作品タイトル不明
第八話 食中毒患者
「流石に客の名簿までは作ってねぇぞ。うちは宿屋じゃないんだからな」
「いえ、それはわかっているんです。あの、その日に誰が来たかだけでも覚え――」
「クロスポートの人間ばかりじゃねぇんだって。覚えきれねぇよ。日に何人来ると思ってんだ?」
机を叩きながら、料亭の支配人が口をとがらせて言い返す。
宿料亭組合の一室、組合長のコルをはじめ、組員の主だった者達が招集されていた。
すでに腹を空かせた子供が夕暮れ空を見上げながら走って帰る頃合いだが、昼から集まった彼らの話は堂々巡りしていた。
話の主題は頻発する獣人の食中毒だ。
「コルさん、食中毒の原因を特定しない事には話は進まねぇよ。あんただって、組合員を疑ってるわけじゃないだろ?」
「そ、それはもちろんです! ですが、今回は集団食中毒と言うくくりが正しいので、原因を特定しない事には、その……」
言い淀んで顔を俯かせたコルに、組合員はため息を吐く。
嫌な空気が部屋に充満し始めた時、場違いに若い娘がやおら立ち上がると、きびきびとした動作で窓に歩み寄り、勢いよく開いた。
「もうお空が真っ赤ですよ。大の男が顔突き合わせて話し合いの一つも出来ないってお空も赤面中ですよ? 原因云々は置いといて、建設的な話に切り替えましょ」
沈みかけの太陽から投げかけられる赤い光が眩しそうに目を細める人々を気にも留めず、娘は部屋の扉を開くと廊下にいた当直に人数分の紅茶を頼む。
目の前に置かれた手つかずの紅茶が冷めている事に気付いた何人かがティーカップに手を伸ばす。
席に座りなおした娘の顔を見るまでもない、コルに度々ちょっかいを出しているあの娘だ。
コルと目が合うと片目だけで瞬きし、娘は場の主導権を譲った。
コルは注目を集めるために小さく手を叩く。
「食中毒の原因についてなんですが、いまリュリュさんを筆頭に調査中なので、特定したらすぐに組合を通して情報を回します。それで、その、お店に獣人が来た場合の対応ですが、各店で名簿を作っていただいて、お手数ですが記入をいただく形で……お願いします」
コルの提案を聞いた組合員たちは、仕方ないかと、ため息をこぼす。
原因が特定できない以上、不便を押してでも獣人の動きを把握し、条件を絞っていく必要がある。
そこで、組合員の一人が手を挙げた。
「この間、開店したばっかの異国籍料理の店があるだろ。あの手の組合に入ってない店はどうするんだ? 名簿の作成はクロスポート全体でやらないと意味ないだろ」
「……僕が直接出向いて、協力を取り付けてきます」
「コルさん一人じゃ心配だな……。誰か手が空いてるやつはいるか?」
「――はい! はいはい! 私が行く!」
即座に名乗り出てきた娘に組合員全員の視線が集まる。
「食いつき良いな……」
誰かが呟くが、娘は当然とばかりに腕を組み、文句はあるかと眼光鋭く一同を見回した。
譲る気がないと一目でわかるその態度に異を唱える者はいない。
「それじゃ、会議はお開きで。これからがみんなも稼ぎ時だし、さっさと帰ってお仕事開始しなよ。私はコルさんとデー……組合の仕事するから」
顔を見合わせて苦笑した組合員達が席を立ち、代わる代わるコルの肩を叩いて部屋を出ていく。
最後に出て行こうとした髭の料理人がコルに耳打ちする。
「結婚は人生の墓場だが、人間が一番安心して寝られんのは墓の中だけだ」
「どういう意味ですか、それ」
「良い棺桶を選ぶ権利は組合長にあるってこった」
「背筋が寒くなる話です」
けらけら笑いながら髭の料理人は部屋を出て行った。
組合員達が退出すると、コルは立ち上がりかけ、はたと思い至る。
「紅茶、頼みましたよね?」
「多分、皆会館を出る時に飲んでいきますよ。会議中、しばらくのどを潤していない人が殆どだったので」
「……よく見てますね」
「お客さんにお酒を勧めるのとコツは一緒ですよ」
なんてことはない、と娘はくすくす笑う。席を立たないところを見ると、紅茶を会議室で飲んでから、組合に入っていない店を回るつもりらしい。
会議中、議長を務めていたコルも喉が渇いていたため、浮かせていた腰を椅子に戻した。
娘が会議机に頬杖を突き、紅茶を待ちながら口を開く。
「今回の件、伯爵様は濡れ衣を着せた人を捕まえるんですかね?」
「……さぁ、僕には何とも」
因果関係があるなら捕まえるだろうなとは思いつつ、コルは答えをはぐらかした。
行政側の人間として、食品テロの可能性を公然と認めるわけにはいかなかったのだ。
まだ、単なる食中毒事件である可能性も残っているのだから……。
「あの、ソラ様を疑ってる人は、多いんですか?」
コルは話題をわずかに逸らしつつ、世論調査の手を挟む。
娘は首を傾げ、うぅんと小さく唸った。
「ソラ様が何を発明してもおかしくないって思う人は多いけど、獣人大好きって事も知ってるから半信半疑かなぁ。私個人は、ソラ様は毒なんか使わなくても合法的に獣人を追い出せる権力者なんだからありえないと思ってますけど」
そんなものかと思いつつ、コルは窓の外を見る。
ソラは今頃、王太子を送り届けてジーラに到着した頃合いだろう。
クロスポートに帰ってくるのは早くても明日の早朝になる、とコルは気を引き締める。
事が食品に関する問題である以上、解決に向かって音頭を取るのはコルの役割だ。
しかし、そんなコルの決意を打ち砕くように、娘が足をぶらつかせながら何気なく呟く。
「今回の件、本当に食中毒なんですかね?」
「……と、いうと?」
一応意見を聞いておこうと、コルは水を向ける。
娘は少し間を取って考えをまとめた後、説明しだす。
「だって、直前に食べた物の種類はバラバラで、獣人だけしか患者がいないって、流行病か何かだと思いません?」
「そういう意味ですか」
「他にどんな意味が?」
食中毒ではなく食品テロという意味だと勘違いしたコルは、笑って誤魔化した。
「流行病の可能性も視野に入れて、リュリュさんが調べています。他領にも手紙を出しているので、じきに何かしら分かると思います」
リュリュの名前を出すと、娘は少し不安そうな顔でコルの表情を窺った。
しばらくコルを観察していた娘は、紅茶を持ってきた当直が扉を開けた音を合図に視線を逸らす。
「……よかった。リュリュさんを相手にする必要はなさそう」
娘の呟きはきちんとコルに耳にも届いていたが、当直から紅茶を受け取るふりをして聞き流した。
「ど、どうぞ」
「ありがとうございます」
コルが当直から受け取った紅茶の一つを差し出すと、娘は礼を言って受け取る。
しかし、娘はティーカップに指先が触れた瞬間、驚いたように手を引っ込めた。
バランスを崩したティーカップを慌てて支えたコルは、波立つ紅茶の水面が落ち着くのを慎重に見守った。
「――ごめんなさい。まさか冷えてるとは思わなかったので」
ゆっくりとカップを降ろすコルに、娘は申し訳なさそうな上目使いで謝る。
コルの手が止まった。
なぜなら、コルの視線の先にある紅茶から湯気が立っていたから……。