作品タイトル不明
第十一話 変体紋
ソラ伯爵から使いの者が来たと報告するアロイリーの顔を見て、メーティエは首をかしげる。
「アロイリー、ソラ様の使いはそんな恐ろしい人なの?」
メーティエはひどく沈んだ顔のアロイリーを気遣う。
アロイリーは力なく首を振った。
「……お会いになればわかるかと思います」
空気が淀みそうなほど鬱々とした声のアロイリーに、メーティエも不安な気持ちになる。
しかし、ソラに協力してもらう約束をした以上、会うのが怖いからと使者を追い返すなど言語道断だ。
それに、使者を追い返してしまったなら、ソラがメーティエの父であるジーストラ侯爵や王太子へ手紙の相手の事を暴露する事だろう。
不安な気持ちを抱えたまま、メーティエは使者を部屋に通すようアロイリーに命じる。
「メーティエ様はお綺麗です……」
アロイリーが唐突にメーティエを褒めて、使者を呼びに行った。
綺麗だとは度々言われるが、側付きであるアロイリーに褒められた経験は数えるほどしかない。
なぜこんな時に言い出したのかというメーティエの疑問は、部屋に通されたソラの使者を見た瞬間に氷解した。
「ソラ伯爵家より参りました、科学者リュリュです」
短く、ぶっきらぼうな物言いで自己紹介し、赤毛交じりの金髪を揺らして腰を折る美しい娘。
先ほどのアロイリーの言葉は褒め言葉ではなく慰めだったのだと気付いて、メーティエはため息を吐いた。
慰めなど必要ない。目の前の美しい娘と自分を比べようなど、最初から考えない。
「十四年、ですか……。納得せざるを得ませんわね」
メーティエはひとり呟き、用意していた手紙を机の上に広げる。
二十通以上の恋文はメーティエの宝物だが、もしも本人に会えるのならば誰かに見せる事も躊躇わない。
とはいえ、宝物は宝物、同性のメーティエから見てもうっかり恋をしてしまいそうな美しい娘が自分の恋文を手に取る姿は心中穏やかではいられない。
「植物性の紙か。これならいけるね」
そう呟くなり、心が躍るような笑みをリュリュが浮かべた。
リュリュの笑みを見た瞬間、メーティエの胸の内で心臓が跳ねあがる。
「――なんですか?」
視線に気付いたのか、リュリュが水を差されたことを不快に思っているような顔でメーティエに問う。
「い、いえ、何でもありませんわ」
自分の恋文から目を離してリュリュをじっと見つめていた事に気付き、メーティエは頬を赤らめた。
リュリュがメーティエの反応に眉を顰めつつ、後ろにいた火炎隊士に声をかける。
「実験器具を出して。新しいやつから総当たりする」
「了解っす」
楽しそうにリュリュの助手を務める火炎隊士がビーカーやアルコールランプを取り出す。
リュリュが窓際に実験器具を持って行く。
アルコールランプに火をつけたリュリュがビーカーの中に赤褐色の何かを入れ、恋文をビーカーの口に吊るす。
「それはなんですの?」
メーティエはビーカーの中身を指差して問う。
「――は?」
邪魔するなとばかりに鋭い視線を向けてくるリュリュに、メーティエはびくりと肩を跳ねさせた。
メーティエが高鳴った心臓を宥めていると、リュリュは火炎隊士に手をひらひらと振る。
嬉しそうに頷いた火炎隊士がメーティエに向き直った。
「代わりに説明させていただくっす。あれはヨウ素って名前で海藻から取り出した薬品っすよ」
先ほどの合図は説明の代行を頼むモノだったのか、とメーティエはリュリュを横目で見る。
リュリュの声を聞けなかったことを残念に思っている自分に気付いて、メーティエは熱っぽい頬を両手で挟んで冷やした。
火炎隊士の説明は続く。
「ヨウ素はタンパク質に反応するんすよ。ヨウ素の気体を手紙に当てると手紙に触った人間が残したタンパク質と反応して形が浮かび上がるって寸法っす」
「タ、タン……?」
話についていけないメーティエはリュリュの手元を見る。
「――あぁ、手紙が⁉」
リュリュの手元で、手紙がヨウ素の気体にさらされ変色していた。
「少し放っておけばヨウ素の色が抜けて元通りになるんで、時間が経てばまた読めるんすよ。心配ご無用っす」
「ほ、本当ですわね⁉」
「リュリュさんは実験狂いっすけど、恋心も分かるんで大丈夫っす。眼中にない相手にはとことん鈍感っすけど」
「どっちですの?」
心配で心配でたまらないメーティエの事などそれこそ眼中にないようで、リュリュは微笑みながら嬉々として恋文をヨウ素の気体にさらしている。
窓の外で庭師が口を半開きにして見惚れていることにさえ、リュリュは気付いていないらしい。
メーティエの心配が加速する。だが、リュリュの笑顔を見ていたい気持ちの方が勝ってしまい、声を掛けられない。
そうこうしている内に、リュリュが恋文をヨウ素の気体から引き揚げた。
「綺麗に採れるか心配だったけど、大丈夫そうだね。それに、これは思ったより簡単な仕事になりそう」
リュリュが火炎隊士に恋文を渡し、また別の恋文をヨウ素の気体にさらし始める。
ヨウ素にさらされた恋文を受け取った火炎隊士は手で暗がりを作るなどして恋文を調べ始めた。手には小さな虫メガネを持っている。
ついつい視線が行ってしまうリュリュから目を離し、メーティエは火炎隊士が調べている恋文を覗き込む。
楕円状の斑点が所々についているのが見えた。
「指の跡ですね」
メーティエと同じように恋文を覗き込んだアロイリーが赤褐色の斑点を見て正体を見破る。
言われてみれば、確かに指の跡のように見えた。
「これで何かわかりますの? もちろん、指の大きさくらいはわかるのでしょうけど……」
ガラスの靴でもあるまいし、大きさがあっていたから本人であると断定する事は出来ないだろう。
火炎隊士はにこにこしながら自分の人差し指を見せてきた。
「指の皺、指紋って言うらしいんすけど、これは人によって形が違うんすよ。ちなみに自分は両手十指の全部が蹄状紋っす」
火炎隊士の人差し指には、向かって右側に傾いた馬の蹄のような形をした皺があった。これが蹄状紋らしい。
メーティエは自分の右手親指を見る。水面の波紋のように丸が並んだ皺がある。
「これは?」
「渦状紋っすね」
そういって、火炎隊士は恋文に視線を落とし、一つの指紋を指差した。
「これがメーティエ様の指紋だと思うっす。そっちのメイドさん、指を見せてくださいっす。手紙の差出人の指紋を特定しないとならないんで」
「どうぞ」
両手を広げて差し出すアロイリーに礼を言って、火炎隊士は調べた後でふむふむともっともらしく頷いた。
「メーティエ様とメイドさんの親指は渦状紋。他に手紙に触れた人は?」
「封筒ならともかく、手紙そのものに触れたのは私とアロイリーだけですわ」
「なら決まりっすね」
火炎隊士はにっこりと笑って手紙の下部に付いている指紋を指差す。
「手紙を書くときに紙がずれないよう、左手で押さえた跡っす。この親指の指紋見てみると面白いっすよ」
トントン、と火炎隊士が指先で指し示す少しかすれた親指の指紋。
それは十字形になっていた。
「――かなり珍しい指紋だよ」
指先で耳からうなじを撫でられたようなゾクリとする声にメーティエが振り向けば、リュリュが別の恋文を持って立っていた。
「それと同じように紙を押さえた際に付いた指紋が見つかった。まず間違いなく、その親指の指紋の持ち主が恋文の差出人」
ひらひらと手紙を振って、リュリュが目を細める。
「さぁ、人をヤキモキさせた落とし前、取り立ててやろうか」