作品タイトル不明
第二話 罪人達は手を取り合う
「施設長、お客様がお見えです」
紅茶の味を楽しんでいた老人は声を掛けられ、にこやかな笑みを浮かべる。
「あまり嬉しくない客だったのかな?」
「……俺にとっては、そうです」
「だが、顔に出してはいけないよ」
「……気を付けます」
老人は紅茶を飲み干し、立ち上がる。
施設に一つしかない応接間に向かいながら、窓の外を見た。
この時期にしては珍しい青く澄みきった空の下、片手で数えられる年頃の子供達が庭を走り回っている。
彼らより少しばかり上の年頃の子供達は、手に職をつけるべく修行している時間だ。
こんなのどかな日和を壊しに来た乱入者は、さてどんな顔だろうか。
老人は喉の奥で笑いながら、応接間の扉を開く。
「――ご無沙汰しております」
ソファに腰かける事もなく老人を待っていたとしか思えないタイミングで、挨拶が飛んできた。
下げられた頭を見ながら、老人は内心で首を傾げる。
「はて、面識があるようには思えないね。旋毛で人を見分ける才は持ち合わせていないんだ」
のんびりと笑いながら、老人は来客の前のソファに腰を下ろす。
老人の言葉に苦笑した来客が面を上げた。
老人の記憶の扉が開かれる。
「……生きていたのか。てっきり、ソラ卿に始末されたのだと思っていたよ」
来客が苦笑を深め、ゆるゆると首を振る。
「単なる噂ですよ」
「そのようだね。こうして顔を見れるのだから」
老人は笑みを浮かべ、扉を振り返る。
来客の正体を知り、歓迎されない理由にも察しがついたのだ。
「それで、この老いぼれを訪ねてきた用向きを聞こうか」
来客は途端に真剣なまなざしとなり、居住まいを正す。未だにソファに座らないのは、老人への敬意か、あるいは謙虚な心の表れか。
おそらくは前者だろう、と老人は来客が纏う空気から察する。
失敗の許されない商談に臨む大手商会の会長でも、これほどの気迫を持って老人の前に立つことはない。
なぜなら、実力はどうあれ絶えず笑みを浮かべる老人を自然と侮ってしまうからだ。
だが、来客は明らかに老人の実力を高く評価して目の前に立っている。
だからこそ、老人は来客が口を開く前にソファを手で示した。
「立ってするような話でもないのだろう? 掛けなさい」
「……失礼します」
出鼻を挫かれてもなお、来客の気迫は緩まなかった。
老人は緩く両手を組み、聞く姿勢を作った。
来客が話を切り出す。
「アイク商会長と連絡が取りたいのです」
意外な名前を出されて、老人は瞼を閉じる。
「彼は隠居しているよ。布の廉売騒動を起こして、ソラ卿が裏で動いたらしい。それ以来、怪談話と人形に恐れを抱く善良な市民となっている」
「……何があったんですか?」
「さて、彼も話したがらないからね」
怪訝な顔をする来客に笑いかけた老人は、一つため息を落とす。
「確かに、君がアイク商会長を訪ねても怯えさせるだけだろう。引き合わせる事も出来ないではないが……」
老人は言いたくない言葉を無理やり舌に乗せ、呟く。
「他国からの諜報員が入っているという噂もあるからね。アイク商会長と何を話すつもりか、聞かせてもらおうか」
ふいに、来客が窓の外を見た。
「孤児院と職業訓練所、私がクラインセルト伯爵領――失礼、いまはソラ伯爵領でしたか、この土地にいた頃はこんな素晴らしい物はありませんでした」
そうだろうとも、と老人は一人笑みを浮かべる。
孤児院も、職業訓練所も、大事に育てた愛娘が夢見て、作り上げたものである。老人にとっても誇らしい宝物だ。
来客は眩しそうに目を細め、遠くを見つめる。
「私は、孤児院も職業訓練所もなかった頃に奪い、壊したモノをもう一度作ろうと思います」
ソラ伯爵領の南部、海を隔てた場所には群島がある。
大小いくつもの島々で形成されるそれはオルスク群島と呼ばれ、ソラ伯爵領の海に複雑な海流を生み出している。
そんなオルスク群島の一つに、青年は小舟を上げた。
船を担ぎ上げて砂浜を登り、防風林となる赤松のそばで降ろす。
肩に担いだ魚籠の中を覗き、青年は空を見上げた。
余裕のない生活だ。
クロスポートなど、大陸の町や村はめきめきと経済的な力をつけ始め、徐々にではあるが確実に物価が上がっている。
新領主であるソラ伯爵のおかげである事は間違いないし、青年もソラ伯爵の手腕で豊かになっていく人々を見てきた。
だが、魚を取って生活する島の人々にはソラ伯爵の恩恵がほとんどない。
産業があるわけではなく、特産があるわけでもない島の人々にとって、物価の上昇は経済的な置いてけぼりを食らっている事に他ならなかった。
将来に対する漠然とした不安はあったが、魚を取っていれば餓える事だけはないという安心感が、思考を鈍らせる。
青年が島の奥にある村へ歩き出そうとした時、
「――見つけた」
赤松林の陰から、声をかけられた。
聞き覚えのない声に、青年はつい警戒して重心を低くする。
「誰だ?」
青年が赤松林へ誰何すると、声の主が現れる。
青年とそう歳の変わらない少女だ。つり目がちの目が勝気な印象を与える。美人とは言えないまでも、整った顔立ちに青年は不思議と懐かしさを覚えた。
少女は青年が持つ魚籠に目を止めた後、大陸に視線を移す。
「そういえば、釣りを教える約束もあったかな。後回しにするしかないけど」
陰のある横顔に、青年の記憶がかき回される。名前が浮かび上がっては消え、形にならなかった。
「忘れてるみたいね。無理もないけど……。まぁ、いいや。この島の村長と話がしたいの。協力して」
「名乗るのが先だろ。誰だよ、お前」
「罪人、かな。あんたにも関係ある事」
その瞬間、青年の脳裏に少女の名前がしっかりと形を持って浮かび上がった。
青年は驚きに目を見張る。
少女は困ったように笑った。
「罪人と名乗って思い出されると、反応に困るなぁ」
「……今さら、何の用だよ?」
青年は警戒を解き、魚籠を砂浜に降ろして胡坐をかいた。
どうせ、少女の話は長くなるに決まっている。
だが、少女は簡潔に答えた。
「罪を贖いに」
青年は眉を寄せ、少女の答えに呆れた事をことさらに強調するように肩を竦めて空を仰いだ。
「少しは女らしくなったかと思えば、一番変わるべき性格が治ってないのかよ」
「変わらないよ。性格が変わったからって罪が消えるわけじゃないもの」
「そこを変えれば楽に生きられただろうにな。お互い様かもしんねぇけど」
青年が見上げる空、太陽が雲に隠れた。
青年の顔に影が落ちる。
少女へ視線を戻した青年は、口を開いた。
「どうやって、贖うつもりだよ」
「まず、金と実績がいる。そのために、商品がいる」
「真似事かよ。あのときは楽しかったけど、いまから楽しめるかと言われると自信がないな」
胸の内に去来する光景を持て余しながら、青年は苦笑する。
しかし、少女が懐から取り出した物を見て、苦笑を打ち消した。
「おい、それはもしかして、松露か?」
なぜ、夏も近いこの時期に、と問いかけようとした青年を片手で押しとどめ、少女は首を振る。
「これはジャガイモ、芋の一種だよ。旅の途中で見つけて、栽培法を学んできた。商品の一つ、にするつもりだったんだけど」
少女はスカートをさばき、砂浜に腰を下ろす。
「本当は、にがりを除去した塩の作り方も学んできたんだ。まさか、はじめる前から手札の一つを潰されるとは思わなかったよ」
「にがり、ってあれか。大陸の方で、ソラ様が指導を始めてるっていう」
「もっと詳しく言えば、リュリュとサニアが指導してる。それで、今の私が提供できる手札は三つ、このジャガイモの栽培方法と、松露を発生させる方法、もう一つは、実物を見せた方が早いから後回し」
少女がジャガイモを砂浜の上に転がす。
青年はジャガイモを手に取り、様々な角度から観察する。
「松露は松が作るモノだろ?」
「あれはキノコだよ。春と秋に収穫できる。この島が一番条件に適っていると聞いてきたの」
少女は砂浜と赤松林を見回して、噂通りね、と呟いた。
青年はジャガイモを砂浜の上に置く。
「料理屋でも始めるつもりか?」
「ご名答」
少女の短い返答に、青年は首を振った。
「どこに、どうやって? 資金は? 出資者は? この芋と、松露と、後は俺が取る魚程度の食材で運営できるはずもない。他の食材はどうやって調達する?」
「アイク商会長に連絡を取ってるから、大部分が解決する」
「アイク商会は布の卸売りが商売だ。しかも、ソラ様に潰されて、今じゃあ跡形もねぇよ」
話にならない、と青年はため息を吐く。
しかし、少女は初めて笑みを浮かべた。
「孤児院と職業訓練所が設立されたって知ってる?」
青年も風の噂で聞いていた。
裏ではかなりの規模で銀貨が踊り、金を叩きつけ合うような戦いが繰り広げられていたと、行商人が恐れと興奮を持って話していた。
少女が口を開く。
「アイク商会は解散する際に従業員をウッドドーラ商会やその取引先に雇い直してもらってる。アイクにはそれらの商会の長と面識があるって事よ」
そういえば、と青年は当時の噂話を思い出す。
唐突に店を閉めたアイク商会長を非難する声がほとんど聞かれなかった。
経営者としての手腕は悪かったが、経営者としての人格は本物だったと惜しむ者がいたほどだ。
「アイク自身は職業訓練所で計算を教えたりもしている。ジーラ商会連合の本拠地だった、ジーラの町官吏が運営に携わる施設よ」
「伝手を利用するのか」
青年は思考を巡らせた。
このまま島で生活しても、出口の見えない袋小路を彷徨うような不安感を抱えるだけだろう。
それに何より、青年にも贖うべき罪がある。
「……あの頃は今よりずっとガキでさ」
過去の自分に自嘲して、青年は立ち上がって砂を払った。
「何から逃げ出したのかも分かんなかった。分かった頃には、何もかも手遅れでどうすればいいのか、分からなかった」
青年は少女に片手を差し出した。
「協力するよ。他の奴らにも会いたいからな」