作品タイトル不明
第七話 悪い噂
ワイワイと騒いでいた子供達が、時間が止まったように一斉に動きを止めて施設の入り口に立つ人物を見る。
入口にいた火炎隊士が軽く手を振ると、子供達はワッと蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
「気を落とすなよ」
ソラは仮面の下で苦笑しつつ、肩を落とす火炎隊士の背中を叩く。
すぐに施設の扉が開き、施設長を務める一人の老人が姿を現した。
逃げ散った子供の誰かが呼んだのだろう。
「相変わらず、お早いご到着ですね」
老人は丁寧に腰を折るとソラを施設の中へ導きいれる。
「急に訪ねてきてすまないな。殿下の見送りのついでに近くへ寄ったものだから」
「殿下はもう王都へ?」
「いや、ベルツェ侯爵と会うそうだ。頼みごとを俺が断ったから、ベルツェ侯爵に話を持っていくつもりだろう」
ソラは頼みごとの内容をぼかして答えつつ、庭に舞い戻ってきた子供達を横目に見る。
――イェラが計画した孤児院は順調に回っているみたいだな。
チャフへの手紙を出す時にでも触れておこう、とソラは心に留める。
「今日はどちらにお泊りになられますか?」
老人がソラを振り返り、訊ねた。
ソラは緩く頭を振る。
「視察に来ただけで、長居をするつもりはないんだ。殿下の突然の訪問で事務仕事に少し遅れが出たからな」
ソラにとっては初めての賓客であり、対応マニュアルすらない中で家臣一同大騒ぎだったのだ。
クラインセルト伯爵家で保管されていた資料は古いうえに管理が杜撰だったために使い物にならなかった事もあり、ここ数日は事務仕事が滞っていた。
「お前の意見は参考になった。ありがとう」
ソラは老人に礼を言う。
元はジーラの町官吏を務めていた老人は、ソラ伯爵領の全官吏の中で最高齢だった。
今は引退して施設長を務めているが、官吏としての経験談は参考になる事も多いため、ソラは度々連絡を取っている。
老人は満更でもなさそうに肩を揺すると、施設の庭を眺められるテラスにソラを案内した。
ソラが火炎隊士と共にテラスに出ると、子供達が恐々と視線を向ける。
しかし、ソラの横に老人が立つと、安心したように遊びを再開した。
ソラは用意されていた木の椅子に腰かける。
「獣人の子達も混ざっているが、大手商会の連中の態度は大丈夫か?」
小声で言ったとしても獣人の耳なら会話の内容を拾ってしまうだろうと考えて、ソラはあえて普通の声で老人に問いかける。
獣人は貴族のみならず、富裕層からも受けが良くないのだ。
老人はにこやかな笑みを浮かべた。
「雇うなら人間の子を、と言う輩もおりますが、ウッドドーラ商会を含むいくつかの大手は区別しておりません。ソラ様の獣人好きが広まっておりますからな」
「耳と尻尾は良い物だ……」
ソラは腕を組み、万感の思いで口にする。
会話を盗み聞きしていたらしい獣人の子達が複雑そうに耳や尻尾を動かした。
苦笑した老人は火炎隊士に目を向ける。
「いつもこの調子なのかな?」
火炎隊士は困ったように笑いながら、肩を竦める。
「昔に比べれば落ち着いたっすよ。最近はサニアちゃんも警戒を解いてるっす」
「サニア……熊の獣人だったね。ソラ様、近いうちにサニアさんに講演をお願いできませんか? 施設の子供達のいい刺激になると思うので」
水を向けられたソラは二つ返事に頷いた。
「別にかまわないが、本人の気持ち次第だな。サニアがやりたいと言えば、予定を組もう」
「ありがとうございます」
老人が頭を下げる。
その時、犬の特徴を持つ獣人の子がテラスに走ってきた。片方だけ垂れた三角形の耳が愛嬌のある男の子だ。
犬の獣人の男の子はテラスの近くまで来ると施設の入り口を指さした。
「施設長、胡散臭い人が来たよ」
「これこれ、お客さんに滅多な言葉を使うもんじゃない」
老人が男の子にデコピンして窘める。
胡散臭いと評された客人の顔を拝もうと施設の入り口へ視線を向けたソラは、所在なさそうに立っている部下の顔を見て思わず噴き出した。
ソラの反応を不思議そうに見た老人は、視線を追って来客の姿を目に留め、ソラと同じように噴き出した。
ソラは入り口に立つ部下を手招く。
「こっちだ、女衒」
「ソラ様、流石にこの場所でそのあだ名は勘弁してください」
頭の後ろへ手をやりながら、女衒が小声で抗議する。
テラスに辿り着いた女衒は施設の中を指さした。
「少し内密なお話がありまして」
中で話したいという女衒に頷いて、ソラは老人を見る。
老人が腰を上げた。
「応接室を使ってください。音が漏れないように作ってあるので」
ソラが立ち上がって施設へと入ると、様子を窺っていたらしい子供達が逃げ出していく。
女衒が渋面を老人に向けた。
「俺が子供苦手なの知ってんだろ。なんでこっちに呼び出すかなぁ」
「ソラ様はお忙しいのでね。お前が足を運ぶのが筋だろうさ」
女衒と老人の会話にソラは首を傾げる。
「なんだ、俺を待ってたのか?」
女衒が首肯する。
「視察に来ることは知ってましたから、ジーラにいれば捕まるだろうと」
「クロスポートで待たないって事は、相応の要件か」
また厄介ごとが増える、とソラは内心ため息を吐く。
応接室に入ると、ソラはソファに腰を下ろしつつ女衒に話をするよう視線で促した。
女衒は扉や窓が閉まっている事を確認すると、口を開く。
「まず、噂の方から」
「噂?」
曖昧な話の切り口に眉を顰めるソラにかまわず、女衒は話を続ける。
「ソラ様が獣人を狙い撃ちにする毒薬を開発したという噂が流れ、て……あくまで噂、です」
瞬時に怒気を纏ったソラに怖気付き、女衒が口籠る。
ソラは深く息を吐いて気を落ち着けると、不機嫌そうにソファの肘掛けに頬杖を突いた。
「どこの大馬鹿野郎だ。そんなくだらない噂を流している奴は……まぁ、予想は付くが」
王太子から聞かされた諜報員の話を思い出し、ソラは舌打ちする。
女衒は怯えたように縮こまった。
毒騒動での危機感を思い出してしまったらしい。
女衒は口籠っていたが、報告しなければ余計怖い思いをするだけだと思い直して、再度重い口を開く。
「……噂の出所は調査中ですが、噂ばかりでもないようでして」
「――どういう事だ?」
身に覚えがない以上、噂以上の事に発展するとは考えにくい。
ソラは一瞬考えて、すぐに思い至る。
「獣人に被害者を名乗る奴がいるのか?」
「はい……」
ソラの予想を肯定して、女衒が視線を逸らす。
「クロスポート周辺で数人、食中毒の症状が出ています」
ソラはすぐに立ち上がった。
「今すぐにクロスポートに帰って調査を始める。女衒は噂の出所を引き続き調査してくれ。気取られるなよ」
――食品テロとはやってくれるな。
ソラはクロスポートの方角を睨み、応接室を後にする。
遠くに見えるジーラの港には、外輪船が停泊していた。