軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37 正ヒロインを探せ③

「……ふふっ」

「楽しそうでしたね、リリーベル様」

思わず漏れた笑い声に、キース様がふと目を細める。

どこか、やわらかい響きがあって、思わず顔が熱くなる。

(いけない……なんで、ちょっとだけドキッとしてるの)

そんなことを考えながら歩いていると、通りの向こうに小さな露店が見えた。

「あれは何かしら?」

「宝飾細工の露天商のようですね。許可のある者であれば、王都でも営業が許されているようです」

キース様が言うと、店先には色とりどりの石が並んでいるのが見えた。

その中でひときわ目を引いたのは、光を受けてきらきらと輝く淡いピンクの石。

夢で見た、泉の水面に浮かんでいた花にどこか似ている――そんな色合いだった。

わたしが思わず足を止めたのに気づいて、キース様が言った。

「何か気になるものが?」

「あ……いえ、見ていただけで……」

言いかけたところで、キース様が店先へ向かい、淡いピンクの石のペンダントを手に取った。

「この色、リリーベル様の髪の色に似ていますね」

小さく呟いたキース様が、店主と短く言葉を交わすと、何の迷いもなくそれを購入してしまった。

「どうぞ、リリーベル様」

「えっ……あっ、ありがとうございます……!」

差し出されたペンダントを、わたしは受け取るか迷って――けれど、指が自然とそれに伸びていた。

「どういたしまして」

淡く笑ったキース様を見て、わたしは目を逸らさざるを得なかった。

これは、ずるい。ずるすぎる。

ペンダントを受け取って、ぎゅうと抱きしめる。

胸が少しだけ熱くなるのを感じながら、わたしは小さく頷いた。

「……大切にしますね、キース様」

わたしがそっと頭を下げると、キース様は「気に入っていただけたなら幸いです」と、相変わらず穏やかな声で応えてくれた。

けれど、わたしの視線がペンダントに再び落ちたのを見て、彼はふと立ち止まり、わたしの顔を少しだけ覗き込む。

「……リリーベル様」

「はい?」

「あなたは、とても不思議な方ですね」

その言葉に、思わずまばたきをした。

「王族や貴族は、誰しもが利益や立場を見て動くものです。ですが、あなたは違うように見える」

「……わたしは……」

言いかけて、やめた。

(だってそれは、違うわたしだから。……前のリリーベルじゃない、転生してきた、別の人間だから)

言えるはずもなくて、代わりに、微笑んだ。

「わたしはただ……少しでも誰かの力になれたら嬉しいだけなのです。それに、わたしも長生きしたいですし!」

キース様は目を伏せ、ほんの一瞬だけその金の瞳に翳りを見せた。

でもすぐに、また静かな表情に戻る。

「……なるほど。これからも何かあれば、協力させていただければと思います」

その言葉に、わたしの胸の奥がほんの少し、あたたかくなった。

「はい。よろしくお願いいたします、キース様」

再び頭を下げて、そっとペンダントを握りしめる。

――今はまだ、信じすぎない。けれど、彼のその優しさにすこしだけ、心を預けてもいいのかもしれない。

そう思いながら、わたしたちは王宮へと続く道を並んで歩き出した。

その時だった。

「まあまあ……これは、これは」

皮肉げな、乾いた声が耳に飛び込んできた。

「お姫様がこんな場所をお歩きになるなんて。どうしたのかしら、迷子? それとも、平民の真似事? やっと本来の身分をおわかりになったのかしら」

背筋が冷たくなるような声音に、思わず足が止まった。

「……エマ」

ゆっくりと振り返る。そこにいたのはかつてわたしに仕えていた侍女、エマだった。

以前のような艶やかで高価なドレスは身にまとっていない。

代わりに、裾の擦れた質素な服。化粧もなく、表情には疲れが滲んでいる。

だけど、目だけは――昔よりもずっと、鋭く、黒く濁っていた。

「リリーベル様ったら平民の真似事がよくお似合いで。あなた、実は王族じゃないんですものね?」

「何を……!」

突然の言葉に、心臓がわしづかみされたようにぎゅっと縮こまる。

反論しようとすると、頭が強く痛んだ。そうしてわたしが答えられずにいると、エマはにやりと笑い、わたしを値踏みするように見下ろす。

「ヴィンターハルター侯爵がそう言っていたのを、この耳で聞いたのよ。『王女は、王の子ではないかもしれない』って。王妃に仕えていた赤髪の護衛騎士がその後姿を消したのを、姫はご存じかしら? 桃色なんて髪色、金髪の王と銀髪の王妃からは生まれないわ」

エマから発せられる言葉には、悪意がこれでもかと塗り込められている。耳を貸してはいけないと思うほどに、わたしの胸が冷たいもので満たされていく。

ずっと、ぼんやりと感じていた腫れ物のような扱い。王宮での冷遇。人々の目。それらが一気に、意味を持ってつながった気がした。

「妃殿下は王に不貞が露見して落ち込んで病気になっちゃうし。そんな子の世話なんて、ばかばかしくてやってられなかったのよ。誰も相手にしないのに、私が侍女ですって? ……冗談じゃないわ!」

調子づいてきたエマの声が、徐々に荒くなる。

「だから私、気づいたの。あなたなんて、ただの王族のフリをした娘。だったら私だって、フリをやめてやるって思ったのよ。ねえ、あの頃あなた、なにかおかしいって感じてたでしょう? 」

リリーベルが見た風景が、まぶたの裏に浮かぶ。侍女たちが去っても誰も呼びに来なかった日々。冷えきった食卓。孤独な寝室。

彼女が耐えてきた世界。彼女が思い出したくなくて、記憶の奥底に閉じ込めていた事実。

頭痛はさっきよりはひどくない。これまでの違和感が全てつながって、わたしは安堵すらした。

「ふふっ」

エマが、キース様を見やって醜く笑う。

「侯爵子息も、こんな偽物王女と一緒にいてもいいことはありませんわよ? あははははは!」

喉の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚。

思わず一歩後ろに下がると、キース様が静かに、だがはっきりと前に出た。

「……口を慎め。王族への侮辱は、重大な罪となる。王宮から放逐されるだけでは足りなかったようだな」

低く抑えられた声。それだけで、エマはびくりと肩をすくめた。

けれど、捨て台詞のように吐き捨てる。

「なにが王族よ。偽物の姫君が、偉そうに男なんて連れて……!」

「リリーベル様は偽物ではない。殿下を侮辱するなど汚らわしい」

キース様の言葉を聞きながら、わたしはその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。まだ混乱している。

冷遇されてきた理由をずっと知りたかった。皆に大切にされない姫。会ってくれない両親。ニセモノだと侮辱されて、言い返せずに立っている。

じわりと目頭が熱くなる。

自分の感情で泣いているのか、リリーベルの記憶がそうさせるのか分からない。

(……だめだ。泣いちゃ、だめ)

わたしはそう自分に言い聞かせると、真っ直ぐにエマを見据えた。

リリーベルをずっと苛めていたこの人を、許すわけにはいかない。

「エマ。あなたには随分と世話になったわね。お母様を侮辱したことは、絶対に許さないわ」

これは怒りだ。リリーベルのことを……お母様のことを誰も信じてくれなかったことに対する、怒り。

「な、な……! フン! せいぜいお姫様ごっこでもやってな!」

エマはそう吐き捨てると、踵を返して人混みの中へと姿を消していった。

わたしの肩に、そっと手が置かれる。

キース様は、何も言わずに隣に立っている。そして、ちらりと視線を斜め後方に向けると、わずかに指を動かした。

その瞬間、周囲の空気が変わった。人混みに紛れていた数人の騎士たちが、音もなく動き出す。黒衣に身を包んだ影が、流れるように雑踏の中へ溶けていった。その先には――わたしたちを罵倒した、元侍女のエマがいるはずだ。

(捕まえにいったんだ……)

そう思ったとき、ぐらついていた心がようやく地に足をつけたような気がした。深く息を吸い込み、押し寄せる記憶の渦に必死に抗いながら、わたしは震える声を押し出した。

「髪や瞳の色だけで、親子の関係を断定するのは誤りです。外見に現れない遺伝子も多く存在します。隔世遺伝だってあります」

キース様がわずかに目を見開く。わたしは、まだ確かに前世の記憶と知識を持っている。それが、今のわたしの拠り所だった。口に出すことで、ようやく自分を取り戻せた気がした。

思い出すのはお母さまのやつれた儚い横顔。夫に不貞を疑われて、無念だったと思う。わたしが落ち込んでしまっては、お母さまのためにならない。わたしはわたしを信じると、決めた。

「リリーベル様。あなたが王の子であることは間違いないと思います。ああした悪意のある噂があるのは事実ですが……あとで父にも確認します」

キース様の声は静かだったけれど、その瞳には深い影が差していた。かつて見たことのないような、苦悩に満ちた表情。

(……どうして、あなたがそんな顔をするの?)

問いかけたいのに、声にならなかった。

わたしのことなんて、ただの駒と思っているはずなのに。

それでも、キース様はわたしに寄り添おうとしてくれているんじゃないかと思ってしまう。それが痛いほど伝わってくるからこそ、今の彼の表情が、どうしようもなく胸に刺さった。

涙は、流さない。

これ以上、誰かの前で弱いところを見せたくなかった。

「わたしは、大丈夫です。お父さまには嫌われているみたいですが、わたしはわたしで勝手に生きますので!」

少し上を向いて、無理やり口元に笑みを作る。震えそうになる声を押しとどめるように、拳をぎゅっと握った。わたしのこの命は、一度失ったはずのもの。今度こそ、誰のためでもなく、自分自身のために生き抜くと決めたのだ。

だから――もう、泣かない。

誰にも認められなくても、わたしだけは、自分を信じてあげる。

わたしの決意に、キース様はほんの少しだけ目を伏せた。

その横顔に、またあの、痛みを抱えたような影が落ちる。

「……あなたには、幸せであってほしい」

ぽつりと、まるで祈るように告げられたその言葉は、ひどく静かで――なのに、胸の奥を深く揺さぶった。

でも、わたしはあえて明るく笑ってみせる。

「はい、もちろんです!」

絶対に、負けてなんかやらない。

わたしの返事に、キース様は少しだけ目を見開く。

けれど次の瞬間には、いつもの穏やかな微笑みが戻っていた。

エマの声も、視線も、嘲りも。全部、まだ胸の奥に棘のように残っている。

歩幅を合わせてくれるキース様の気配を感じながら、わたしは黙って歩き続けた。

***

あれから、キース様の手配によって、エマはすぐに捕らえられた。

そしてわずか一日後には、王城から処分の通達が下された。

前回は王妃の侍女だったという温情から王から減刑が図られたらしいけれど、今回はルーク兄様がそれを許さなかった。

『長く苦難を味わうべきだろう』として、二十年の苦役刑が科せられた。炭鉱などで重労働をするその刑は、三年も経たずに身を壊すものらしい。

キース様が「もう心配ありません」と告げた時、わたしはようやく息をついた。

リリーベルの長い長い不遇の時間にひとつ区切りがついたのだと感じた。