軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

11  翡翠色のドレス①

(まだこの前の夜会のことでもちきりみたいね……)

わたしはうんざりしながら城内を移動する。

隣国エーデルラントと婚姻により縁を繋ぐ――そんな噂が、ここ最近の王宮で飛び交っている。

そして、それはあの日仲睦まじそうに夜会に出席していたヴィンターハルター侯爵子息と王女アーデルハイドのものである、と。

今日も図書室に行くまでの間にヒソヒソとした声が聞こえたが、全力で無視した。わたしに当てつけのように言っていることは確かだったから。

(そういう嫌がらせの相手をしている暇はないものね、うん!)

人の口に戸は立てられない。そうわかっていても、胸の奥は落ち着かなかった。

もしかしたら、小説世界のリリーベルも、こんな風に噂に悩まされていたのかもしれない。キース様に随分傾倒していたように見えた。

(考えていても仕方ないわ。歩いて気持ちを切り替えましょう)

モヤモヤを追い払うみたいに、わたしは庭園を歩いていた。

花の香りが風に乗って流れてくる。小さな芽が顔を出していて、じっと見つめていると、それだけで心が少し軽くなる。

そんなとき、隣接する庭園から話し声が聞こえてきた。

「ローラント。最近リリーベル殿下の噂をよく耳にしますわね」

穏やかながら芯のある声は、第二妃マルグリット様だ。

そっと生け垣の陰からのぞくと、散歩の途中なのか、鮮やかな翡翠色のドレス姿のマルグリット様と、その隣を歩くローラント兄様の姿が見えた。

「リリーの?」

「ええ。薬草園のこと、騎士団の回復薬のこと、それからそうね……隣国との婚姻の噂もあるわね」

兄様が、わずかに眉をひそめたのが遠目にもわかる。

「噂は噂でしょう。まあでも、薬草園や騎士団のことについては事実ですが」

「ふふ、そうね。あの子は随分と面白い研究をしているみたいだもの。クッキー缶もとてもかわいらしかったわね」

マルグリット妃が柔らかく微笑む。

どうしよう、わたしの話だ。

盗み聞きし続けるのは良くないし、かといっていきなり大声で「こんにちは!」と飛び出すのも不自然すぎる。

(帰るなら今しかないわ……!)

葛藤のあまり身じろぎした、その瞬間。

――パキッ。

生け垣の枝を踏んでしまった。王道の失敗をやらかした。

「……誰だ?」

ローラント兄様の声が鋭く響く。ああ、絶対聞こえた。

「……あ、あの……わ、わたしです……! ごめんなさい!」

生け垣の影からへらりと笑って顔を出すと、ローラント兄様もマルグリット妃も一瞬だけ驚いたように目を瞬かせる。そして次の瞬間には、ほっとしたように表情を緩めていた。

「リリー? なんだ、またウロウロしてるのか」

「ふふふ、よくお会いするわね」

「も、申し訳ありません! その……散歩をしていまして」

一人になりたくて歩いていたら、なぜか庭園の奥へ誘われてしまう。

また考え事に夢中になるあまり、垣根を越えそうになっていたようだ。

マルグリット妃が、扇を口元へあてながら柔らかく笑う。

「気にしなくていいのよ。考え事をしたいときは、誰だってありますもの」

その声は優しいのに、どこか疲れているようにも聞こえた。

(……あれ?)

マルグリット妃殿下の頬が心なしか青ざめて見える。

先日の夜会ではとても元気そうだったのに。

小麦アレルギーも、治療の成果で寛解したはず。

離宮での食事管理はしっかりしているし、最近は体調も良いと伺っていた。

(気のせい……じゃないような)

目を凝らすと、いつもの柔らかな翠色よりも深い、鮮やかな翡翠色のドレスが彼女の肌の白さを際立たせている。

「マルグリット様。そのドレス、とても美しい色味ですね」

「ありがとう。わたくしも緑色は好きだから、気に入っているのよ」

妃は確かにいつも緑色系のドレスを身に纏っている。

きっと顔色が悪いのは何か今日お体の具合が悪いだけなのだろう。そう思うのに、どうしても不安な気持ちが拭えない。

「ほら。リリーも夜会で言っていただろう、新しい染料の話を。俺は詳しくわからないが、あれがこれらしい」

ローラント兄様らしい、ざっくりとした説明だ。

そう思うと共に、なにかが引っかかった。

(本当に……鮮やかな緑色だ)

陽光の下、マルグリット妃のドレスは瑞々しい草原のように輝いている。青とも黄とも違う、深くもあり鮮やかな翡翠色。

ミルデンブルクで新たに見つかったと言われる鉱石である 孔雀石(マラカイト) 由来のこの染料が貴族の間で話題になるのも頷ける。

(なんだろう。こんな鮮やかなドレスを何かで見たような……)

わたしはそのドレスを見つめながら、なにか引っかかるような気がした。

この色、どこかで見たことがある。ううん、本で読んだ話だったかもしれない。

前世のわたしの雑学知識は、小説を読むことによって培われていたんだもの。粉塵爆発とか蠱毒とか、毒は銀食器に反応するとか!

「確か、ミルデンブルクでは 孔雀石(マラカイト) が見つかったのでしたよね」

わたしはぐるぐると頭を回転させながら、マルグリット妃に話しかける。

「ええ、そうなの。この翡翠染の織物には今注文が殺到しているそうよ。品薄なのですって」

「そうなのですね。さすがマルグリット様です」

「ふふふ。ヴィンターハルター卿に我が国の産業発展のためぜひにと言われたのだけど、思い切っていただいて受け取ってみて良かったわ」

ヴィンターハルター侯爵の名前が出て、思わずぴくりと反応してしまった。

有力貴族が妃に贈り物をする。特に目立つ行為ではないはずだ。

第一妃がいない今、この王国の妃はマルグリット様だけなのだから。

(……それにしても)

視線が、やっぱりどうしてもあの鮮やかすぎる緑に引き寄せられる。

――鮮やかな緑のドレスに毒が潜む。

そんな記述がどこかにあったのではないだろうか。

(もしわたしの知らないところで、また未来の悲劇が動き始めていたら)

「――っ、あの」

思わず声が震えた。

マルグリット妃とローラント兄様が不思議そうにこちらを見る。

「申し訳ありません、急用を思い出しました。確認しておきたいことがありまして!」

「まあ、そう。気をつけて戻るのよ」

「転ぶなよ、リリー」

「はいっ!」

慌ててスカートをつまみ、ぺこりと頭を下げると、わたしはその場から駆け出していた。

背後でマルグリット妃が小さく笑った気がする。ローラントお兄様はもしかしたら呆れているかもしれない。

(はやく確かめないと……!)

鼓動が早まり、足が勝手に前に進む。

暖かな日差しの庭園が揺らぎ、ひとつの不安が、脳裏を支配していった。