作品タイトル不明
289話 ミレニアム・プロジェクト その4
エルフの里へウィルパパ一行を送り届けた後は、また帝都でしばし治療を行い、午後にはエルフの里である。オーグレン氏は俺が治療している間に、ティリカも連れてリシュラ王国へと一旦戻ったようだ。
真偽官の施術法の本をいつまでも抱えてうろうろしたくはなかったのと、もう少し詳しい事情聴取を行うようだ。ティリカも時折報告はしていたようだが、それはあくまで表向きの話。オーグレン氏に知れた以上もう隠すのは難しいし、真偽院ももろもろの事情を把握しておくべきだろう。
「今日は医学とそれに関連する話をしよう」
エルフの里で聴衆を前に自信ありげにそう話し出す。旗振り役の俺が確信を持たねば、誰が付いてくるというのか。
正直ここからの展開はいまひとつ予想がつかなくて不安しかない。
俺の話した、ごくごく大雑把な知識のみでどこまで技術が再現できるのか? レンズは運が良かったにすぎない。もちろんいくつかの簡単なものはすぐにでも作れるだろうが、それで宇宙へといけるのか? 魔物の勢力を押し返すことができるのか。
そう思ったとしても集った頭の良さそうな人を前に、不安とか弱音が吐けるわけもない。
幸いにして俺が難しい顔をしていても、何か難しいことを考えているのだとでも思ってくれているようだ。
「そもそも俺たちの体は何で出来ているのか?」
イオンが神国から医療部門を担当してくれる人員を連れ来てくれたので、そっち方面を話すことにしたのだ。もちろん皇帝陛下も来ていてお忍びの格好のまま、最前列に陣取っている。
「まずは水が七割くらい。そしてタンパク質、脂肪、炭水化物が主要な構成要素で、そこにビタミン、塩、カルシウム、鉄分といった各種ミネラルが――」
それぞれにどのような役割があるのか。不足するとどうなるか。どの食品がどの栄養素に対応するのか。
「――といった感じで、脂肪や炭水化物のみの食事をエネルギーにして一時的に体が動かせても、他の栄養素が不足するにつれて体に不具合が発生、つまりは病になる」
まあこの世界、肉がかなり流通してるし、航海もしないからさほど問題にはなってないようだ。一応過剰に摂取した場合も話しておく。成人病や糖尿病だな。
「健康や長生きのためにはバランスの取れた食事が必要だ。しかし現実問題として食料は不足している。では食料の増産について次は話そう。つまりは農業だ」
そう言って一息つく。
「農業とは植物の育成だ。そして植物も俺たちと似て種から、赤ん坊の状態から成長し、大人になる。呼吸もするし、栄養も摂取する」
太陽から光合成をし、土から栄養分を補充する。あとは水と気温と必要な物の説明をする。
「水は工夫でどうにかできるが、気温や太陽は天候でどうしようもないから、俺たちの手でできること、植物の栄養素に手を加えるんだ」
連作による栄養素の不足。あるいは雑草や、植え方によっては作物同士で栄養素を取り合うことにもなる。
「つまり十分な栄養を与えて、理想的な環境で育てれば立派な作物が育つ。その栄養素というのは特定の物質だ。たとえばある地域では水も太陽も十分なのに植物が育たない。あるいは育ちが悪かったりする。これは土の中に、成長に必要な特定の物質が足りないことが原因であることが多い。それは物質への理解が進めば、調べればわかるようになるし、足りない分をこちらで用意してやれば、どの土地でも十分な食料が生産できるようになる」
コストの問題で育つ土地で育てたほうが楽なのではあるが、もしほんの少し足すことで育成を援助できるなら、やる価値は高いと話す。
「それに加えてさらに食料生産を増やす方法がある。品種改良だ。理想的な環境で立派な作物ができた。しかしそれでも出来の差というものは存在する。個体差だな。より大きい実だったり味の良さだったり。あるいは不作や病気の中でもしぶとく実をつける作物。そういった優秀な作物の種を選別して育てる」
品種改良の基本的な考えを説明していく。
「なぜそのようなことが起こるのか。それは遺伝子が親から子へと引き継がれるからだ」
そこで遺伝子、DNAという概念に話を広げていく。
「植物も俺たちもDNAという設計図を体内に持っている。こいつのお陰で赤ん坊はちゃんと大人に成長するし、植物は種から同じ作物ができる。ああ、今はそういうものがあるんだってことだけ覚えておいてくれればいい。物質の話をもっと掘り下げないと理解は難しいんだ」
結局のところそこに行き着く。原子や分子のことを解明していくことはどうしたって必要だ。
それから体のこと。各臓器の働き。そこが不具合を起こせば何が起こるか、知る限りを話していく。
そして思いつく病気やその原因に関しても。
「生まれた時からある病というのは、この設計図が何らかの理由で壊れていることが多いんだ」
体の機能に関してはまったく無知ということもなく、病気の原因に関しても、なるほどと納得できる事がいくつもあるようだ。
午後いっぱいをかけて、体の機能や病気について話し終えた。むろん抜けはたくさんあるし、間違いもあるかもしれない。
「何度か言っているが、ここまでした話は概ね正確ではあるが、あまり信用しすぎないように。明確な間違いはないはずだが、俺がこのことを学んだのは何年も前で記憶があやふやな部分もある。それに俺はそもそも専門家じゃないからな」
「それにしては知識は膨大だし、誰も知らないようなことばかりだな」
前で話を聞いていた皇帝陛下がそんな事を言う。
「少し俺の知識の背景も話しておこうか」
じゃないと色々と誤解を生むかもしれない。
「俺は神様の手により別の世界から来た。神官なら人族がそれぞれ別の世界から連れてこられた話は聞いたことがあるだろう? 使徒もそうだな」
俺の話に何人かが頷く。
「俺の世界には魔法がなくてな。だからそれに代わる手段が開発された。それがこの膨大な知識だ。回復魔法がない世界だ。それに代わる手段が必要だった。
いくつもの国と人々が一〇〇〇年以上の時間をかけて作り上げた多岐にわたる知識だ。そしてそれを学ぶための学校もたくさんあって、俺は十八歳までそこで学習をしていた。俺の国では十五才までは全員が学校に通って、大抵の者はもう三年追加して十八まで学んで社会に出るか、さらなる高等教育を受けて専門家になるかを選ぶんだ。俺はその高等教育を受けようと考えたんだが、あまり優秀じゃなかったようで、試験に通らなかった」
あそこで入試に通っていたら、もしくは浪人一年目を真面目に過ごして合格していたら……誰か他の者が俺の役割を果たしていたのだろうか?
嫁たちと出会えない人生なんて考えたくもないな。ちゃんと合格圏内だったのに落ちたのも、滑り止めもインフルエンザで受けられもしなかったのも、きっとそういう運命だったのだ。
「まあそういうわけで俺は優秀だとは言い難かったし、その知識は広くはあっても浅いんだ」
マンガとかから得た知識も多い。
「とはいえ実証された知識ばかりだから、諸君にはそれを再発見してもらうことになる」
先駆者ではないのは大変申し訳無いが、まあ状況が状況だ。
「とりあえず一旦休憩にしよう」
ここまでですでに日没。夕食の時間である。
「あの、質問なのですが……」
「質問に答えるのは明日にする。今日はまだ俺の話を聞いていてくれ」
まだ話すべきことは多いが、主だった事は基本的なことだけではあるが話したはずだ。宇宙、物質、交通、通信、動力、電気、医療、食料増産。まだまだ話していないことも多いが、そろそろ質問がしたいだろう。まあ答えられるとは限らないのであるが。
夜は物理学と数学の話のとっかかりだな。これも基礎となる話だし、誰か多少なりとも研究をしている人間がいれば助かるんだが。
それから印刷とポンプの話。こっちを先にやるか?
あと食事の前にレンズの進捗……は何か進展があればイオンが教えてくれるか。任せておこう。
それで磁石が手に入ったら発電機とモーターの試作品を作って、あとは電波の実験だな。
「植物の品種改良の話は面白かったぞ。あれは人間にも使えるのではないか?」
皇帝陛下がそんなことを言い出した。優生学か。またヤバいことを思いつく。
「個人や家系単位なら上手くいくかもしれませんが、国としてやるならまず失敗しますね」
「なぜだ?」
「知識が足りません。目をつぶって目的地を目指すようなものです。そもそもですよ、何が優秀か、何が必要な能力か、そして体のどこがその能力を担うのか。まずはそれを知らないとには成功なんて絶対にありません」
優生学は危険な思想になりがちなのでしっかり釘を刺す必要がある。
「まあそれでも単純に頭のいいとか、体が大きいとかで選別したとして、国民が頭のいい者ばかり、体のいい者ばかりになっても困ると思いますよ?」
頭のいい者がエルフで体の頑丈な者が獣人だな。それでどうなったか? 人族の支配的な地位はそのどちらでもない人間族が担っている。
「じゃあ頭もいい、肉体も頑丈だ。そんな優秀な人族をうまく作り出せたとします。古い人族はどうしますかね? 使えないので滅ぼしますか?」
皇帝陛下もやっと一番の問題点に気がついたようだ。
「じゃあダメな血統を断絶することで、人族全体を良くできるのでは? それもダメなんですよね。断絶される者やその周辺が骨髄まで恨みを持つのは別としても、結局のところ中途半端な知識による優秀劣等っていう区分けが果たして正しいのか、我々には判断できない。たとえばとある平民の一家が居て、実は魔法を使わせれば優秀だった。そんなことがどうやってわかりますか? 血統を人為的にいじるのは色々問題が出るんですよ。現時点では触らないほうがいい分野ですね」
「現時点ではか?」
「二〇〇〇年分くらい知識を蓄積すれば、上手く行く方法もわかるかもしれませんね。それでも古い人種と新しい人種をどうまとめていくかって問題は消えないと思いますが」
あるいは宇宙に出て生存域が広がれば、多少人種が違う程度はどうでもよくなるかもしれない。
「植物に関しては、人の手で環境を整えるから作為的な血統の選別というのが成り立つんですよ。作った作物同士も違う場所で管理しておけば争うこともありませんしね」
神々による血統の強化をされている様子なのが俺たちなのだが、圧倒的な上位者でなければ管理して成り立たせるのは難しいのだ。
「ふむ。では遺伝子に関してもう少し聞きたい」
「どんなことをです?」
ゆっくり食事を取りたいが、今も話している内容はすべて記録されていて無駄にはならないと、食事をしながら皇帝陛下の質問になんとか答えていく。
夕食後はすぐに講義である。まずは活版印刷の方法とポンプに関して説明していく。ポンプは当面は手押しポンプだが、動力が出来次第、活用法は広がるだろう。
「ここまで色々なことを話してきたが、それをどのように実現していくか?」
それが大問題である。
「千年計画で扱う研究を全体として科学と名付けた。そして科学的な研究は基本的に数字、数値で行う。
例えば麦の品種改良をしたとしよう。なんとなくこっちのほうが実りが良さそうでは話にならない。何粒生ったか。その重さはどうか。その種から次の年はまた何粒生ったか。その重さは? 与えた肥料の正確な量。そこから肥料を増やした場合、減らした場合。天候、気温、水の量。すべて数値化して誰にでも検証できるようにする。これが科学だ」
たぶん。いやほんと、高卒の俺が断言していいことじゃ絶対にないぞ……
「もちろん数値だけですべてを表すことは出来ないが、データを数値化することが基本となる。たとえばここからあそこ、入り口の扉までの距離を測りたいとする。望遠レンズを使えば、ここと……」
演台を横に移動する。
「ここまでの距離。そして扉までの角度が分かれば計算によって距離も判明する。これが三角測量だ」
戻って話を続ける。
「こいつを使うと遠方の距離が簡単に測定できる。たとえば町の広さだとか、遠くに見える山の山頂までの距離。あるいは月や太陽までの距離ですら計算で出すことができるんだ」
相変わらずよくわかってなさそうな顔が多数だが構わず続ける。
「数値化、データ化が大事で、じゃあ数値とは何か。長さ、重さ、時間、温度。他にもあるが、とりあえずはこの四つを決めてしまわないと、話が進まない。ある地域での一メルテと、他の地域の一メルテが違っていては正しいデータなど取りようもないんだ」
この世界は言語が統一されていることが救いだな。あとは商業ギルドが国をまたいで存在するお陰で、単位もある程度統一されているようだ。ただ同一単位を使ってるというだけで、それが正確なのかはわからない。
「ではまず時間を統一しよう。今は一日を十二に分けている。これを二十四分割にして一時間と呼ぶ。一時間は六〇に分けて分。一分は六〇分割にして秒だ」
太陽の動きを基準にするとずれがあるのだが、それは一旦置いておく。
「長さであるが、光の速さを基準としよう。光が一秒間に進む距離を三十万キロメルテとする。光の速さとか言われてもわからない? じゃあこの大地のサイズを基準としようか。地球の、ここが北極点で、ここが赤道線。この距離の千万分の一としよう。それもわからない? じゃあ暫定で一メルテを後ほど設定して、いずれ正確さが必要になってから改定していくことにする。とりあえずはまずは統一された長さを決めなければ話が進まないから、これは飲み込んでほしい」
長さに関してはある程度信頼できる、基準にできる長さがある。俺の身長だ。前の世界で0.1センチ単位で測った数値を覚えている。こちらへ来てから多少の変動はあっただろうが、最初の基準としては悪くないはずだ。
俺の身長が世界基準なんて話は、厳重なる秘密にしておく予定だ。俺の背の低さが歴史に残るなんてことがあってはならない。絶対にだ!
「長さが決まれば重さを決めることができる。水が基準だ。水はどこにでもあるし、どこでも水は水だ。一〇分の一メルテ四方の容器に入る水が一リットルとしよう。水一リットルが一〇〇〇グラムだ。温度も水で決める。水が氷る温度が〇度。沸騰する温度が一〇〇度。これが時間、長さ、重さ、温度の定義で共通規格となる」
これでようやく物理の話を多少なりとも進められる。
「では次は力とは何かという話をしよう。こいつは今決めた時間や長さとかの定義と密接に関連している。たとえば俺の拳。こいつで何かを殴る時の力を考えてみよう」
拳の速さ。速さは時間と距離だ。そして重さがわかればパンチ力も計測できると説明していく。
「もっと単純に力自慢を比べてもいい。五〇キログラムとか一〇〇キログラムの重さが決まっていれば、世界中のどこでも、それを持ち上げられるかどうかでそいつの力はわかる。では力とはそもそも一体何なのだろうか?」
そう言って聴衆を見渡す。
「力とはエネルギーだ。これも単位を決めたことで数値で表せる。一〇〇グラムのモノを一メルテ持ち上げられる力を一ジュールと呼ぶことにする。こいつは力の単位のように思えるが、エネルギーというのは熱にも換算できる。水を沸騰させるための熱量、火力もジュールで表すことができるんだ。たとえば手をこすり合わせる。ほら、熱くなった。これは力をエネルギーに変換していて、力と熱、そしてエネルギーは本質的に同じものなんだ」
これは実際にやってみればわかることで納得顔が多い。
「じゃあ火を燃やすとする。燃料は木だな。この熱はどこから出てくるのか? もちろん木から、木という物質から熱、つまりエネルギーを取り出しているわけだ。すなわち木という物質とエネルギーは同じものと考えられる。物質とは実はエネルギーの塊でもあるんだ。
たとえば食事だ。食事をすることで俺たちは力を得る。食べなきゃ力は出せない。それは俺たちの体内で、食料をエネルギーに変換しているからだ。小さい子供は食事は少なくて済むし、大きいもの、よく動く者は大量の食料、エネルギーが必要となる」
もちろんエネルギーにできる食料は決まった物だし、燃える木なんかも限定されている。しかしそこら辺の石ころだって、やり方さえわかればエネルギーに変換することができると解説をしていく。
「たとえば魔法、魔力ももちろんエネルギーだ。俺くらいの魔力があれば魔物を駆逐するのも容易い。じゃあもし石ころから俺の魔力と同じくらいのエネルギーを取り出し、魔物にぶつけることができれば? あるいは火をコントロールして魔物にぶつけてもいいし、もっと別のやり方があるかもしれない。とにかくだ、俺たちが最終的に目指すのはエネルギーを生み出し、有効に操活用する方法で、それには単位の統一や数字の操作が欠かせない話になるんだ。ここまでの話はすべてそこに繋がっている」
そう言って一息つく。
「俺はそのための考え方、手段、あるいはヒントを提供しよう。しかしそれを実現するのは君たちだ。俺は助言くらいはできるが、君たちが研究し、実験し、作り出すんだ。人族の命運はそれにかかっている。今日の話は以上だ」
俺がそう言って壇上から引き上げると、残った聴衆が活発な議論を始めるのが漏れ聞こえてきた。
明日は質疑応答かあ。いやその前に磁石が手に入ったらしいから、電気工作だな。
「お疲れ様」
そう言って出迎えてくれたアンに人目もはばからず抱きつき、その胸に顔を埋める。
「つ、疲れた」
「ええっ? そんなに疲れたの?」
驚いたようにアンが言う。今日の午後は座って話をしていただけだもんな。
「そうだぞ。知っているか? 頭を働かすのって実はものすごくエネルギーが必要なんだ」
あー、メンタルが回復するー。
アンのこの癒やしの力というのも何かのエネルギーなんだろうか? ふむ。これはしっかり調べる必要があるな。
「お風呂に入ろう。たまには二人っきりで入りたいな」
顔を上げてアンにそう提案する。
「変なことしない?」
「……」
「絶対変なことするつもりじゃない!」
もちろんむちゃくちゃ変なことをした。そして癒やしの力の存在は確信できたが、今後も十分な検証が必要であろうと思われる。