり行っているらしい孤児院への提供や、自らの薬草園で育てた原料を使っての試作――懇意にしている侯爵令嬢エーファとの丹念な試行錯誤の結果だそうだ。

大人にも「美容に良い」と評判で、王都の菓子店が試験販売を始めたところという報告もある。

(薬草を贅沢品から手軽なものへ、か。リリーらしい発想だ)

王族であるより前に、国に生きる一人の人間として。

誰かを救いたいという気持ちが、彼女の行動原理なのだ。

政務に追われ、貴族らの思惑に絡め取られていく日々の中で、

その真っ直ぐさは、眩しいほどだった。

妹の様子が大きく変化してから一年と半年あまり。初めは彼女の変わりように警戒していたが、リリーベルはいつだって真っ直ぐだった。

ルークの体調不良にも即座に気がつき、滋養のある食事を勧めてくる。

菓子を与えれば、戸惑いながらも頬袋をいっぱいにする小動物のようで愛らしい……とまで考えたところでルークは首を振った。

いつの間にか思考が遠くにいってしまっていたようだ。

気を取り直して別の書類を確認することにする。そこに気になる一文が記されている。

「染料の輸入量が伸びている……か」

最近、南部の方で発見されたらしい新たな染料は、色の発色が素晴らしく、先日の夜会でも話題になっていたようだった。そのせいかもしれない。

マルグリット妃の友人として名を連ねる夫人たちは皆有力な貴族ばかり。彼女たちは中立派であり、政争には強く関わらないことで知られている。

そんな彼女たちとリリーベルが夜会で接触していた時の様子を遠くで見ていたが、リリーベルは持ち前の努力の成果を発揮したように見える。

(リリーベルの価値に気づく者は多いだろう。教師陣も舌を巻いているし、騎士団にも支持者が増えている)

そう考えながら、ルークは目を伏せた。

力ある者は、欲望に忠実だ。父王も例外ではない。そして、隣国の王も。

「……父上のお考えには賛同できない」

その言葉を吐き出した直後。

扉が二度、控えめに叩かれた。

声をかけると、音を立てず入室してきた影がひとつ。キースだ。

(おやまあ、なんて顔をしているんだか)

普段から感情を読み取りづらい男だが、今日の彼はひと目でわかるほど沈んでいた。暗い、という表現では足りない。

全身から夜霧のような闇魔力がじわじわと漏れ出している。

「……報告書をお持ちしました」

声は淡々としているが、どこか壊滅的に生気がない。

影となって床を這う黒い魔力が、書棚の本を揺らし始めている。

「キース。魔法は引っ込めなさい」

「……失礼しました」

(明らかに大丈夫ではない)

友の様子にルークは内心でため息をつく。

キースの闇魔法は、通常は緻密な制御下にある。それが漏れるということは感情が揺れている証拠。

「こちら、南部からの最新の輸送報告と、染料市場の変動に関する調査結果です」

キースが書類を差し出す。早速ルークが気になる二点について追加で資料を用意する手管は流石ではあるが。視線はどこか虚ろで、焦点が合っていない。

「キース、徹夜続きか?」

「…………いえ。睡眠は十分にとっています」

長めの沈黙のあと、キースはぽつりとそう漏らした。

(それでこの状態なら、むしろ深刻だな)

ルークがじっとキースを見つめていると、彼の視線は薬膳クッキー缶へと吸い寄せられている。

「ああ、このクッキーはリリーからもらったんだ。疲れているだろうからと」

「……」

「キースはもらっていないのか? エーファ嬢との共作と聞いたが」

本当は、ルークにこれを届けにきたのはリリーベルではなくエーファ嬢だったが、まあそれは伝えなくてもいいだろう。

普段なら冷静にさらりとかわしているだろうキースが、ルークの放ったその一言で動かなくなってしまった。かわいそうだ。

キースの様子をひとしきり観察したあと、

ルークはあえて何でもない顔を作り、軽く肩をすくめた。

「糖分不足だな。食べていけ」

机に置いていた薬膳クッキー缶を、ことりと彼の前へ押し出す。

「いえ、職務中ですので」

断るキースに、ルークはにやりと片端だけ笑う。

「……リリーが作ったから欲しいのだろう?」

淡々としていたキースが、ぴたりと固まる。

そして耳先がほんのわずかに赤く染まった。

「ですが、私は受け取っていないので――」

「はいはい。言い訳はいいから食べるんだ」

ルークは頑固な友人の口に薬膳クッキーをひとかけら押し込んだ。

噛み締めるたびに、キースの纏う闇魔力が少しずつ落ち着いていくのがわかる。

「……美味しいです」

「だろう」

素直すぎる感想にルークが鼻で笑うと、キースは急いで表情を引き締め、わざとらしく咳払いした。

しかし、再び沈黙。目の下の隈は隠せず、視線はぼんやりと窓の外へと向かう。あちらはリリーベルの離宮の方向だ。

(やれやれ……)

満を持してリリーベルとキースの婚約話を進めた筈が、なぜか知らないが侯爵側からも父上からもそれを渋るような返答が届いた。

そしてあの隣国王や王女の態度。ルークの知らないところで何かことが動いているのは明白だ。

何かの陰謀に巻き込まれたと察したルークは、キースと共に二つの動向を探ることにしたわけだが。

そのせいでお互い忙殺された上に、夜会でのエスコートも適わなかったキースの落ち込みようといったらなかった。

アーデルハイド殿下にぎゅうぎゅうと抱きつかれても全く感情を動かさなかった男が、クッキーひとつでこんなにも感情を露わにしている。

そう思った瞬間、机の上の書類がふよふよと浮き上がった。

「キース、また闇魔法が漏れているぞ」

「……っ」

キースが慌てて魔力を抑え込む。だが肩は震え、額にはわずかに汗が滲んでいる。ルークはその様子を見て、ふっと笑った。

(人間味があってよろしい)

以前は感情的な部分を全て置いてきたのかと思われた青年が、妹の前ではただの不器用な男になる。それを面白がる自分にも少し驚いた。

「キース」

「はい」

「……お前は、リリーを守るつもりがあるのだよね?」

「あります」

強く、迷いのない声音。

即答すぎて、逆に必死さが染み出ている。

「王家の意向は聞いているな」

「はい。時期尚早、だと」

キースの唇が、悔しげに引き結ばれる。

父王が婚約を保留した理由は、力のある者たちを牽制するための、ただの外交カードだ。リリーベルを政略結婚の駒にしようとしていたのは以前からそうだが、ここに来てあの侵略国家とのつながりを匂わせてきた。

「父上がどうであれ、僕はリリーの意思を尊重するつもりだよ。そのためならどんな手段も辞さない」

「ルーク、不用意な発言は良くない」

ルークの軽く放った言葉に、キースの視線が鋭く向けられた。友人としての言葉だ。

琥珀色の瞳が細く絞られ、あからさまに警戒の色が浮かぶ。

だがルークは肩をすくめるだけだった。

「ああ、ごめんごめん。つい、ね。キースの方は順調かい?」

「いえ。父の動きを探っているところです」

「侯爵も叩けば色々出てきそうだけどね~。たとえば、エーファ嬢と僕が婚約したら何か分かるだろうか」

冗談めかした声音。

しかし次の瞬間、どろりと冷たい闇が空間に溢れ出した。

ルークは薄く笑った。目の前の男がどれほど真剣か、よくわかるからだ。

「エーファ嬢を蔑ろにするつもりはないさ。彼女はリリーの良き友人だし、話してみるとなんだか面白いしね」

その一言で、キースの魔力がふっと静まった。

闇の気配が霧散し、室内の温度が平常に戻る。

「失礼いたしました」

深く頭を下げるキース。

その仕草に、先ほどまでの魔力が嘘のように消えていた。

ルークは肘を机につき、軽く笑みを浮かべる。

「そんなに根を詰めずに、リリーに会いに行ったらどうだい」

「……リリーベル様は、今はお忙しいでしょう」

「城内の噂になるほどだ。リリーの耳にも入っているだろうね」

キースの肩がびくりとわずかに揺れる。

それに、とルークはわざと軽く付け加えた。

「君がぐずぐずしている間に、別の誰かに奪われたら困るだろう? ローラントの騎士団では随分な人気だ」

キースの睫毛が、ぴくりと跳ねた。

「……それは、困ります」

はっきりとした声。その奥には、抑えきれない焦燥が揺れている。

(やっぱり。素直でよろしい)

ルークは満足げに目を細めた。

夜会での隣国王の動きはやはりおかしかった。警戒してローラントをつかわせた甲斐があった。そのことが伝わったのか、キースの眉間にぴしりと深い皺が刻まれた。

覇気が戻ってなによりだ。

「所用がありますので、今日のところはこれで退室いたします」

「クッキーの礼も伝えておいてくれ。美味しかったと」

「……」

闇を抱えた青年は深く一礼し、音もなく立ち去っていった。

扉が閉まると、部屋の空気がすっと軽くなる。

「まったく……」

ルークは薬膳クッキーをひとつつまみ、ゆっくりと噛み締める。口の中でほろりとほどけるこれは、説明によればローヴァ豆を粉にしたものだそうだ。

ローラントが喜ぶあの豆だ。

(リリーには、笑っていてほしいものだな)

世界は、あまりにも思惑で満ちている。

父の企みも、隣国の狙いも。それから貴族の野心も。

ルークは友人の行き先に心当たりがありつつも、その成功を願うのだった。