作品タイトル不明
第十三話 恋騒動
招待客に気付かれぬようブライアン男爵を連れて素早く会場を出たソラはため息を吐き出して、こりを解すように肩を回した。
「さて、ブライアン男爵、分かっているとは思うが植物誌など見せるつもりはない。一緒に来てもらおう」
拒否権はない、とばかりにソラは歩き出す。
「お待ちください、ソラ伯爵。何を企んでいるかは存じませんが――」
ブライアン男爵が抗議の声を上げようとした瞬間、ソラは懐から一枚の手紙を取り出した。
「黙ってついてこい。この手紙をばら撒かれたいのか?」
ソラがブライアン男爵に突き付けたのは、メーティエに届けられた恋文だ。
ブライアン男爵が眉を寄せる。
「この手紙がどうかしたのですか?」
白を切るつもりらしいが、ソラの目にはブライアン男爵の動揺が見えていた。
侯爵家の令嬢に男爵が一方的に恋文を送り続けていた。身分違いの恋。
しかもジーストラ侯爵は教会派の雄であり、ブライアン男爵は魔法使い派貴族だ。敵対派閥の重鎮の娘を口説いたことになる。
ブライアン男爵が白を切るのも当然だった。
ソラは手紙をひらひらさせた。
「ブライアン男爵は左手の親指に十字形の皺があるだろう?」
質問口調でありながら、確信を持ってソラは言い切る。
ブライアン男爵は眉を寄せ、自分の左手の親指に視線を移して目を見開いた。
「恋文にインクの染みがついていてな。ブライアン男爵の左手親指の指紋がくっきり残っている」
ソラは平然と嘘を吐く。
実際にはヨウ素を用いた指紋検出法で手紙から指紋を採取したのだが、指紋採取の方法を詳しく教える手間を省いたのだ。
ブライアン男爵は眉を寄せたが、次の瞬間には愛想笑いを浮かべて見せた。
「指の皺など、似通った形の方がいるはずでしょう。それを根拠に――」
「いないんだな、これが。なんなら、会場にいる全員の指の皺を見せてやろうか?」
「……協力いただけないでしょう?」
「もう取ってあるのさ。指の皺はわかっても持ち主が分からなかったからな。会場の貴族全員に検査を施した」
平然と言ってのけるソラに、ブライアン男爵が呆気にとられる。
当然だろう、会場入りしてから今まで、ブライアン男爵はもちろん招待客の誰一人としてインクなどに触っていない。
ソラは懐から小瓶を取り出した。中には黄色い粉末が入っている。
「ヒカゲノカズラの胞子だ。別名、石松子。粒子の細かさからガラスや金属製品から指の皺を検出するのに使えるんだ。ガラスも金属製品も会場で触っただろう?」
「ワイングラスと銀食器……」
「ご名答」
会場から回収されたグラスや食器類は洗い場ではなくリュリュの下へ運ばれていた。
リュリュは運ばれてきた食器に石松子を振りかけ、ウサギの尻尾で作った刷毛で慎重に指紋を採取していたのだ。
左手親指にある十字型の指紋はすぐに持ち主が特定され、今こうしてソラはブライアン男爵と向き合っている。
だが、ブライアン男爵にはまだ言い逃れの余地が十分にある。
なぜなら、指紋による個人特定はこの世界でもまだ資料が足りず、公的に証拠とは認められないからだ。
だが、メーティエへの恋文の差出人を特定するために未知の方法まで使い、パーティーを開くほどのやる気を見せたソラに、ブライアン男爵は逃げ切れないとあきらめたらしい。
深々とため息を吐き出して、ブライアン男爵は肩を落とした。
「……何が望みですか。やはり、私に身を引けと――」
「まさか、とんでもない。ブライアン男爵にはしっかりとメーティエ嬢との仲を進展させてもらいたい」
ソラの言葉こそとんでもない物だった。
ブライアン男爵が目を瞬く。
困惑しながら、ブライアン男爵は口を開く。
「……王太子殿下にメーティエ嬢との縁談を持ちかけられているのでは?」
「そうだな。だから断るためにここまで手を尽くしたんだ。潔く身を引かれては困る」
ブライアン男爵の顔がますます困惑色に染まる。
王太子に持ちかけられた侯爵筋との縁談を断るために手を尽くしたというソラが理解できないらしい。
ソラはため息を吐いた。
「なぁ、ブライアン男爵。俺がどう考えているかが好きな女との縁談よりも重要な話か? 俺がメーティエ嬢と共謀して罠にかけるつもりだとでも思うのか? メーティエ嬢がそんな腐った性根をしていると思うのか?」
ワザと癇に障る言い回しを選び、ソラはブライアン男爵を煽る。
意識が程よくソラ自身に向いた頃を見計らい、ソラは窓の外を指差した。
「真っ暗な庭でうら若き乙女がたった一人で待ち続けているというのに、ブライアン男爵は罠を恐れて迎えに行くための一歩を踏み出しもしないのか?」
弾かれたようにブライアン男爵が窓の外を見る。
新月の夜だ。星の明かりに頼っても庭は暗い。
真っ暗な夜の庭で貴族の令嬢が一人で待ち続ける覚悟など、想像するまでもない。
「君たちの仲を応援しようと思っていたが、もしもブライアン男爵がメーティエ嬢を迎えにも行けない臆病者なら――」
ソラが言い切る前に、ブライアン男爵は廊下を大慌てで駆け出して行った。
その慌て振りは、いたずらで恋文を出すような男のそれではない。そもそも、一男爵が侯爵令嬢に恋文を送ること自体、いたずらでは済まされない事だ。
「やっぱり本気だったか。動き出すのが遅いっての」
やれやれ、と肩の高さに両手を挙げたソラは最後の仕込みをするために会場へ取って返す。
会場に戻ったソラがブライアン男爵を連れていない事に気付いた王太子が苦い顔をした。
「ソラ卿、先ほどからジーストラ侯爵令嬢の姿がみえないのだけど」
「殿下、申し訳ありませんが後回しにさせていただきます」
「えぇ……」
さらりと流された王太子が肩を落とす。
「どうせ、僕にはもう取り返しのつかない事になってるんだろ」
「察しがいいですね」
「さっきチャフに言われたんだ。あぁもう、お酒でも飲んでくるよ」
へそを曲げた王太子がソラの下から離れると、気の毒そうな顔をしたチャフが歩み寄る。
ソラと視線があったチャフが苦笑した。
「ソラ卿の事です。殿下の不利にはならないよう立ち回っていますよ」
チャフが王太子に囁いているのを横目に、ソラはジーストラ侯爵に近付いた。
ジーストラ侯爵がワイングラスを傾けて中身を空にする。
「ソラ卿、何のつもりかね」
「あるべき形に戻したのですよ。手紙の事はいつからご存じで?」
「君との夕食の後だ。どうせもう手紙は届かぬだろうからと放置したが、まさか差出人を探し出すとはな。……ブライアン男爵か?」
空になったワイングラスをテーブルに置いたジーストラ侯爵がソラを横目で睨む。
ソラは肯定の意を込めて頷いた。
ジーストラ侯爵が面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「身分違いだろう」
「そして派閥も異なりますね」
「ならばなぜ、勧めた?」
答え次第では許さないと鋭い瞳でジーストラ侯爵がソラを睨む。
ソラは仮面の下で笑みを浮かべた。
「私に嫁がせるよりも双方幸せで、派閥を超えた協力体制を印象付けて王太子殿下の利益を確保できるとともに、魔法使い派貴族であるブライアン男爵との縁故は魔法技術に後れを取るジーストラ侯爵の利益となる」
「そうだな。まるで我がジーストラ侯爵家の立場が王太子殿下の派閥内では魔法使い派男爵と相応だと言われている気分だ」
「私が盛大に一枚噛んでも、ですか?」
「――何?」
ジーストラ侯爵が眉を寄せた瞬間、階下から音が溢れ出した。
招待客が一斉に口を閉ざし、足元を見る。
「手紙の乙女の伴奏?」
ジーストラ侯爵が床の下にいるだろう楽団を透かし見るように目を細め、耳を澄ませる。
「王都の大劇場に出資なさっているジーストラ侯爵ならば、聞き覚えがあるのではありませんか?」
階下で奏でられているのは先日、ソラとメーティエが見物に出かけた芝居『手紙の乙女』に使われた伴奏だ。そして、デートの後日、ソラはメーティエを連れ出す口実に音楽鑑賞を使っている。
階下の楽団に理解が及んだのか、ジーストラ侯爵が目を見開く。
「わざわざ劇場から楽団を呼びつけたのか? ソラ伯爵には伝手がないはずだろう?」
「苦労しましたよ。苦労したからこそ、盛大に噛んだ証にもなるという物」
ソラは戸惑っている会場の招待客に向き直る。
「お集まりの皆々様、実は今宵、私はとある二人の男女を祝福しようと準備していたのです。階下より聞こえてきますのは王都の大劇場にて人気を博す演目『手紙の乙女』の伴奏。えぇ、本日私が祝福したい男女もまた、手紙で知り合い、互いの顔さえ知らぬままに恋を、愛をはぐくんできたのです。私はとある事情により相談を受け、約束しました。今宵のパーティーにて、あなたの想い人を見つけ出して見せようと」
大袈裟な手振りで身振りで会場中の注目をかっさらい、ソラはあたかも劇場の司会のようにふるまう。
隣でジーストラ侯爵が唖然としていた。
知った事か、とソラは続ける。
「――皆々様、手紙を交わしあった男女が今日、ついに互いの手を取るのです。どうか、バルコニーから二人へ祝福の言葉を投げかけてください」
野次馬気分で、興味本位で、招待客がバルコニーへ移動を始める。
合わせて、ラゼットを始めとしたメイドたちが会場の端から明りを消していった。
いつの間にか、バルコニーには灯りがついている。
バルコニーに出て庭を見下ろした招待客たちは、メーティエとブライアン男爵の姿を苦も無く発見するだろう。
だが、ソラはメーティエとブライアン男爵が発見されるより先に、止めの一言をジーストラ侯爵に言い放つ。
「――文句は言わせませんよ」
まるで、恋する男女をジーストラ侯爵から守るような一言。
ソラがジーストラ侯爵の反対を押し切って男女の仲を取り持った、と今宵の件は瞬く間に広がった。
人を罠にかけてばかりのソラ・クライン伯爵が、メーティエとブライアン男爵の誠実な恋に心打たれてジーストラ侯爵を罠にかけた、恋騒動として。